前編はこちらからご覧ください。
―清水エスパルスはクラブ公式Youtubeでの企画『THE REAL』をはじめ、tiktokなどでも積極的に発信をされています。そこでは「サッカーそのもの」に限らず、選手の素顔が見られるようなコンテンツが印象的でした。広報部でのお仕事はいかがでしょうか。
広報という職種は、クラブと関係する企業やファン・サポーターをつなぐ役割を担い、常に近い距離にあります。発信一つをとってもそれに対するリアクションは様々で、時には批判的なものとも向き合わなければなりません。
例えば、いわゆる「ゆるいコンテンツ」は選手の素顔を見ることができて楽しいし、ファン・サポーターの皆様からも好まれます。しかし、クラブの順位やチーム状況によっては、それが反感を買ってしまうこともあります。
試合が近づくにつれ、選手たちの意気込みや熱い想いを配信することで、次戦への期待値や機運を高める必要があります。ファン・サポーターの皆様が求めているのは「勝つこと」であり、クラブの本質は『強さ』です。
昨シーズンは広報部として掲げたKPIをほぼクリアすることができましたが、決して満足はしていません。満足したら終わりですし、自分自身が評価されているかと聞かれれば、それはまた別の話になります。自分を評価するのはあくまで他者ですから。
―2022年11月からは、広報部の部長になられたと伺いました。
素直に評価いただいたことを嬉しく思うと同時に、強く責任を感じています。実はここ最近、少しマンネリを感じていたんです。部署異動するか、広報部内の担当業務を変更するか、どちらかを実行しないと「自分の成長が止まるな」と感じていて。
そんな時にマネジメントへの昇格がきたので「これは視野が変わる」と、新しいチャレンジを嬉しく思いました。良いタイミングでしたね。
-「成長が止まるな」と自分で感じられる人は多くないと思います。人はいわゆる「コンフォートゾーン」にいたいと思いがちですが、高木さんは一瞬でもそこに入るのを良しとされないんですね。
私の学んだ印象深い言葉に、「大人の学びは痛みを伴う」という言葉があって。大人の学びは「恥の意識を捨てること」がスタートであり、恥をかいてでも学ぼうと思える人だけが、成長できる。
つまり自分の嫌がることをどんどんやっていかなければいけないんです。私は自分が「嫌なことから逃げる性格」ということを知っていますから、逃げないようにしています。
これは現役時代の後悔からきているものでもあります。もう二度とあの感情を味わいたくはないですから。
―マネジメントなどの勉強は、なかなか学ぶチャンスも少ないように思います。どのようにしてインプットされているのでしょうか。
毎日の読書を心掛けるようにしています。
以前は、「読書って何がいいの?」と思っていたほど、全く本を読みませんでした。変化のきっかけはJリーグのビジネススクールに通ったことです。そこでは5~6冊の本を読むことが課題として出されていたのですが、緊急事態宣言下ということもあり、この私でも読破することができたんです。今に繋がる読書ライフはそこから始まりました。
忙しい時でも、寝る前になるべく5分でも10分でも、必ず同じ場所・同じ姿勢で読むように心掛けています。読書習慣を始めるまで、特に忙しい時などは帰宅しても頭の中がぐちゃぐちゃでした。ですが寝る前に本を読むと、頭の中がまっさらになるのを感じたんです。
そこから寝床について「明日どうしようかな」とまっさらな状態で向き合うと、自然と整ってくる。「心が整う」というのでしょうか、今ではこれが習慣になって毎月1冊は読むようになりました。
―お話を伺っていると、すっかりビジネスの世界に馴染んでいるように感じるのですが、高木さんにとっての仕事の信条は何でしょうか?
「まずは自分でやってみる」ということですね、やってみなければわかりませんから。何事も極力自分で手を動かすようにしています。
それに担当業務をこなすだけだったら誰でもできる。 それにプラスして「自分だったら何ができるか」を突き詰めることこそ、自分の価値だと思っています。ですから何事も極力自分で手を動かすようにしているんです。
この信条があったからこそ成功したのが、シェアサイクル事業『PULCLE(パルクル)』です。これは静岡市と協働の事業で、静岡市内のまちなかに設置されたステーションなら、どこでも自転車の貸出・返却ができるというものです。
当初この事業にクラブ内では積極的な姿勢は見られませんでしたが、推し進めるための根拠をきちんと提示して説得しました。クラブのリブランディングの周知を図りたかったという「やるべき理由」もありましたし。始めてみると次第に評価もされてきて。やっぱり「やってみないと分からない」と思いました。
それともう一つ、「自分自身の価値向上」を重要視しています。
担当業務や言われたことだけをこなすだけなら、「僕の代わりは誰でもできる」ということになってしまいます。 プラスアルファとして「自分の色を付け加え」より良い事業に昇華させたり、ほんの小さな些細なことでも「more better」を意識する。
それこそ「自分自身の価値向上」につながると思っています。
―部長として、今後どんな広報部にしていきたいですか?
「自分でやってみる」という話にも通じますが、どんどんチャレンジする組織にしたいと思っています。ですから部内で企画したこと、会社としてやると決まったことに対して「必ず率先して手を動かせる組織」でありたい。そのためには個人としても、管理職としてのあり方も、少しずつ実践の中で学んでいきたいです。
人を動かすって難しいことだとは思いますが、ゆくゆくは立派にマネジメントできるようになりたいですね。
私自身は、どうしても自分が手を下したくなるタイプなんです。でもこれからは、自分に続く人間を育てなければなりません。どう言葉かけをしたら動いてくれるか、人によっても違うでしょうし。これからはマネジメントする立場としての振る舞いを意識していかなければと思っています。
それに、嫌われる勇気も持ち合わせなければと思っています。マネジメントする立場になったら、時には厳しいことも言わなければなりません。言わないままの馴れ合いになってしまうと、組織もダメになってしまう。これについては、自分自身を戒めているところです。
―アスリートの中には、高木さんのようにビジネスの世界でうまく力を発揮できるか不安に思っている人もいるはずです。それについてはどう感じられますか?
ビジネスの世界で生きることを考えると、「パソコンができる」などといったこと以上に、「人」の部分が大事なように感じています。例えば「チャレンジし続ける気持ち」とか、「失敗してもくじけない姿勢」とか、「周りの人たちとうまくやること」とか。
実を言うと、サッカー選手のときはかっこつけていました(笑)。プライドも高かったような気がします。
でも今はかっこつける必要はないですし、誰に対しても素の自分でいようと思っています。もちろん全ての人に同じ対応かというとそれは違っていて、話し方で距離感を探ること、仕草でどんな人かを見分けて臨機応変に対応することは心掛けています。「向こうからきてくれた方が嬉しい」という人にはグイグイいきますし。
こうした心がけはスポーツの世界でも培ってきたはずです。「自分にはできないかも」という不安は食わず嫌いなだけかもしれませんから、躊躇しすぎずトライしてほしいですね。
―最後に、高木さん自身の今後に向けた夢や目標をお聞かせください。
私には夢があって。それは「エスパルスを世界に通用するビッグクラブにする」ことです。そして、自分自身がエスパルスを率いるリーダーになりたいと思っています。
以前はこうして大きな目標を口にするタイプではなかったのですが、今後はどんどん言っていこうと思っています。言霊じゃないですが、言葉にすることで実現に向けて一歩ずつ近づいていこうと決めています。自分を諦めたくないですからね。
私は清水エスパルスの育成で育ちました。そしてトップチームに上がり、引退後にフロントに入り組織を率いるリーダーになる。育成型クラブを謳うエスパルスにとって、私がそういった存在になることには非常に大きな意味があると思いますし、育成型の究極形だと思います。だから、そのためにも必ず成し遂げたいと思っています。
それに、私を見て「現役時代の経歴は一切関係なく、自分次第で引退後も輝くことができるんだ」と思ってもらいたいですし、「まだまだこれからだぜ」という姿を見せたい。くすぶっている人たちの希望や、ロールモデルになれたらと思っています。そのためにも、引退後に「キャリアアップ」するアスリートが数多く出てくることが重要だと思います。
私自身が輝くことで、その可能性を示していけるよう頑張ります。
高木純平(たかき じゅんぺい )
1982年9月1日生まれ。熊本県出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF、DF。
清水エスパルスのジュニアユース、ユースを経て2001年に同クラブトップチームに入団。その後、コンサドーレ札幌、モンテディオ山形、東京ヴェルディへの移籍を経験し、2017年に現役を引退。
現役時代は持ち前の運動量を活かし、両サイドのSH、SBでプレーできる選手として活躍した。
引退後は清水エスパルスに入社。ホームタウン営業部を経て広報部へ配属され、2022年11月より広報部長に就任。