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掲載日:2023.3.1
最終更新日:2023.10.17
【前編】「17年間俺は何をしていたんだ…」 現役時代の後悔をバネに、ビジネスの世界で輝く道を進む
高木純平さんは清水エスパルスの育成出身(ジュニアユース・ユース)出身で、同クラブのトップチームをはじめJ1・J2において活躍されました。引退後はクラブスタッフとして株式会社エスパルスの一員となり、広報業務に奔走されています。選手として活躍し、クラブスタッフとしても実績を重ねておられ、一見すると華やかで輝かしい人生を歩まれているように見えます。しかし、その胸の内にはたくさんの苦悩や葛藤、そして大きな夢が秘められています。そんな高木さんの現役時代に対する後悔、クラブや地域への想い、そしてビジネスマンとして抱く強い志についてお話を伺いました。
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INTERVIEWEE
高木純平(株式会社エスパルス 広報部 部長 兼 リンカー)
interviewer: Yuya Karube
writer : Moeka Kawai
エスパルスでスポーツビジネスを次の段階へ

―なぜ現役引退後の進路としてエスパルスへの入社を決められたのでしょうか。

 

引退後にどうしようと考えた時、自分の強みを考えるとやはり「サッカー」という要素は外せませんでした。何より私にとってのエスパルスは、「エスパルスがいなければ今の自分はいない」と確信を持って言えるほどの存在です。育てていただいた恩に報いたい

 

ただ、指導者よりもスポーツビジネスの世界に興味がありました。スポーツビジネスは特殊な業界で、収益の50%がサポート企業によって成り立っています。つまり、支えてもらわなければ成り立たない業界なのです。

 

ご支援いただいている企業の皆様には本当に感謝しかありません。ですが現状に甘えず、いずれは自分たちのサービスにより得られる対価で、ある程度の経営を回せるようにならなければいけないと思っています。そのためには先ずスポーツビジネスを学ばなければなりません。

 

なので、引退後はスポーツビジネスの世界へチャレンジすることを選びました。

原動力は後悔。「17年間俺は何をやっていたのか」

―高木さんのエスパルスに対する強い想いが伝わります。トップチームは元より、ジュニアユース時代の経験も大きいのでしょうか。

 

私は中学1年生の時に、父の仕事の都合で熊本県から静岡県に引っ越してきました。それまでもサッカーはやっていたのですが、正直なところ父親に言われてやっていただけにすぎません。時代的にスラムダンクも流行っていた頃ですから、引っ越しを機にサッカーを辞めようかなとも思っていました。

 

そんな時に縁あって兄と一緒に清水エスパルスのジュニアユース試験を受けたところ、自分だけが合格してしまって。さらに父親も、当初は沼津に住む予定でしたが、エスパルスに通えるようにと清水市への移住を決めてくれました。

 

これは辞めるに辞められないぞと、ジュニアユースでの活動をスタートさせることになったんです。

そこでのサッカーは、私がやってきたサッカーとは全くの別物でした。何をやっても通用しないんです。それがとにかく悔しくて。そこから火が付きましたね。エスパルスに入って初めて「サッカー」というものを教わりました。

 

だからこそクラブへは恩返しをしたいんです。本当は、現役のうちにエスパルスでタイトルを取りたかったんですけどね。一度天皇杯では優勝を経験しているのですが、正直「タイトルを取らせてもらった」という思いの方が強いんです。ベンチに座っていただけでしたから。

―高木さんは2017年に現役生活を終えられましたが、現在のご活躍には非常にアクティブな印象を受けます。何が原動力なのでしょうか。

 

原動力というならば、現役時代の後悔が全てです。私は元々、自分から動かない、動くのが億劫というかびびりというか、そういうタイプの人間なんです。でも自分は現役時代にそれで失敗をしている。引退を決めた時には強烈な感情に襲われました。「17年間、一体何をやっていたんだろう…」と。もう二度とあの感情は味わいたくないんです。

 

引退を決めた時は、かれこれ2,3時間、車の中でぼーっとそのことだけを考えていました。「思い描いたサッカー人生とはほど遠かった…」「自分は17年間で何を残せたんだろう、子供たちに何か与えられたのだろうか、奥さんにはいい思いをさせられたんだろうか」 ということを考え続けていました。

―それほどの出来事であれば、気持ちの切り替えに時間がかかったのではないでしょうか。

 

いえ、翌日には切り替えていました。「次のキャリアで絶対輝いてやる」「現役時代と比べ物にならないくらい活躍してやる」と自分を鼓舞しながら。アスリートって元来、自分のことを信じている生き物だと思うんです。だから「俺ってこんなもん?」と思った時に、このままでは諦められない。

 

ですからエスパルスへの入社も、自分で交渉して掴み取りました。自分のことを諦めたくないですからね。

営業を通じて変わった「待ち」の姿勢

―エスパルスに入社してからは、初めにどんな仕事を担当されましたか?

 

1年目はホームタウン営業部に配属されました。今考えても、最初に営業の経験ができたことは有難かったですね。

 

清水エスパルスというクラブは、ホームタウンに支えられて成り立っています。ですから、地域に根差し寄り添うことが重要ですし、営業という仕事はそれを肌で感じることができる。入社当初に「地域とクラブとの結びつきを学びなさい」と、クラブから業務を与えていただいたことは大きかったです。

 

―営業の仕事を経て、ご自身にも何か変化はありましたか?

 

営業という「人対人」の仕事を通じて、自身の「待ち」のマインドを変えることができました。選手の時代は基本的に「待ち」の状態です。様々なイベント出演や取材にしても、その場をセッティングしてもらっていて、準備が整ったら行って、終わったら帰るだけでいい。

 

ですが営業の仕事はそうはいきません。電話も段取りも片付けも、全て「自分から」働きかける必要があります。どんな時も自分から動いて、学んで、次に活かしていくことが求められるんです。

―自分の中で定着している考え方や姿勢を変えるのは簡単なことでは無いと思います。そうした方向へマインドチェンジするのに苦労はありましたか?

 

自分の場合は大変だと感じませんでしたが、アスリートの多くはプライドや、「ビジネスは競技とは異なる世界だ」という固定観念や抵抗感が邪魔をして、マインドチェンジが大変だと感じるのかもしれません。ただ、サッカー選手だって現役時代からPDCAを幾度となく繰り返しているはずです。スポーツとビジネスの世界は全く違う、ということはないですよね。

 

営業で飛び込んだ先で門前払いを受けることもありました。ですが、それも営業部内で組んだチームで楽しみながら取り組んできました。

 

それに、私は仕事をするうえで決めていたことがあります。それは、1年目はとにかく学ぶこと、2年目でそつなくこなせるようになり、3年目に勝負をする(自分の色を付け足す)、ということです。実際3年目には、ホームタウン次世代育成プロジェクト『エスプラス』の新たな座組を提案、協賛企業まで決めきることができました。

 

これは1つ、営業の仕事の中で手ごたえを得た瞬間です。

クラブのために、清水の街のために何をするのか

―『エスプラス』とはどのような事業なのでしょうか。

 

『エスプラス』では、小学校を訪問して、社会に出てから必要なチカラを考えるキャリア教育授業を行っています。エスパルスの選手やスタッフ、市内の企業の社員がゲスト講師として小学校を訪問し、サッカーと関連づけた内容で算数や理科を教えることに加え、キャリア教育事業を展開しています。

 

元々静岡市と協働して、小学生向けに『エスパルスドリーム教室』という授業を開催していたんです。これがとても良い内容だったのですが、同時に改良の余地もあると感じていて。そこで、パートナー企業と協力して授業をすることで、「小学生にエスパルスを支えてくれている企業を知ってもらおう」ということを考えたのです。

 

本当は、中学生や高校生といった「岐路に立っている子ども達」に向けても行いたかったんですけどね。そこで静岡の魅力を知ってもらうことができれば、静岡市が抱える長年の課題でもある「若年層の人口流出」の解決にも寄与することができるかもしれないですから。

 

結局、クラブのために、清水という街のために何をするのか。その目的が一番大事だと思っています。実はその後、「エスプラス」の話が進み実行段階に移ったタイミングで広報部への異動内示を受けました。

 

最後まで「エスプラス」をやりきりたかったという気持ちもありましたが、次のフェーズへ進み新しい挑戦が始まりました。

後編はこちらからご覧ください。

高木純平(たかき じゅんぺい )

1982年9月1日生まれ。熊本県出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF、DF。
清水エスパルスのジュニアユース、ユースを経て2001年に同クラブトップチームに入団。その後、コンサドーレ札幌、モンテディオ山形、東京ヴェルディへの移籍を経験し、2017年に現役を引退。
現役時代は持ち前の運動量を活かし、両サイドのSH、SBでプレーできる選手として活躍した。
引退後は清水エスパルスに入社。ホームタウン営業部を経て広報部へ配属され、2022年11月より広報部長に就任。

CREDIT
interviewer: Yuya Karube
writer : Moeka Kawai
editor : Takushi Yanagawa
director : Yuya Karube
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