流通経済大柏高校時代から、きちんと相手を見て会話ができる選手だった。2011年に高卒でJ1のアルビレックス新潟へ加入し、2年間でリーグ出場が僅か2試合とプロの壁に打ち当たった。2013年にJ2のザスパクサツ群馬に移籍をした時に少し取材をしたが、その時も人間性は変わらなかった。
だが今回の取材では、本人から当時について「まだまだ自分のことしか考えることができていない利己的な自分でした。もしかしたらいい子を演じていたのかもしれません」という言葉が返ってきた。
「価値観が変化するまでは自分がどうするか、自分がどう這い上がっていくかみたいな、自分が主で考えていました」
もちろん、その考えは間違っていない。厳しいプロの世界に進めば、結果を出さなければクビ、という厳しい生存競争となる。プロになったばかりの人間が他人のことを気にしていられる余裕は一切ない。
もっと自己中心的な選手もいる中で、彼は他人に配慮できる人間だった。そんな彼にとって価値観が変化する2つの大きなきっかけがあったという。
「1つが群馬からのレンタルを終えて、大分トリニータに再び期限つき移籍をした2014年でした。僕は小さい頃からずっとお爺ちゃん子で、僕がサッカーをしているのをずっと応援してくれていたし、僕もお爺ちゃんにいいプレーを見せたいと思っていました。それはプロになっても変わっていなかったのですが、2014年の夏にお爺ちゃんが亡くなったんです。
最後に会った時にはもう厳しい状態で、その姿を見て、お爺ちゃんにこれまでしてもらってきたことがバーっと頭の中で流れて、『俺ってもの凄く愛されていたんだ』と改めて気づいたんです。その気づきで僕の中で何かが変わったんです」
この時、その「何か」が分からなかった。だが、それが何なのか明確になる瞬間が訪れた。
「もう忘れもしませんが、ことの始まりは2018年です。ちょうど僕が期限つき移籍先の町田ゼルビアから、ファジアーノ岡山に完全移籍をした年でした。
前年にはJ2の町田でリーグ26試合に出場をして、『ここから巻き返すぞ』と意気込みを持って挑んだシーズンでしたが、町田時代の最後の方で感じた左膝の痛みがどんどん強くなってきて、途中からは日常の歩行にも影響するほどの激痛になってしまったんです」
原因は不明だった。いろいろな病院や腕の良いトレーナーのもとに行っては、必死で原因を突き詰めて治療しようともがいた。だが、どこに行っても回答は「原因不明」。最終的には「原因不明の神経痛」と診断され、鎮痛剤を使いながら、この痛みと付き合っていく覚悟を背負わなければいけなかった。
「2018年の5月下旬から試合に復帰をして、CBとしてレギュラーになることができたんです。でも、膝の痛みは継続していて、復帰しては離脱しての繰り返しでした。2019年はリーグ8試合出場、出場時間も248分と散々な成績で終わってしまいました」
どん底だった。ずっと脳裏に『引退』の2文字が浮かび続けていた。だが、そこで彼の心の中に湧き起こったのは、絶望ではなく、周りへの感謝の気持ちだった。
「理由が分からない焦りはもちろんありましたが、それ以上に周りの人間が僕に真剣に向き合ってくれていることに大きな衝撃を受けたんです。
原因は突き詰められなかったけど、どの病院の医者の人たちも、トレーナーも、治療家の人たちも、全員が治そうと一生懸命診てくれて、原因究明に取り組んでくれた。その時に、『え、この人たちにとって俺の身体なんて別に関係ないのに、なぜそこまで…』と思ったんです。この瞬間に利己ではない利他の心を感じたことで、僕の視野が一気に広がったんです」
2019年のシーズンが終わり、2020年のシーズンもコンディションが上がらずに出番を掴めなかった。しかし、広がった視野の中に飛び込んだのは、試合にすら出られていない自分を心から応援してくれる、支えてくれる人たちの姿だった。そこには今の妻もいた。
「このままサッカーを辞めてしまったら周りの人たちに申し訳ない、と思って続けることを決断しました」
2020年も1試合も出場できないまま、10月に藤枝MYFCに期限付き移籍。そこでも出番を得られず、岡山、藤枝共に来季の契約を掴めなかったが、それでも彼はスパイクを脱ぐことなくトライアウトに挑んだ。
「人生初のトライアウトはもう感謝の気持ちしかなかった。自分を見てもらうだけでなく、周りに支えられた自分を表現しようと思って臨んだ結果、ブラウブリッツ秋田さんからオファーをいただくことができました」
ちょうどこの時、秋田はJ3で優勝し、J2昇格を手にしていた。J2、J3で全く出番のなかった中で、再びJ2にチャレンジするチャンスを掴み取ったのだ。
「これも感謝しかありませんでした。秋田のために全身全霊を尽くそうと思った」
視野が広がったことと、利他の心を持って行動することで切り開かれた人生。これは彼の人生観に大きな影響を及ぼした。
「自分が与える存在と勘違いしていた時から、お爺ちゃんの死でそうではないと気づくきっかけが生まれて、2018年から2020年の間の出来事で、それが確信に変わったんです。自分は『与えられている存在』なのだと。
それに気付いたことで、自分自身の価値観を見つめ直すことができた。『自分は何のためにサッカーをしているのか、何のために生きているのか』を考えて、時間をかけて深掘りしていくと、『自分が死ぬ時にどう思っていることが幸せなのか』という問いかけに、『マグと出会えて、私の人生は幸せだった』と言ってもらえたら幸せだなと自答したんです。
じゃあ、その幸せだったと言ってもらえるためには、その人たちがどんな状態だったらいいのかを考えたら、その人たち自身が何かに夢中になっていたり、やりたいことに熱中して、イキイキとしている状態だったら、そう言ってもらえるんじゃないかなと。僕だけが活力に満ちて、夢中になっているだけじゃダメで、自分の周りにいる人間もその状態じゃないといけない。
そこにたどり着いた時に、将来的にはイキイキとしている人を増やしたいと考えるようになって、結果としてそれが秋田での2年間、オーストラリアの1年間、そして今の職業につながっていくんです」
人生の分岐点を迎えた増田は、この信念を胸に人生を突き進んでいく――。
中編はこちらからご覧ください。
増田繁人(ますだ しげと)
千葉県出身の元プロサッカー選手。ポジションはCB。
流通経済大学付属柏高校を卒業後、2011年にアルビレックス新潟へ入団。以降は2013年にザスパクサツ群馬、2014年に大分トリニータ、2015年にJ3のFC町田ゼルビアへの期限付き移籍を経て、2016年にアルビレックス新潟へ復帰した。その後は再び町田ゼルビアやファジアーノ岡山、藤枝MYFC、ブラウブリッツ秋田と複数のチームを渡り歩き、2023年、ナショナル・プレミアリーグス・ビクトリアのハイデルバーグ・ユナイテッドFCに加入した。2024年2月15日に現役引退を発表。
現役時代は190cmの長身を武器に、ヘディングや対人プレーでチームの勝利に貢献した。
現在は株式会社リーディングマークに所属し、新たなキャリアを歩んでいる。