前編はこちらからご覧ください。
2016年2月、廣瀬は中途採用という形で株式会社トゥモローランドに入社した。会社には大きく分けると普段着がメインのカジュアル部門と、スーツやジャケットなどのフォーマルなものを扱うドレス部門があった。廣瀬はドレス部門として、顧客に対して生地やサイズ、形の選定、採寸などをして販売をするのだが、当然彼には技術も経験もない。だが、店舗に配属された彼はいきなり店頭に立たされ、接客を担当することになった。
「今まで感じたことがない恐怖を感じました」。
顧客側には彼が新人だろうがなんだろうが関係はない。決して安くはないオーダーメイドのスーツを購入するからこそ、その顧客のこだわりや満足感を満たさなければならない。いきなり実践に放り込まれた状態で、廣瀬はミスを連発した。
採寸の際のピン打ちでお客の足を刺してしまったり、接客時間が長くなってしまい、店内の回転を悪くすることもあった。さらには採寸したスーツが仕上がり、顧客に渡して試着をしてみるとサイズが全く合わずに着られないという凡ミスをしてしまったこともあった。
「お前、サッカーしかやってこなかったんだな」。
先輩の一言に何も言い返せなかった。就業時間より早く出社をして採寸の練習をしたり、先輩だけでなく、年下の2年目、3年目の新卒社員に頭を下げて教えてもらうなど自分なりに努力は重ねていた。「元プロサッカー選手」ではなく、「トゥモローランドの一員」として見られるように頑張っているつもりだった。
「最初はどの社員からも第一声は『プロサッカー選手ですね』だった。どうしてもそれが付きまとってしまう。最初はチヤホヤされるのですが、しばらくして『こいつは何もできないな』と思われると状況は一変する。僕は元選手というプライドは置いてきたつもりだったので、本当に悔しかった。もっと勉強をして絶対に認められたいと強く思いました」。
現実は甘くない。そう痛感しながらも彼はさらに具体的な努力を重ねた。「どの業界であっても、その世界での基礎は絶対に疎かにしてはいけないと思っていた」と、焦って目先の結果に囚われるのではなく、彼は採寸などの反復練習と周りから学ぶという姿勢を崩さなかった。自社だけではなく、他社の店に行って接客の方法や置いてある商品などを見て、今のトレンドやスキルを学び、自らの知見とセンスを磨いた。
すると、全店舗においての販売成績で月間1位を何度か獲得するまでになった。入社後僅か2年でのことである。だが、ここで彼にはある悩みが生じてきた。
「ようやく知識がついてきて、ある程度やれるようになったことで少し物足りなさを感じるようになっていたんです。正直に言うと、プロサッカー選手として試合に勝った時の喜びや大観衆の前でプレーする喜びほど刺激的なものはなかったし、待遇面も給料面もプロの方がいいんです。勝利給などがあるので、結果を出していけば上がるし、移籍によって上がることもある。
でも一般社会でそこまでの刺激はなかなか味わえないし、そこまで急激に給料は上がらない。そうなってくるとだんだん自分の未来が見えてこなくなるんです」。
ここから廣瀬は「本当に自分がやりたいことは何なのか?」を考えるようになった。
ちょうどその時、廣瀬のもとには別の大手会社からヘッドハンティングが来ていた。最初は条件の良いそちらに行こうとしたが、「それではプロをやめた時と同じだし、何より僕はそこの商品を売りたいわけではなかった」と思い止まった。
では、どうするべきか。悩んだ末に彼が出した答えは、「アパレルとしての基礎を教えてもらった今の会社で、もっと経験を積んでドレスだけではなく、マネジメントを学んだり、新しい発見をしたら次が見えてくるかもしれない」とトゥモローランドでより高い目標設定をしてやり続けることだった。
その結果、入社4年目で店舗マネージャーに昇進。日本橋高島屋店という激戦区の長として、人事、売上管理、目標設定、販売などのあらゆるマネジメントを司った。
「自分がやりたいことは僕を育ててくれたサッカー界、スポーツ界に恩返しをすること。選手時代の応援される側から応援する側になったからこそ、アパレルを通してサッカー界・スポーツ界を盛り上げていきたいと思った」。
明確な目標ができたことで、サードキャリアに進む土台が固まった。2021年8月に5年半勤めたトゥモローランドを退職し、同社の先輩が前年に立ち上げた、アパレルの企画デザイン会社であるマーマレーション株式会社に入社をした。
マーマレーション株式会社はJリーグを含めたスポーツチームのアパレルグッズなどの企画・デザインを手掛けており、廣瀬の目標と合致している会社だった。
ある時、大宮アルディージャとチームグッズの商談をしていた際に「女子のチームスーツってできたりするんですか?」と聞かれたことがきっかけで、廣瀬のこれまで積み上げてきたものがさらに発揮されることとなった。
社長との会議の結果、すぐに廣瀬がトップとなるオーダースーツレーベルの『I’ll be』を立ち上げた。
大宮アルディージャVENTUSのチームスーツを手掛けたことを皮切りに、山梨県にあるフジプレミアムリゾートの制服を制作すると、プロラグビーチームである浦安D-Rocksのチームスーツも手掛けた。さらに選手時代のコネクションを生かして、現役や元プロサッカー選手、プロ野球選手、俳優などの個人スーツも幅広く手がけるなど、その才を遺憾なくに発揮している。
着実に自分の人生を踏み締めている彼に「プロサッカー選手の経験は活きているのか」と聞くと、彼はこう答えた。
「努力を継続できることと、結果にコミットできる力に関しては一般の人と比べると全然違います。プロ選手として毎日競争の世界に身を置いて、その中で成長するために、試合に出るために、勝つために、ステップアップするためにどこに目標を置くのか、何をするべきか。PDCA(計画、実行、確認、改善)サイクルを日常的に回している。
さらに来年がないかもしれない世界なので、その危機感は一般の社会ではまず味わえない。危機感を覚えながら、自分の中でのPDCAサイクルを回していく力はどんな業種でも生きると思います」。
この言葉にプロ選手からのセカンドキャリア移行において、重要なヒントが隠されている。
彼が言いたいのは、プロキャリアの中で本気で自分と向き合い、目標達成のために具体的なアプローチをしてきた人間のみが経験を活かすことができるということである。試合に出るため、競争に勝つために具体的な行動と生活を送っているか。
サッカー1本に絞ってストイックにやるのもいい、将来のことを考えてサッカー以外の時間で勉強したり、コミュニケーション能力を鍛えてもいい。大事なのはプロになって時間が豊富にある中で、練習以外の時間にメリハリをつけて、自分が成長する時間を作り出しているかにある。
「華麗な転身なんてないと思っています。そんなに人生甘くない。サッカーが終わっても、目標を立てて達成していくサイクルは延々と続くわけですから、客観的に自分や周りを見る力をつけたほうがいいと思います」。
さらに彼は「これを言いたかったのですが」と前置きをしてこう続けた。
「プロ選手の現役後の人生をセカンドキャリアとよく括られるのですが、僕はセカンドキャリアとして括るのであれば、サードキャリアもあって、むしろそこへの移行が重要で苦しむと思うんです。セカンドキャリアはある程度勢いで飛び込むことができます。
でもある一定の期間が経過したら僕のようにプロ時代の方が刺激的で、いろんな意味でだんだん物足りなくなると思うんです。そこで将来不安に陥ったときに、『ここからどうするか』というサードキャリアが重要なんです。
はっきり言って、『元プロサッカー選手』が通用するのはセカンドキャリアまで。サードキャリアはセカンドキャリアの実績も重要になってくるんです。だからこそ、現役の時から自分の将来ビジョンを作って、セカンドキャリア以降はキャリアビジョンを作っていないといけないと思います」。
その観点から言うと、彼はファーストキャリアからセカンドキャリア、サードキャリアに至るまで芯の通った人生設計を実現させている。
最後に彼にこれからの目標について聞いてみた。
「壮大なもので言えば次、その次のW杯の日本代表チームスーツを作りたいです。目の前の目標で言えば、大きな大会や節目に臨むスポーツ選手や、成人式や入社式など夢を追いかけている人の門出にオーダーメイドスーツで貢献したいと思っています」。
廣瀬智靖(ひろせ ともやす)
1989年生まれ。埼玉県出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。前橋育英高校時代には世代別代表に選出。高卒で2008年にモンテディオ山形に入団し、その後徳島ヴォルティスへの移籍も経験。2015年、26歳の若さで現役を引退。
引退後は、株式会社トゥモローランドに入社し、アパレルの世界へ飛び込む。入社当初は新しい世界で壁にぶつかるが、4年目で店舗マネージャーに昇進するなど活躍。2021年に同僚が立ち上げたアパレル会社、マーマレーション株式会社に入社。自身が手掛けるオーダースーツレーベル『I’ll be』を立ち上げる。