TOP > Career > アスリートから伝統工芸の道へ。杉山浩太が見つけた「新たなポジション」で活躍する方法とは。 アスリートから伝統工芸の道へ。杉山浩太が..
Career
掲載日:2023.3.1
最終更新日:2023.9.14
アスリートから伝統工芸の道へ。杉山浩太が見つけた「新たなポジション」で活躍する方法とは。
Jリーグ「清水エスパルス」のジュニアユースからトップチームへ昇格し、以来10年以上に渡りJ1で活躍した杉山浩太さん。2017年の引退後は清水エスパルスのクラブスタッフを経て、2021年から静岡の街づくりを担う企業の一員としてのキャリアをスタートさせました。 新たな舞台として選んだのは、株式会社創造舎。創造舎は店舗や住宅、施設の建築をデザインし、街づくり、そして文化や情熱を生み出し続けている会社です。創造舎の新事業の一つとして、国内最大級の伝統工芸体験施設である「駿府の工房 匠宿(たくみしゅく)」の管理も行っています。杉山さんは現在、そんな日本の伝統工芸にとって重要な価値を持ち、観光地としても人気な施設の管理者を任されています 自身の経験を踏まえ、「アスリートは努力の方法を知っている」と、セカンドキャリアに戸惑う選手の背中を押します。
シェアする
INTERVIEWEE
杉山浩太(株式会社 創造舎)
interviewer : Isako Yamazaki
writer : Rieko Narita
まだいくら怒られても大丈夫なうちに次のステージへ

-杉山さんは2017年、まだJ1リーグでプレーしている最中に現役引退を発表されました。まだまだプレーできる年齢にも思えます。

 

当時の私は32歳でした。J1でプレーできている状態での引退だったためサポーターのみなさまには不思議に映ったかもしれませんが、自分の中ではシーズンが始まる時点で“ラスト1年”と決めていました。

 

現役引退に対して全く躊躇が無かったわけではありませんが、一方で納得している自分もいました。この感覚をうまく表現するのは難しいのですが、なんとなく「サッカーを始めたときの自分を裏切らなければ終わらせてもいいな」と思っていたんです。それで自分の脳裏に小学校1年生の時の自分を思い浮かべた時に、「いいよ」と言ってくれた気がして。

 

それに、まだいくら怒られても大丈夫な年齢だと思ったからこそ、今のうちに次のステージへ移ろうと考えました。

「チーム作りをする側」に回ってわかったお金の感覚の欠如

-引退後にクラブスタッフとして清水エスパルスに入社されましたが、指導者としてサッカーに関わるという道は考えませんでしたか?

 

引退後に何をするか考えたとき、指導者になる道は私の中にはありませんでした。ただ、全くサッカーとは関わらないというつもりもなくて、いつも何らかの形で恩返しをしたいと思っています。

 

そういった考えもあり最初の仕事として、清水エスパルスに営業として就職しました。実は現役時代から、監督やコーチングスタッフがどのように選ばれているのかに興味があったんです。せっかくなら選手にとってより良い指導者に巡り合わせてあげたいという気持ちも持っていました。

 

引退後はこれまでとは逆の立場と言いますか、チーム作りをする側からサッカーを見てみようと考えたことも、エスパルスで働こうと思った要因です。

 

チーム作りに携わりたいと思いつつ、自分にはお金の感覚が欠落していることに気がつきました。「Jリーグクラブは協賛なくして成り立たない」ということは分かっていても、実際にどのくらいの協賛金を頂いているのか、その協賛をいただくまでにどれくらいの時間・パワー・協賛企業様の努力がかかっているのかということまでは本当の意味でわかっていませんでした。だからこそまずは営業職として働いてみて、自分で経験してみようと思ったんです。

 

父親一族が会社を営んでいますが、特段影響を受けたようには思っていませんでした。家業へ興味を持ったのも、正直なところ引退してからです。営業職として父の会社に足を運んで初めて、ビジネス的な観点で家業を見ることができました。どういった仕事をしているのか、どういった形で収益を得ているのか…。実は知らないことだらけでしたね。

 

そうした経験から、やはり学校を卒業してすぐ企業へ勤めた人に比べると、社会人として遅れを取っているなと痛感します。私で言えば11年もの差がありますから。

「できて当たり前」をやらない選択肢はない

-アスリートからサラリーマンへの転向で、苦労されたこともあったかと思います。

 

営業職として働きはじめて、ビジネスマナーには特に苦労させられました。例えば普段何気なく使う「了解しました」が、ビジネスシーンになると失礼な言葉遣いになってしまう時もあります。こういったことは本を読んで知識を蓄えていきました。

 

引退した選手からよく聞く「パソコンが使えない」という点もまさしくその通りで、これにも苦労しました。色々な仕事をさせてもらいながら少しずつ覚えていったというのが、正直なところです。

 

でも、ちゃんと乗り越えられた。なんとかなるんです。

私も含めて、アスリートの多くは「できないことを良しとしない」というスタンスで生きてきたはずです。今までも、たとえそれが苦手なことであっても練習に練習を重ね、実践し、克服してピッチに立ってきました。

 

ましてや、サラリーマンにとっての「パソコンが使える」ということは、サッカーに置き換えると「サッカーのルールを知っている」くらいの基本的なことです。「できて当たり前」といってもいいかもしれません。

 

そうであれば、やらないという選択肢はないのです。幸いなことに、長い競技生活を通して努力の方法は心得ています。だから「知らなかった」ことへの苦労こそあれ、できるようになるまでに思いのほか苦戦はしなかったです。

縁が繋いだ「チャンスを逃したくない」と思える仕事

清水エスパルスで3年勤められた後、現在のお勤め先である「株式会社 創造舎」へ転職されました。

 

実はこの創造舎、エスパルスの営業時代に初めて契約をもらえた会社なんです。その縁もあって何度か社長と食事に行く機会があり、お会いするたびに「この社長はすごい方だな」と感じ、いつのまにか尊敬していました。いつか創造舎にも恩返しをしたいと思っていましたが、一社員として働くということまでは想像していませんでした。

 

ただ「このチャンスを逃したくない」と思えるほどの仕事を紹介いただいたことで、転職に向けて一気に気持ちが固まりました。 それが今担当している「匠宿(たくみしゅく)」の仕事です。

 

創造舎は「駿府の工房 匠宿」を指定管理者として運営しており、私は施設の責任者を任されております。伝統工芸の仕事に携わりたいという想いは実は現役の時からありました。

 

というのも、自宅を建てた時に初めて「静岡は数多くの家具がつくられている街なのだ」と知ったことがきっかけでした。こうした古くから続く工芸を、大好きな街である静岡の魅力としてもっと世の中に広めたいなと考えています。

 

そのためには、まず目の前の課題一つひとつに取り組み、「匠宿」の運営を安定させることが大前提です。その上で、誰もが笑顔で働ける環境作りを実現させていきたいと思っています。働くみんなが笑顔であってこそ、お客さまの笑顔も生まれると感じています。

 

また営業、そして広報として「匠宿」をより多くの人に広めていきたいです。最近Twitterも始めて、現役時代に私を応援してくれていた人たちからも匠宿という存在に気づいてもらうことができました。いつか「匠宿」が全国に名の知れた施設となり、そこで働いている杉山浩太になることが目標です。

静岡市の伝統工芸体験施設「駿府の工房 匠宿」の統括責任者(兼)営業課長を務める杉山氏。施設運営、新規出店、協賛企画など、仕事内容は多岐にわたる。

 

-創造舎、そして匠宿との出会いは、まさしく「運命」だったのですね。

 

「自分が一番やりたい仕事」に出会えたことは、引退後のキャリアを歩む私の背中を押してくれる体験となりました。

 

私がエスパルスでやっていた営業は「誰かに引き継ぐことができる仕事」です。チームへの協賛を募る活動は清水エスパルスというチームが続く限り、自分がいる/いないに関わらず続けていかなければならないものです。

 

それに対して、創造舎そして匠宿では「今の自分にしかできない仕事」ができる。そう思えたことで、転職を決断することができました。

 

エスパルスの営業の仕事を紐解くと、企画書を作るところから、請求書の発行、看板デザインの進行、お客様のチケット手配、試合当日の運営…と、多岐に渡っていました。それらを一人でこなしてきたことで身に付いた力は非常に大きかったです。

 

会社は移りましたが、これまでの経験がリセットされたわけではありません。最初に清水エスパルスで営業の仕事をしたからこそ、今のような責任や判断を伴う仕事ができているのだと思います。またエスパルスの営業時代に先輩方からいただいた言葉がけも、匠宿での後輩育成の際に活きていますね。

 

全ての経験は繋がるのだ、と思います。

アスリートもサラリーマンも「どちらが上」などない

-アスリートの中には、サラリーマンになることが「キャリアダウン」だと感じる人もいると聞きます。

 

引退後に競技以外で成功することができれば、それは「良いキャリア」になるのではないでしょうか。引退後の選択そのものを「どちらが上か下か」と評価することはできないと思うのです。

 

アスリートとしての生活が絶対的な「上」に位置づくほど、良いものだったのだろうかと思いを巡らすことさえあります。もちろんトップチームにいないと経験できないことはたくさんありましたが、その一方で一選手としてもどかしいことや動きたくても動けないことがあったのも事実です。

 

サラリーマンになってみると、思った以上に会社という組織や社会のルール守られていることを実感します。アスリートにもサラリーマンにも良い側面はあります。ですから、どちらか一方が「上だ」というものでもない、というのが私の考えです。

 

引退後に競技以外で成功するためにも、セカンドキャリアに向けて準備すべきことはあるかもしれません。ですが、現役のうちは競技に専念してもいいのではないか、というのも正直なところです。

 

振り返ってみると、例えばトレーニング終わりから夕方にかけてなど「まだ使える時間」があったなと思うことはあります。ただ当時の感覚では、チーム活動と個人練習以外の時間で何かするというのは、いわゆる「残業の更に後の時間」の活動でした。

 

現役を続けている段階でそこまでやることが、果たして目の前の競技生活にも良い影響を及ぼすかというと、何ともいえないところです。もちろんオンラインレッスンなどを活用すれば手軽に済むかもしれませんが、私から現役の皆さんに無理強いすることはできませんね。

目立つ活動を見て焦らずに、自分のポジションを

-アスリートがセカンドキャリア向けて動き出すために、何を意識するとよいでしょうか?

 

このところ、多くのアスリートが引退後も表に出るようになりました。そういった姿はセカンドキャリアを考えるうえで大いに参考となります。一方で、目立つ姿を見て「自分にできることがあるのだろうか」と引退後の人生に不安を抱く人もいるでしょう。その気持ちもわかります。

 

ただ、目立つ活動をすることだけがセカンドキャリアではありません。ぜひ自分が活きる役割を探してほしいと思います。そのプロセスは、サッカーで自分のポジションを探すのと同じです。

 

まず自分の特徴や強みを理解することです。ポジションを探すことはチーム事情にも左右されます。そのチームの戦術の中でどのようなポジションが必要で、そこに自分がどう貢献するか。それを意識することで、自分を活かしつつチームの利益を追うこともできる場所を見つけることができます。

選手を経験した皆さんは「他の誰かがなんとかしてくれる」とは思わず、結果を残すために自ら努力できる人たちだと私は思っています。自分の活躍が評価に直結する厳しい世界で揉まれてきた経験は、引退後にも活きてきます。

 

「自分のやりたいこと」「今の自分にしかできないこと」を探してみてください。そこに新たな活躍の場所があるはずです。そうして見つけたその場所で、自分もチームも輝くことのできるポジションを見つけてほしいと思います。

杉山浩太(すぎやま こうた)

静岡市出身。小学5年生の時にエスパルスサッカースクールに加入以降、ジュニアユース、ユースを経てトップチームに昇格し、清水エスパルス生え抜きの選手として活躍した。
早くから才能を評価され中心選手となり、ジュニアユース時代は数々のタイトルを獲得。ユース時代には年代別日本代表にも選出され、2002年にクラブ史上初となる「日本クラブユース選手権」で優勝。2003年にプロ選手としてトップチームにデビューした。
トップチームでは、広い視野とパスセンスを活かして守備的ミッドフィールダーとして活躍する一方、怪我とも闘った。
2008年から2シーズンの間、柏レイソルに期限付き移籍。
2010年から清水に復帰。2013年には、クラブ史上初となる、生え抜き選手からのチームキャプテンに就任。本職のボランチだけでなく、センターバックも務めた。
2017年に現役引退。2018年から清水エスパルスの営業部でセカンドキャリアをスタートさせた。2021年4月から株式会社創造舎に入社し、静岡市の伝統工芸体験施設「駿府の工房 匠宿」の統括責任者(兼)営業課長として勤務している。

CREDIT
interviewer: Isako Yamazaki
writer : Rieko Narita
editor : Takushi Yanagawa
director : Yuya Karube
シェアする