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「結局、僕は無意識のうちに自分の理想をずっと求めていたんです。それは何かを達成した時に爆発的な感情や達成感、爽快感が得られる仕事につくことでした。ゴールを決めた時、勝利したときのような感情になれるものを探していた。一喜一憂したかったんです。『次もゴールを取るぞ、勝つぞ』という気持ちにしてくれるもの。達成した時に手元に残るものが欲しかった」
この言葉は多くの元アスリートたちが耳にすれば大きく共感するであろう。やはり一度味わった強烈な体験は誰もが1回で終わらせたくない。ずっと小さい頃からやっていた競技であれば、それを味わう方法は思いつくし、具体的な努力も目標設定もできる。しかし、これまで全くやってこなかったジャンルで、かつ会社員として組織の一員になると、具体的なアプローチを見出すことは難しくなる。
理想と現実に苦しむ青木を救ったのは、両親の一言だった。
「なんかお前、毎日辛そうだぞ。ここで一度転職をしてみないか?うちの会社に来て、職人として働いてみないか?」
彼の父親は大規模な新築現場の電気設備工事をはじめ、エネルギー関連事業を中心に行う株式会社 三光電氣の役員。代表取締役は叔父にあたる関係性だった。
「最初はサッカーの仕事にはつかないと決めていたのと同じくらい、電気工事士の仕事は絶対にやらないと思っていました。理由は身内がやっているので、『安易にそこには行かないでおこう』と思っていたんです。
でも、社会に出て悩んでいる姿を僕の両親がずっと心配してくれていた。ちょうどそのとき僕は32歳だったので、年齢的にも親にいつまでも心配させるより、逆に安心させてあげたいと思って転職することを決めました」
2020年に(株)三光電氣に入社。ポジティブな転職ではなかった。明確な将来のヴィジョンを持った上での転職でもなかった。しかし、結果としてこの決断が彼にとてつもなく大きな光明をもたらしたのだった。
電気工事士としての人生を1からスタートさせた青木は、会社のサポートを受けながら、毎日必死で勉強に打ち込んだ。全く未知の世界だったが、知っていくうちにどんどん知的好奇心が増していく自分がいた。
そして人生で初の作業着を着て、現場に少しずつ立つようになると、そこには信じられないほどエモーショナルな瞬間があった。
「新築物件の電気工事の担当をしたのですが、他の業種や会社の仲間たちと一緒に話し合って、図面をみて、いざ実際に自分が配線をしたもので電気が点灯した瞬間、全身から震えが走ったんです。『やった点灯した!』という喜びと、安心感に加えて、めちゃくちゃ達成感や爽快感を覚えたんです。営業ではいくら契約を取ってもこの感覚はなかった」
心の底から湧き上がる感情。忘れかけていた、ずっと追い求めていた感情が、まさか電気工事でやってくるとは思いもしなかった。一度この喜びを味わってしまったら、もう溢れる想いは止められなかった。どんどん電気工事に対して深い興味と向上心が心の底から湧き出るようになり、まるで自分が現役サッカー選手時代に戻ったような感覚を手にした。
「電気って本当に奥が深いんですよ。みんな当たり前のように家や会社などで電気をつけていますが、その電気が点くまでに本当に多くのドラマがあるんです。最初に電気が点いた時の感動や、完成した後に営業している店舗や企業、生活している家を見て、なんとも言えない幸福感を得られるんです。自分が社会の役に立てているんだなと思える瞬間なんです」
こう話す青木の目は光り輝いていた。それまでの話は昔を思い出すかのように、冷静な目で語っていたが、電気の話題になると前のめりになり、明らかに表情が朗らかになった。
「重たいケーブルをみんなで運んだり、引っ張ったりするのですが、とにかくチームワークが大事なんです。長期間ともに作り上げることで絆も深まりますし、自分自身もチームのために何をすべきか真剣に考える。本当に楽しいし、生き甲斐を感じるんです」
今、彼は国家資格である第1種・第2種電気工事士の資格を取得。電工職人から、様々な分野の職人と調整を行い現場をマネジメントする施工管理も行っている。
「昨年までは職人として施工したりしていましたが、今年は逆に自分が全体の構図や配線、完成図を考えて周りの人に動いてもらう立場になりました。この立場になって一番感じたのは、みんなで作り上げていくことの重要さ。
僕1人では何もできないからこそ、この人はこの仕事が得意だから、ここを任せて、この人とこの人の相性はいいからこう組み合わせようといかに全体がうまく機能するか、それぞれがやりやすく、かつ持っている武器を存分に発揮できる環境を作ることができるかを考えています。
自分で施工することも多々あるので、監督というより、プレーイングマネージャーをやっている感覚ですね。常に勉強が必要だし、学ぶことが多いというか、楽しいです。この仕事がどんどん好きになっていますし、極めたくなっています」
野洲でのセクシーフットボール、調子乗り世代で躍動していたあの頃の自分に近づいた。いや、年齢を重ねて、苦労を重ねたことでその時には味わうことができなかった仕事に対する深みと好奇心が倍増していて、昔を凌駕するような感覚を味わうことができている。
キャリアの晩年、そして引退後の4年間、なかなかたどり着けなかったこの領域に達したことで彼の中で大きな気づきがあった。それは今の仕事とサッカーが大きくリンクしていることと、自ら積極的にリンクさせていることだった。
「電気も1つのゴールに対して、綺麗になおかつ時間を短く、人数少なくやったり、シンプルかつ丁寧に工夫をしたりしながら、チームとして同じ方向性と思考を持って取り組んでいく。もし、そこでエラーが起きたら、時間と人がかかってコストが余計にかかってしまう。
でもそうなったときに自分にベクトルを向けて、自分の成長とどうやったらチームがうまくいくのか、周りを助けられるのかを考える。職人の立場の時はいかに現場の監督やリーダーの意図や狙いを把握して、求められている役割を理解して、そこで自分の持てる力を最大限に発揮することに集中をする。
まとめる立場の時は、職人さんが個性的で十人十色であることを念頭に置いた上で、この人はドリブラー、サイドアタッカー、CBタイプ、ストライカータイプやなとか、『これやらせたらスペシャルだけど、これが課題だから長所が伸びる場所に置こう』とかを考えて行動する。どれもめちゃくちゃサッカーにリンクしているんです。
リンクしているからこそ、サッカー選手時代と同じ達成感、爽快感、目標設定や課題解決に向かう姿勢と思考になっている。それが今、僕がこの仕事にのめりこめている最大の要因だと思います」
初心忘れるべからず。好きこそ物の上手なれ。目を輝かせて話をする彼に「もしかして今が一番セクシーフットボール旋風を巻き起こした時に近い?」と聞くと、「近いですね。間違いないです」と弾けるような笑顔を見せた。
「あの頃と同じ気持ちで電気に向き合っていると思います。周りには乾のような『美しい配線を描ける』天才もいるし、楠神のような一芸に秀でた天才もいる。その中で自分も努力をしないと周りに舐められるし、その才能を生かしきれない。お互いが認め合って、リスペクトをした上で競争意識を持たないといい仕事はできない。まさに目標に向かって切磋琢磨できる環境でやれていると思います」
自分に適したセカンドキャリア。青木は正直、運の良さもあったが、必死に自分らしさを忘れずにもがき続けたからこそ、訪れたチャンスをガッチリと掴み取ることができた。これからセカンドキャリアを考えようとしている人、セカンドキャリアで迷っている人はぜひこのコラムを読んで何かを感じ取ってもらえたらこの上ない喜びだ。
最後に彼の印象的な言葉でこの記事を締めたい。
「前の仕事で達成感が感じられなかったのは、サッカーとリンクしないから楽しくなかったのかなと思う一方で、自分がその仕事に対してリンクさせようとしなかったのも要因だったと思います。結局は自分の考え方、捉え方次第であるし、自分が求めるものを諦めないで掴み取るためにもがき続けることも大事な過程だと思います」
青木孝太(あおき こうた)
滋賀県出身の元プロサッカー選手。ポジションはFW。
2005年の第84回全国高校サッカー選手権大会で、当時2年生だった乾貴士を擁して『セクシーフットボール旋風』を巻き起こし、初優勝を飾った野洲高校のエースストライカーである。高校を卒業後の2006年にジェフユナイテッド千葉へ入団。その後、ファジアーノ岡山、ヴァンフォーレ甲府、ザスパクサツ群馬を渡り歩き、2014年シーズンをもって現役を引退した。
引退後はサッカー界から離れ一般企業に就職。2020年より親族経営の電気工事会社に入社し、電気工事士として従事している。