TOP > Special > 【前編】あなたにとっての「かち」はなんですか?警察官からK-1ファイターになった男が味わ.. 【前編】あなたにとっての「かち」はなんで..
Special
掲載日:2023.9.28
最終更新日:2023.10.17
【前編】あなたにとっての「かち」はなんですか?警察官からK-1ファイターになった男が味わった暗闇と人生の矜持
NEVEROVERはアスリートのキャリアに特化したサイトであるが、「キャリア」にはそれぞれのアスリートが歩んできた人生そのものも含まれる。今回の主役はプロ格闘家の愛鷹亮。彼は5年間に渡る警察官としてのキャリアを経てプロアスリートの世界に進んだ。いわゆる「セカンドキャリアがプロアスリート」というパターンで、プロキャリア終了後はサードキャリアとなる。本記事では現役K-1ファイターである愛鷹亮が妻、そして元アイドルである佐藤すみれと開催した講演会『アスリートとアイドルの生きる道』の内容と、その後の独占インタビューをもとに、彼の人生模様を3回に渡って描く。リスクを重く感じるセカンドキャリアに飛び込むことにどれだけの覚悟と勇気を要するのか、何をすれば夢だったセカンドキャリアを掴めるのか。そしてどんな困難が待ち受け、その先に何があるのか。リアルな声と共にお届けしていきたい。
シェアする
INTERVIEWEE
愛鷹亮(K-1ファイター)
interviewer / writer : Takahito Ando
はじめに

「あなたにとって『かち』とはなんですか?」

 

このテーマを投げかけてから講演会がスタートした。K-1ファイターと元アイドル。それぞれ別のプロフェッショナルの道を歩む中で出会い、結ばれた愛鷹亮と佐藤すみれは、愛鷹の生まれ故郷でもある静岡で講演会を行った。タイトルは『アスリートとアイドルの生きる道』。

 

100人近い聴衆が集まった中で、2人は90分かけてそれぞれの人生やそこで学んだ教訓を赤裸々に語った。2人はなぜこのタイミングで夫婦講演会を行ったのか。

 

実際に講演会に参加し、翌日に2人にそれぞれロングインタビューを敢行すると、そこには2人の想いと、重なり合うキャリア、そして『人を支える・支えられることの大切さ』『今その時を全力で生きる』という重要なメッセージを受け取ることができた。

 

講演会で愛鷹が投げかけた『かち』は『勝ち』とも取れるし、『価値』とも取れる。結論から先に言うが、彼の物語の核となるものはまさに『勝ちから価値へ』と変遷していく心の動きであった。

 

彼は一体これまでどのような人生を送っていたのか。独占インタビューで彼の深層心理に迫ると、そこには数多くの葛藤と経験、そして決断の連続があり、そして彼の中で『勝ち観』を『価値観』に変えていった心の動きがあった――。

夢と現実の間で葛藤し続けた少年時代

愛鷹亮は1989年12月31日に生を受けた。小さい頃から引っ込み思案で人見知り。前に出ることは好きではない性格だった。

 

その中で柔道に出会い、夢中になっていく少年の心には次第に「強くなりたい、勝ちたい」という気持ちが宿っていった。中学生になると静岡県内でメキメキと頭角を現した亮少年だったが、中学3年生の最後の大会の直前に足の甲を骨折するという大怪我を負ってしまった。

 

彼にとってこの大会は、自分の進路を決める大事な大会。ここで結果を出して強豪高校への推薦入学を勝ち取る覚悟でいただけに、ショックは大きかった。結果、怪我の全治までには4ヶ月を要し、望んでいた強豪校からの声はかからなかった。

 

特待生での入部はできない。ここで彼の中に大きな問題がのしかかった。亮は母子家庭で、3人兄弟の長男。

家庭のことを考え、14歳の少年の心は大きく揺れていた。

「子供ながらに家にお金がないなとはうっすら分かっていました。でも、僕は柔道の強豪校に行って将来的にはオリンピックに出たいという強い夢があった。家計が苦しいけど、僕は一般入試で県内の強豪校である東海大翔洋にどうしても行きたかった」

 

自分を取るか。家庭を取るか。14歳にして悩みに悩んだが、やはり自分の気持ちを抑えることはできなかった。

 

「もちろん母親が朝から夜まで働いてくれて、祖父母が『第二のお父さん、お母さん』となって僕ら3人の子どもを育ててくれていたことは知っていました。東海大翔洋は全体的に裕福な家庭の子どもが通う高校だったので、授業料などはそれなりにすることも分かっていました。

 

でも、やっぱり夢をここで諦めたくなかった。その想いをずっと母や祖父母に話し続けたことで、母、祖父母からの金銭的なサポートと、奨学金を借りることで東海大翔洋を受験することができたんです」

 

想いを貫き、見事に高校に合格。夢に向かって柔道に邁進する日々が始まったが、そこで彼を待っていたのは、柔道以外での強烈な劣等感だった。

望んで進んだ夢の途中で、現実が心に重く蓋をする

「これ、実は初めて話すことなのですが…」

 

愛鷹はこう前置きをすると、少し息を吐いた後にこう続けた。

 

「東海大翔洋の同級生たちの家庭は多くが裕福なんですよ。なので、オフの日に一緒に遊びに行っても、金銭感覚が合わないというギャップが生じたんです。僕はみんなから『服を買いに行こう』『あそこの新作美味しいらしいから食べに行こう』など、『街行ってあれを買おう』と誘われても、僕の少ないお小遣いでは付き合えないんです。

 

本音は高校生ですから、何も考えずにみんなでワイワイ行きたいですよ。でも、それはできない。『俺、練習あるからいいわ』などと嘘をついて行かなかった。それがめちゃくちゃ劣等感を生み出していて、正直恥ずかしかったし、悔しかった。

 

それに僕は高校時代ずっと彼女がいなかったのですが、その理由も柔道に打ち込んでいたということは半分言い訳で、彼女ができたときにデート代やプレゼント代を払うお金がなかったからなんです。

 

自分の中では女の子と割り勘をするのはダサいと思っていましたし、ましてや女の子にお金を出してもらうなんてことになったらもっとダサい。そう考えると、今の自分では相手に見合う付き合いができないと思って、作りたかったけど作らなかったんです。

「柔道に打ち込んでいた」という言葉の半分は、自身の弱みを隠す言い訳でもあった。

これも母にも言ったことがないのですが、やっぱり親同士の付き合いも出るじゃないですか。その時に母が大変だろうなと子どもながらに思っていて、そこにも劣等感を覚えてしまっていました」

 

本当はみんなと一緒にご飯を食べたり、買い物をしたり、遊びに行ったりしたかった。でも、ただでさえ無理をしてまでもここに通わせて、大好きな柔道をやらせてくれている家族に、自分のエゴだけでこれ以上迷惑をかけることはできない。

 

同時に「お前の家、お金がないのか」と思われることも嫌だった。わざわざそれがバレてしまうようなことからは避けてきた。

 

「このまま大学柔道界の強豪である東海大の推薦を勝ち取ることができれば、より夢に近づくことができる。大学経由でオリンピックのメダルを獲る」

 

彼は強烈な劣等感と寂しさを振り切るように、一層柔道に打ち込んでいった。努力の末に彼は静岡王者を勝ち取る。しかし、柔道の推薦枠で東海大に進むのは非常に狭き門であり、東海大会で優勝しなければいけない。彼は東海大会では優勝できなかった。

 

だが、これですべての望みが断たれたわけではない。東海大自体には内部進学をすることが可能で、柔道部に入ることもできる。

 

当然、愛鷹は大学進学を希望した。しかし、これ以上自分のわがままを貫き通せる状況ではない現実が重くのしかかる。

 

「自分の中で、もうこれ以上は難しいとは分かっていました。それでも、母には何度か『大学に行って柔道を続けたい』という気持ちは伝えたのですが、やはり高校3年間ずっと朝から夜まで働いている母の姿を見ていましたし、祖父母のサポートは下の2人にもしてあげないといけない。

 

僕が高卒で働いて、少しでも家族に楽をさせないといけないなと思うようになって、徐々に自分の本音に蓋をするようになりました」

「魂が輝き続ける生き方」を求めて

もう諦めないといけないんだと自分に言い聞かせ、大学進学ではなく就職をすることを決めた。すると、柔道で静岡王者に上り詰めた彼を警察署は見逃さなかった。ある日、清水警察署から彼の家に電話がかかってきた。

 

「警察官採用試験への応募締切が迫っています。早く申込書を出してください。速達で受験票を送るので、記入して送り返してください」

 

警察官になりたいと考えたこともあったが担任の先生や柔道の監督からは「お前には無理だ」と言われていた。それだけに、この話には驚きしかなかった。だが、「警察に進めばお金を稼ぎながら、柔道も本格的に継続ができるし、最適解な進路だと思った」と、彼は言われるがままに受験票を送付し、試験を受けて合格した。

警察官としての道を歩み始めた。

目標はすぐに定まった。警察には柔道、剣道、逮捕術、拳銃射撃、白バイなど、指定された術科を強化する訓練があり、その訓練を受けられる警察官は特練員としてその術科に特化することができる。愛鷹が目指したのは、柔道特練員だった。

 

だが、警察には柔道特練になるために入ってくるライバルもおり、一般試験で入った彼が特練員の枠に割って入ることは至難の業であった。無理を承知の上で彼はこれまでの想いをぶつけるかのように、18歳から柔道と仕事に打ち込んだ。

 

残念ながら柔道特練員になることはできなかった。だが彼の努力が認められ、逮捕術の特練員に選ばれた。さらに警察の中でも花形であり、出世コースとされる機動隊スキューバ潜水隊に選ばれ、水難事故などの遺体捜索や遺留品捜索の任務にあたり、2011年には東日本大震災による遺体回収も経験をした。

 

想像を絶するような過酷な現場での任務。「人間の身体は本当に器だけで、人間そのものじゃないんだなと思ったんです。魂が人間の本質であって、身体はそれを受け入れる器。だからこそ、魂が大事で、魂を持ち続けることが人生なんだと思いました」と人生観を得た一方で、柔道はなかなか思い描いた通りにはいかない。

 

「柔道では勝てないというか、本気で挑んでいるのにどれも中途半端な結果で終わってしまう。本当にこのままでいいのか。自分の魂は今の人生を続けていて輝いてくれるのか。日に日に考えるようになった」

 

逮捕術特練員としては3年間、徒手格闘の静岡県警代表として大会に出場し続け、警察に入って5年目の2012年には関東管区警察逮捕術大会で優勝を果たした。これは静岡県警としても初優勝だった。

 

この瞬間、彼の中で大きな転機が訪れた――。

 

中編はこちらからご覧ください。

愛鷹亮(あいたか りょう)

静岡県沼津市出身のプロキックボクサー。力道場静岡に所属。

妻は元アイドルの佐藤すみれ。

高校卒業後は警察に就職し機動隊員として活動。その後、プロ格闘家になる夢を叶えるために機動隊を除隊。立ち技格闘技の道を志し、Bigbangではヘビー級王座にも就いた。

K-1の舞台では王者シナ・カリミアンを沈めジャイアントキリングを成し遂げるも、怪我で長期離脱を余儀なくされた。現在は自身の引退を懸けたラストマッチに向かい、鍛錬を積む。

CREDIT
interviewer / writer : Takahito Ando
editor : Takushi Yanagawa
director : Yuya Karube
photographer : Fumitaka Nakagawa
assistant : Yuta Tonegawa / Naoko Yamase
SPECIAL THANKS
後藤真子(母)
シェアする