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2人が結婚したのは2020年12月22日だった。出会った当初は愛鷹がちょうど網膜剥離の手術をした直後で、あまり開いていない彼の眼の周囲は真っ赤になっていた。
「ここから復帰に向かってやっていきたいんです」と語る愛鷹の人柄に惹かれ、2人は交際することになった。
確実に復帰できるという保証がない状態で歩み始めた人生には、幾重もの試練が待ち構えていた。復帰を果たすもトップコンディションにまではなかなか戻らない愛鷹の焦りと苦しみを、佐藤は誰よりも近くで見守り続けた。
「どんどん格闘技の話をしなくなっていって、『今日練習どうだった?』と聞くのもちょっと微妙な雰囲気になりました。私の目から見ても格闘技から逃げているなと言うのが分かったし、これだけ嫌がっているということはあまり触れない方がいいんだなと思い、見守ろうというスタンスを取りました」
そこで彼女が選択したのはマイナスの話をしないことと、食事面でのケアだった。
「彼は自分でストレスや疲れが分からないタイプで、自分が病んでいたり、つまずいていたりすることにすらなかなか気が付かないタイプ。でも、逆にその鈍感さが一番いいところでもあって、明るくてプラス思考で前向きに頑張ることができる。
そこをなくしてしまったら彼らしさを失ってしまうと思ったので、ご飯をいっぱい食べさせて、会話の中でも常にポジティブな話をするようにしました」
それでも愛鷹は「勝利」という結果を出せず、負けが続いた。この時の心境を佐藤はこう口にする。
「結婚後に負け続けているので、どうしてもいろんな声が私の耳にも聞こえてきました。彼が3連敗するまでは『私のせいだ』、『食事のせいだ』、『私と娘がいるから、集中できないんだ』と自分を責めることもありましたが、途中からそうやって自分を追い込んでも、マイナスな空気が家庭に流れてしまうし、夫にも伝わってしまう。
そうなると家族全体が暗くなってしまうので『そう思うのをやめよう、ここからは家族として一緒に闘っていこう』と切り替えました」
彼女の話を聞けば聞くほど、愛鷹が網膜剥離を患ってからの2年間と、佐藤がSKEに移籍してからの3年間は非常に似通っていると感じられる。
愛鷹のコラムで書いたように、この時期は彼にとって格闘技人生におけるどん底の期間であり、家庭での暖かさが唯一の支えであった。当時の愛鷹の立ち振る舞いは、名古屋でまさに「どん底」の3年間を過ごした佐藤そのものだった。
自分の見る世界がどんどん狭まり、過去のプライドと現状を受け入れられない自分が、自らの殻をやぶるチャンスを阻害する。愛鷹よりも先にそのスパイラルを経験し、打破してきたからこそ、佐藤は愛鷹の気持ち、状況を深く理解して寄り添うことができたのだろう。
感じたことをそのまま佐藤に伝えると、彼女は笑みをこぼしながらこう答えた。
「まさにそうですね。私も強がるタイプだったので、夫の気持ちは本当によく分かりました。でも、SKEの時も後輩や周りのスタッフに心を開いていったことで、ファミリーになることができて、周りの声が一切気にならなくなった。
気持ちが晴れやかになったし、何よりも楽しかった。私たちは本当の意味でファミリーだからこそ、夫が格闘技に対して前向きに、楽しさを取り戻せるようにカバーすべきだと思えたんです」
時にはこれ以上無理をさせないように「もう辞めてもいいよ」という声をかけたこともあったという。格闘家を終えた残りの人生も視野に入れた上で、時には励まし、時には別の道も用意しながら一歩ずつ前に進んでいった。
こうした佐藤の努力もあり、2年間の暗闇を抜けた愛鷹は静岡への単身赴任を申し出た。2023年3月26日、有明アリーナで開催される『RISE ELDORADO 2023』のRISEvsK-1対抗戦・南原健太戦に向けての準備のためだ。当初愛鷹はこれを自身の引退試合と位置づけており、この試合にかける想いは並々ならぬものであった。
この時、娘はまだ1歳半でいちばん手のかかる時期。ワンオペ育児は想像を絶するほどに大変なことだが、それでも佐藤は愛鷹を静岡へと送り出した。
「それしかないなと思ったんです。相模大野のジムに通っていた最後の頃はずっと暗い顔をしていたので、環境を変えないとダメなのかなと思っていました。最後、静岡に戻ってラストマッチに全てを懸けると言われた時に、それで勝てなくてもいいし、勝てなかったらピリオドを打とうという意見で一致したんです。
彼が全てをかけて戦うと決めた以上、私と娘は神奈川から全力で応援しないといけない。私も覚悟を決められました」
それぞれが覚悟を抱き、静岡と神奈川で奮闘した。だが、愛鷹家として万全の準備を持って挑んだ決戦の結果は、南原に1ラウンドでのKO負け。しかし、試合後の佐藤の心は、愛鷹同様に晴れやかだった。
「これまでの負けとは全然違いました。夫の前日の気合いの感じとか、仕上がり具合、気持ちの持ちようは今までと違いました。結果は完敗でしたが、もうこれで引退しても何の後悔もないと思いました」
現在、愛鷹は引退試合を1試合延ばし、正真正銘の「ラストマッチ」に向けて再び静岡で己に磨きをかけている。一方で佐藤はちょうど決戦の前に第二子の妊娠が分かり、身重の身体で育児をしながら、夫と共に闘い続けている。
「最後にもう1回は絶対にやりたいと言うだろうなと思っていたので、負けた時点から私たちの戦いはまだ続くなと思っていました(笑)。次は本当の現役最後の一戦。私たち家族にとっても大事なラストマッチ。だから私たちはそれぞれのステージで全力を尽くすだけなんです」
今の愛鷹は、佐藤が卒業公演に向けてチームのために全力を尽くしていた時期と全く同じだと感じる。それを先ほど同様に佐藤に伝えると、彼女は弾けるような笑顔でこう口にした。
「そうなんですよ、めちゃくちゃ一緒なんですよ。本当に毎日が輝いているというか、これまでにない特別な輝きがあるんです。私は『有終の美を飾ることができた』と心の底から晴れやかな気持ちになれたからこそ、アイドルをスパッと辞めて新たな道に進むことが出来たんです。夫にもそうなって欲しいですし、今の夫はどんどん自分の殻を破ってきているのかなと思います。
リングの上でありのままの自分を出せているからこそ、輝いて見えますし、こうして私たちのことを大勢の人の前で話すことが出来ているのだと思います」
いつしか2人の人生は『勝利』を求めていたものから、『価値』を生み出そうとするものへと切り替わっていった。時期は違えど、それぞれの人生の中でそこにたどり着いたからこそ、2人はお互いを高め合える存在となれたのだ。
「3月の試合のときに『最後に家族や応援してくれた人たちに勝ちを見せたい』と言っていたので、私は『別に勝たなくてもいいよ。私たちにとって勝ち負けは重要じゃないし、一生懸命戦ってくれたらそれが一番だよ』と伝えました。あの試合でもこれまでの試合でも、そして今この瞬間も私たち家族は夫から『価値』を受け取っていますから」
最後に家族のこれからについて尋ねた。
「この先の人生の方が長いので、いろいろ一緒にやれることもあると思っています。今みんなが夫を応援してくれているのは、夫の人間性があってこそです。彼は『俺は愛鷹だ』という感じで生きているのですが、そこまでカッコつけなくてもいいんじゃないかとも思っています(笑)。
彼はいろんなことに挑戦したいと言っているので、それを縛り付けるのではなく、これまで通り自由にさせながら見守っていきたいですね。今回のようなステージに立つ仕事に関しては、私の経験を伝えていけたらいいなと思っています。私は私で家庭と仕事を両立させながら、アイドルの後輩たちをプロデュースしていけたらなと思っています。
お互いタイプが違うので、うまくリンクさせながら、アドバイスしあって前に進んでいきたいと思います。まずは夫のラストマッチに向けて、家庭一丸となっていきたいです」
2人の人生から教えられたものがある。それは利己ではなく、利他の精神を持って道を切り拓いていくことの大切さだ。そこにこそ、『勝ち』ではなく『価値』を生み出す人生の真髄を見ることができる。
佐藤すみれ(さとう すみれ)
埼玉県出身の元アイドル。夫は格闘家の愛鷹亮。
小学1年生の時にスカウトされ芸能界に入る。子役などの活動を経て2009年にアイドルデビュー。アイドル時代はSKE48およびAKB48に所属し、「すーめろ」の愛称で愛された。2017年に同グループを卒業。
現在はクリエイターとして活動中。カフェやスイーツ、ファッションのプロデュース等を手がけ、講演会講師も務めるなどその活動は多岐にわたる。