「働くということ自体、あまり苦ではなかったんです」
三好のセカンドキャリアへの移行は2018年のこと。藤枝で現役引退を決め、スパイクを脱ぐとともにそのまま営業としてクラブスタッフとなった。
これ自体は何も珍しいことではなく、よくあるセカンドキャリアへの移行ケースだ。だが、彼はここからキャリアの変遷を辿り、副社長まで上り詰めた。そのキャリア変遷も面白いが、それを語る前に現役時代にこのキャリアアップにつながる重要な『原風景』があった。

遡ること2010年、彼は大阪教育大学から当時JFLのブラウブリッツ秋田に加入した。だが、この時の契約はプロ契約ではなく、アマチュア契約だった。JFLのクラブはHONDA FCのように運営母体の社員として働きながらプレーするパターンや、最近はスポンサー企業に契約社員や正社員として働きながらプレーする選手を抱えるクラブが多い。
当時は後者のような形はまだ一般的ではなく、三好は年棒0円のサッカー選手だった。サッカー選手としてJリーグに一番近いカテゴリーでプレーできるが、日々を過ごすためのお金は自分の手で稼がないといけない。
その中でクラブに紹介されたのはなんと、練習拠点である仁賀保グリーンフィールドの目の前にあるコンビニエンスストアだった。
「ちょうどそのとき、TDKサッカー部からブラウブリッツ秋田に移行したタイミングでした。僕は最初の選手登録人数の枠外だったのでアマチュア契約でした。練習が終わったらすぐに目の前のコンビニに移動をしてアルバイトをする毎日がスタートしました」
だが、練習後だけのバイトでは当然生計を立てられない。プロ契約を目指す一方で練習前や試合後にも働かないといけない日々は簡単なものではなかった。午前練習の時は午後から19時〜20時、時には22時まで働くことが可能な時間をフルに使ってシフトに入っていた。
今でこそ笑い話にできるかもしれないが、あの時はサッカーも生活も必死だった。サッカー選手らしく車は外国車を買ったが、すぐに「維持できなくなった」と売って軽自動車になった。
成績面でも1年目は苦しんだ。怪我とコンディション不良が重なり、JFLでの試合出場はたったの1試合。プロ契約どころかアマチュア契約の存続さえも危ない状況だった。だが、彼の秋田に来てからの真摯な行動が、この先のストーリーを紡ぐこととなる。
「1年目は1試合、たったの5分しか出ていないにも関わらず、練習場やスタジアムで多くの人が声をかけてくれたり、応援をしたりしてくれた。僕だけではなく、クラブに対する期待や愛情も感じたし、それが本当に嬉しかった。
正直、コンビニでバイトしているときに『俺ってサッカー選手なのかな』と思うこともありました。それでも応援してくれる人たちの笑顔が僕の支えでしたし、サッカー選手をやっている意義だと思ったので、プレー以外でもっと笑顔に出来る様にクラブイベントにどんどん参加しました。
それが試合に出ていなくてもサポーターや地域の人たちが僕のことを認識してくれたり、交流したりする機会に繋がって、試合に出ていないのにもっと応援してもらえるようにもなったんです」

ピッチ外での貢献度を評価されて、もう1年契約を延長することに繋がったのだった。まさに『首の皮一枚』という言葉が相応しい状態だった。だが、繋がったことで、自分の1年目を否定ではなくて肯定するマインドに切り替えることができた。
「周りの同い年の選手はプロサッカー選手らしい生活をしているのに、僕はポジションすら取れないし、バイトで忙殺される毎日。流石に1年目は本当にキツくて、苦しくて、毎日『俺は一体何をしているんだろう』と自問自答ばかりしました。でも、本当に応援をしてくれる人たちの声や表情を目の当たりにしたことで、『この経験は絶対にプラスになる』、『今度はプレーでもっと笑顔にさせたい』と心から思うようになって、それが2年目の覚悟になりました」
意識はさらに変わった。オフ期間は他のプロ契約選手と違って、働かなければいけない日常は変わらず、当然帰省したり、旅行したりなどはできない。毎日のようにコンビニのシフトを入れ、時には夜勤をするようになった。さらにもう1つコンビニ勤務後にできるバイトを探して、毎日のようにダブルワークをする日々が続いた。
「毎日いるのでもうお客さんにも顔を覚えられるんです(笑)。でも、いつも来てくれるお客さんがいて、そこでも笑顔をもらうことができた。年末年始もずっと秋田に残ってダブルワークを続けていましたが、『自分の将来のため』と思ってやったし、『チャンスがある以上、それがなくなるまでは諦めたくない』と反骨心も持って取り組むことができました。結局、この環境を招いているのは、他の誰でもなく自分自身なので」
他責になってしまいそうな環境でも、三好は決してそうせずに自分にベクトルを向け続けた。そして2年目になるとJFLで22試合に出場し、翌2012年は主軸となって29試合に出場。秋田4年目の2013年についにプロ契約を勝ち取った。

「3年目までは試合当日に仕事に入っていた日もあります。14時キックオフのホームゲームを戦って、17時くらいに帰宅をして、制服に着替えてすぐにコンビニに行くこともありました。たまに試合を観に来てくれたサポーターの方が来店されて、『あれ?さっき試合に出ていましたよね?』と言われることもありました(笑)。でも、それで応援してくれる人もいて、毎日のモチベーションに繋がっていました」
明るく、まっすぐに筆者に目を向けて話す彼に、「なぜそうすることができたんですか?」と素朴な疑問を投げかけると、「それはこれまでの経験がそうさせてくれたのだと思います」と自身が秋田に行くまでのことを語ってくれた。
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三好洋央(みよし ひろちか)
長崎県諫早市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)、フォワード(FW)。
大阪教育大学を卒業後、2010年にブラウブリッツ秋田へ入団。J3リーグ初参入となった2014年には得点ランキング4位タイとなる12得点を記録し、チームの躍進に大きく貢献。2016年に藤枝MYFCへ移籍し、2017年に現役引退を発表。8年のプロキャリアに幕を閉じる。
引退後の2018年に藤枝MYFCのフロントスタッフとして入社し、クラブ運営に携わる。2019年にはかつて5年間プレーしたブラウブリッツ秋田のアンバサダーにも就任。2023年には藤枝MYFCの副社長に就任し、クラブの経営と地域サッカーの発展に尽力している。現役時代の経験を活かしながら、静岡のサッカー文化の振興と藤枝MYFCの更なる成長を支え続けている。





