プロバスケットボール選手として地元クラブである「ベルテックス静岡」を含む4チームで、約9年間のキャリアを重ねてきた大澤歩さん。2023年7月に引退後は、冷凍水産物の販売や活鰻事業などを柱に、さまざまな事業を手掛けるフジ物産株式会社に入社。アスリートのセカンドキャリア支援を行う「Ath-up(アサップ)」事業部にて、求人企業の開拓営業を担当している。
会社員としての顔以外に、大澤さんが自身で手掛けているのが、23年10月に立ち上げた「A’z basketball school」の運営だ。平日は朝8時半~14時までフジ物産で働き、それ以降はスクールの継続運営のためのスポンサー獲得営業や、夕方からの子どもたちへのバスケ指導、コーチ陣のマネジメントなどを担当。代表として、クラブチーム経営を担っている。

「A’zという名前には、“すべての子どもたちに平等にチャンスを提供したい”という思いが込められています。
チャンスを掴むか掴まないかは、子どもたち次第かもしれない。でも、チャンスの機会自体は誰にも開かれているべきです。バスケに救われ、バスケで人生を切り拓いてきた僕にとって、地元・静岡でスクールを開き、チャンスを提供する側になることは人生でやるべき一つの使命。どんな環境で育った子どもにもチャンスを平等に与えるのが、大人の仕事だと思っています」
6人きょうだいの末っ子として静岡県清水市に生まれ、兄たちの影響で小学3年生からバスケットボールを始めた大澤さん。きょうだいでチームを組んで遊ぶことが多く、必然的に年の離れた兄たちと比較されてばかりだったそう。技術も体の強さも兄には敵わなかったが、負けん気だけは人一倍強く、その後の“練習の虫”につながる原動力になっていった。

「一番のライバルは2歳上の天才肌の兄。どんなプレーもすぐにできる兄と比べて、自分にはまったく才能はありませんでした。でも、兄たちから『歩は下手だから一緒に組みたくない』と言われるのがとにかく悔しくて…。100本のシュートを決めるまで帰らないと自分に課し、入江小の外のリングで毎日練習をしていました。センスはなかったけれど、“努力を続けることができる”という才能があったのだと思います」
中学では静岡県選抜に選出され、高校で静岡学園に進学後は、国体で静岡県を40年ぶりの決勝進出に導く活躍を見せた。着実に実績を重ねる中、プロはどのタイミングで意識し始めたのだろう。聞くと、「バスケを始めたときには、将来はNBAプレーヤーになると決めていた」と言い切る。
「物心ついたときから、うちはほかの家と比べても裕福ではないんだな、ということを感じていました。飲食店を経営していた両親はいつも働いていて、子どもながらに、6人もきょうだいがいるんだから大変だよな、と思っていた。『自分が稼いで、親を楽にしてあげたい』と自然と考えるようになっていました。当時Bリーグはなかったので、バスケでプロになるならNBAしかない。やるからには絶対にプロになるんだと心に決めていました」
小学生にして、プロになることと「お金を稼ぐ」ことが具体的に結びついていたという大澤さん。中学3年のときに父親を亡くし、その思いはさらに確固たるものになっていった。
そして専修大学を卒業後、まさに“初志貫徹”の文字通り、広島ライトニングに入団。その後、香川ファイブアローズ、ベルテックス静岡、岩手ビッグブルズと計4チームでプロ選手生活を送った。

ただ、「プロになってお金を稼ぐ」という目標の”スタートライン“に立ってからは、「ただバスケが好き、だけでは続けられない大変さ」に直面してきたという。
「本当に多くの方に応援してもらい、楽しい経験、うれしい経験をたくさんさせてもらいました。でもそれ以上に苦しい経験の方が多かったプロ生活でした。『あの怪我がなければ、あの選択をしていなければ、もっとできたんじゃないか』と、いつまでも現状に満足できなかった。契約解除や移籍も経験し、プロとしてお金を稼ぎ続ける大変さにもぶつかってきました」
チームに残るか残らないかはGMやクラブの社長が決め、試合に出るか出ないかはヘッドコーチやGMが決める。プロ選手という「個人事業主でありながら、自分の未来は常にチームに委ねられている」という不自由な立場を経験したことも、今のキャリアや働き方の選択につながっていったという。
「バスケを指導する、という意味では、プロチームのコーチを目指す道もあるでしょう。でも、もしチーム所属のコーチになれば、契約が変わるたびに、また全国を転々とする働き方になります。選手時代と変わらない、“自分で決められることが限られた”働き方ではなく、良くも悪くも自分で意思決定できる立場で、新しいキャリアをスタートさせたかったんです」
きょうだいの影響でバスケに触れ、両親が働く背中を見て育った大澤さん。「家族との時間が大事」という想いは子どもの頃から変わらず、今は5歳と1歳になる子どもたち、妻との時間が「人生の最優先事項」だと話す。
「家族が安心して過ごせる環境を考えれば、所属チームの状況によっていつ引っ越しになるか分からない生き方は、現実的ではありませんでした。地元・静岡でスクールを立ち上げたのは、お世話になった地元で、僕がバスケを通じて学んできたすべてを次世代の子どもたちに伝えたいと思ったから。そして、自分が代表を務めることで、家族と一緒に、ずっと大好きな静岡にいることができると考えたからです」

A’z basketball schoolのメンバーはすでに150人超。本気でプロを目指したい子から、楽しく体を動かしたい子まで、幅広いニーズを汲み取れるように、男子・女子それぞれ、目標設定の異なるクラブチームを複数作っていこうと動き出しているという。
すべての子どもたちにチャンスを提供し、「バスケットボール選手を育てるというより、人として周りを思いやる気持ちを持った一人の人を育てていきたい」と話す大澤さん。その想いは、地元・静岡で着実に広がっている。
後編では、スクール運営とフジ物産との“二足の草鞋”を履く選択をした理由、引退後のセカンドキャリアへの捉え方について語ってもらった。
後編はこちらからご覧ください。

大澤歩(おおさわ あゆむ)
フジ物産株式会社 経営企画部 アスリートサポートディビジョンAth-up/A’z basketball school代表
静岡県清水市出身。兄弟の影響で小学3年生からバスケを始める。中学生時代に静岡県選抜に選出され、静岡学園に進学。国体(新潟国体2009)で全国準優勝。専修大学ではインカレ5位入賞。2015年に広島ライトニングに入団し、2シーズンで48試合に出場。香川ファイブアローズ、ベルテックス静岡、岩手ビッグブルズへの移籍を経て、2023年7月に引退を表明。翌8月にフジ物産に入社。自身が代表を務めるA’z basketball schoolの活動とのパラレルキャリアを続けている。





