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掲載日:2023.11.7
最終更新日:2023.11.7
【前編】Jリーガー小泉勇人がパフォーマンス向上のためにプロ並の料理投稿を始めた理由と、それが次のキャリアになるまで
2023年3月、小泉勇人は現役を引退した。192cmの長身GKとして鹿島アントラーズユースから2014年にトップ昇格をすると、鹿島で3シーズン半、J2の水戸ホーリーホックで1シーズン、J3のグルージャ盛岡(半シーズン)、J2のザスパクサツ群馬(半シーズン)、ヴァンフォーレ甲府で3シーズン半を過ごした。出場機会は盛岡に在籍したときに記録したJ3リーグ12試合、甲府の1年目に記録したJ2リーグ1試合に留まるなど、選手として成功を収めたとは言えないが、彼は今、ビジネスシーンにおいて大きな注目を浴びる存在となっている。小泉はプロサッカー選手としての日々で何を感じ、どのような思考のもとで行動をしていたのか。ビジネスシーンで何をして、何を求めているのか。そしてアスリートがSNSを活用することをどう捉えているのか。彼の本音を聞くと、そこには多くの重要な気づきと行動、思考があった。
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INTERVIEWEE
小泉勇人(元Jリーガー×料理研究家×実業家)
interviewer / writer:Takahito Ando
Jリーガーがプロ並みのSNS投稿を始めた

アスリートはSNSでどのようなインパクトを出せるのだろうか

昨今、X(旧Twitter)、instagram、tiktok、Threads(スレッズ)などのSNSが発達し、誰もが気軽に情報を発信できる世の中が加速したことで、多くのアスリートがSNSを活用しながら、自身の想いや出来事を発信する様になった。中には自己プロデュースに活用したり、競技そのものを知ってもらうきっかけにしたりとその活用方法は千差万別だ。

 

これはアスリートに限ったことではないが、SNSによる発信は諸刃の剣で、自身を知ってもらう認知やファンを増やすなどのメリットもあるが、一方で「本業に支障が出ている」、「プロならプレーで見せるべき」などの非難を浴びるデメリットもある。

 

アスリートはSNSにどう向き合っていくべきなのか。その視点で筆者はいろいろなアスリートの発信を見ているが、その中で2年前から気になるアスリートがいた。

 

それが小泉勇人だ。

 

彼が現在注目される大きなきっかけとなったのがSNSだ。彼は甲府に在籍した2021年からX(旧Twitter)やinstagramで自身が作る料理を載せ始めた。

小泉のinstagramより

 

その品目の多さと盛り付けの彩、器の綺麗さ、そして何より長身で華やかなJリーガーが自ら調理をした料理の画像を次々と挙げていく様に、サッカーファンだけではなく、多くの人たちが注目するようになった。筆者もその1人だった。

 

筆者は昔から料理が大好きで、今も定期的に料理をしている。それもあって彼の投稿は筆者とっても『共通の趣味』として興味が惹かれた。さらに彼はアカウントを分け、自炊記録専用アカウントを立ち上げると、レシピも公開するようになった。筆者も実際に参考にして何品か作ったが非常に美味しく、自身の鉄板メニューにもなった。

 

月日を重ねるごとに更新ペースは上がっていき、現役引退後には器をプロデュースしたり、プロサッカー選手やプロ野球選手などのアスリートの栄養指導を行ったり、実際にキャンプなどに帯同をして料理を作るなど、『食』を軸に躍動をしていく様がSNSから伝わった。

 

今では多くの企業の食に関するプロデュースやレシピ本を刊行するなど、新たに活躍の場を広げている。

 

今回のメインテーマである「アスリートとSNS」には中編で触れる。前編は彼のサッカー人生とはどの様なもので、何が今につながっているのかを描き、後編では今のビジネスモデルとヴィジョンについて描いていきたい。

料理が嫌いだという衝撃の事実。『好きこそ物の上手なれ』の逆を行く

「小泉さんは料理がもともと好きだったのですか?」というオーソドックスな問いかけから始まったインタビュー。しかし、それに対する彼の答えは予想に反した。

 

嫌いです。めちゃくちゃ嫌いです。今も嫌いですし、できることならやりたくないです」

 

完全に出鼻を挫かれた気持ちだった。てっきり趣味が高じての流れだと思っていたが、実際は全くそうではなかった。

 

では、なぜやりたくもないことをライフワークにし、今ではビジネスの中心にしているのだろうか。答えはシンプルだった。

 

「アスリートは自分が上手くなるため、より高いステージに行くため、夢を叶えるためにやりたくないことを率先してやるじゃないですか。それと全く同じで、自分のフィジカルやメンタルを良くするためにも食事を整えることが大事だと思ったので、そこのマインドセットでやったに過ぎないんです。つまりはアスリート視点から始まったことで料理が好きだからやったわけではありません」

 

料理を始めたきっかけは、超えられるかわからない壁と立ち向かう「努力の一環」だった。

 

この行動に移るまでの彼のサッカー人生から振り返っていきたい。

GKという慣れない服を着続けたサッカー人生

1995年9月14日に茨城県神栖市で生を受けた小泉は、小学校時代に大野原SSSでプレー。長身を買われて小学校5年生でGKに転身すると、中学は地元の名門クラブである鹿島アントラーズジュニアユースでプレー。ユースに昇格をすると、2014年には同期の中で唯一のトップ昇格を手にした。

 

「GKはそこまで好きではなかったというか、年齢を重ねれば重ねるほど、サッカーの世界で生きるならGKしかないという状況になっていったというのが正直な流れです。でも、僕はプロサッカー選手になって活躍するのが夢だったので、毎日が必死でした」

 

トップ昇格時、鹿島のゴールマウスを守っていたのはレジェンド・曽ヶ端準だった。小泉が小学生になった時から鹿島の絶対的守護神であり続けた曽ヶ端は、小泉がトップ昇格をしてからは巨大な壁であり続けた。

 

「ソガさんは雰囲気、立ち振る舞いがどれもプロフェッショナルで、細かい技術も物凄く高い。いろいろなことも学ばせてもらった一方で、超えたくても超えられない壁でした」

 

水戸に移籍をしても、そこには今も現役を続けるレジェンド・本間幸司、経験豊富な笠原昂史がいた。

 

「笠原さんも僕と同じくらいのサイズ(191cm)だったのですが、筋力が全然違った。笠原さんは抜群のパワーがあって、そこで大きな差を感じました」

 

そこで小泉は自分のフィジカルの足りなさを痛感し、筋トレに励むようになった。しかし、意識して取り組めども笠原のような強靭な筋力がなかなか付かない。そんな自分に悩むようになった。

 

移籍した盛岡で試合に出られるようになり、もう一度這い上がるために群馬でJ2復帰を果たすが、自信を持って臨んだ新天地では1学年下の当時大卒ルーキーだった吉田舜(現・浦和レッズ)の後塵を拝することになった。

 

「正直、なかなか出番をつかめない自分が情けなかったし、『もう辞めよう』と何度も思いました。でも、やっぱりこのまま終わるのも悔しかったし、周りを見返したいという気持ちが強かった。サッカーを楽しみたいというよりも、どうにかライバルたちに食らいついていきたいという一心でした」

 

甲府に来てからも苦しい時期は続いた。だが、ここで人生の転機を掴む。彼はフィジカルを上げるために筋トレだけではなく、栄養面や治療面でのアプローチを考えるようになった。

 

もっと自分の身体に投資するようになりました」と語るように、食事の栄養バランスやサプリメントの種類、補給のタイミングなどを勉強し、治療院を探して鍼灸などで身体のメンテナンスをするようになった。

アスリートとして成功を収めるために考えた行動がいつしか自分に別の価値を生み出していく

嫌なことだからやらない、好きなことだからやるのではなく、全ては自分のパフォーマンスを上げるために。主眼はまさにそこにあった。さらに2020年に新型コロナウィルス感染症拡大が始まったことで、小泉の食に対する行動は加速することになる。

 

「外出制限がかかり、試合もなくなって勝利給も入らない状況だったので、自炊するしかないことが大きなきっかけになりました。数日分の食材を買って、そこから栄養バランスを考え、かつ毎日飽きないように彩りのある食事を作るようになりました」

 

この時から「ただ作って自分で食べるだけじゃ楽しくないから、それをみんなに見てもらおうと、SNSにアップするようになりました」と料理だけではなく、後に自分のライフワークになっていく。

 

「シンプルに周りの人の反応がポジティブで嬉しかったというのもあります。『僕の価値って何?』と聞かれた時に、そもそも試合に出ていないし、フットボーラーとしての価値を自分で見出せていませんでした。それに、周りからも『フットボーラーとしての価値』を感じてもらえていないような気がしていました。

 

そんな自分でも、料理を載せ始めたら徐々に反響をもらえるようになった。プロサッカー選手が自ら料理を作って発信することに価値を見出してもらえるのだと思えるようになりました」

instagramの投稿には、レシピだけでなく盛り付け方なども並ぶ

 

この過程で彼の持つ「物事の考え方のうまさ」も垣間見ることができた。彼は自分の嫌いなことを無理やり好きになろうとするのではなく、嫌いであることを認めながらも、それを日常化することで当たり前にやる習慣にしたのだった。

 

「僕にとって『歯磨きやお風呂はめんどくさいけど、毎日欠かさずやるよね』という感覚と同じようにしているのが料理。そこは今も変わりません」

 

彼は好き嫌いではなく、目標、意義、価値を明確にするウェルビーイングをこの時まさに行っていた。

 

「食事を整えたら、身体の消化機能、疲労回復、気力なども充実してきて、メンタル的にも安定してくるようになったんです」

 

J2リーグが夏に開幕した2020年シーズン、彼は甲府のセカンドGKとしてベンチ入りをし続け、第34節の愛媛FC戦でスタメンフル出場を果たした。続く2021年シーズンはリーグ出場こそなかったものの、21試合にベンチ入りするなど、セカンドGKとして守護神獲得にあと一歩のところまで迫っていた。

 

プレー面で手応えを感じた小泉はアスリート向けの栄養学だけではなく、老若男女に通ずる栄養学にも興味を示すようになり、2021年の1年間でアスリートフードマイスター3級、上級食育アドバイザー、野菜スペシャリスト、生活習慣病予防プランナー、腸活アドバイザー、ナチュラルフードコーディネーターの6つの資格を通信で取得。

 

さらに一度火がついた探究心は止まらず、メンタル面やフィジカルトレーニング面にも興味を持ちJADP認定メンタル心理カウンセラー、行動心理士、スポーツメンタルトレーナー、パーソナルトレーナーの資格を次々と取得していった。

 

「知識が1から2、2から3に増えていく。点がどんどんできていって、次々に線で繋がっていく。同時にプロサッカー選手としての可能性、一人の社会人としての可能性が広がっていく感覚でした」

 

練習でも身体が思うように動き、いつ出番が来ても活躍できるという自信で漲っている。そしてピッチ外では料理のSNSを通じてサッカー以外のファンや知り合いが増えていく。選手としても人間としても視野がどんどん広がっていく中で、彼にとって大きなターニングポイントを迎えた――。

 

中編はこちらからご覧ください。

小泉勇人(こいずみ ゆうと)

茨城県神栖市出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。
2014年に鹿島アントラーズのトップチームに昇格。その後は水戸ホーリーホック、グルージャ盛岡、ザスパクサツ群馬、ヴァンフォーレ甲府を渡り歩く。2023年2月15日に引退を発表、8年間の現役生活に幕を下ろした。
コロナ禍で練習が出来ない時期に本格的に料理に取り組み始め、アスリートフードマイスター3級や上級食育アドバイザーなど6つの食に関する資格を取得した。2021年7月より自炊記録アカウントを立ち上げ、食に関する情報を自ら発信している。

CREDIT
interviewer / writer : Takahito Ando
editor : Takushi Yanagawa
director : Yuya Karube
assistant : Naoko Yamase
SPECIAL THANKS
兼下真由子(WINメディテーション®創始者 / 株式会社WINメディテーションジャパン代表 / 株式会社WINZONE代表)
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