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利己的思考から利他的思考へ。大きな価値観の変化を迎えた増田は2021年、秋田の地に降り立った。
秋田のためにと臨んだシーズンは開幕スタメンを飾ると、そこから6試合連続スタメンでフル出場。第7節、第8節はスタメンから外れるも、第9節から再びスタメンを掴んで4試合連続スタメン。ここから負傷もあって1ヶ月半ほどの離脱を強いられるが、復帰後は再び出番を掴み取って、リーグ終盤は不動の存在となった。結果、リーグ28試合出場、その全てがスタメンフル出場という、2015年の町田時代に次ぐ、J2としてはキャリアハイの成績を残した。
だが、翌2022年は辛い1年となった。2021年シーズン終了後に両足関節変形性足関節症で手術をすることになり、そこから思うように復帰できないまま、シーズンで1度も出場できずに終わった。
「完全にエネルギーが尽きかけていた2020年と比べて、身体はボロボロでしたが、心は折れていなかった。サッカーに打ち込む理由が明確になっていたので、終わりが近づいているサッカー人生、夢だった海外チャレンジをしようと思いました」
2023年、彼はオーストラリアの2部リーグに該当するナショナル・プレミアリーグス・ビクトリアに所属するハイデルバーグ・ユナイテッドFCに移籍。1シーズンプレーしたが、「最終的に怪我によって志半ばで断念するしかない状況になったんです」とその年の10月に帰国。そこから国内でリハビリ、治療に励んで、来季もプロサッカー選手として続行できるように努力をしたが、チームもなかなか見つからず、気持ちで保っていた身体はついに悲鳴を上げた。
「正直、プロサッカー選手をやり切って終わりたかった。ここで引退を決めるのは『プロサッカー選手に2度と戻れない』と抵抗があったのですが、やはり身体が限界に来ている事実は受け止めないといけませんでした」
振り返れば現役生活を通じて手術をした回数は7回。もうボロボロだった。ここが潮時と悟り、2024年2月に引退を決意。SNSを通じて発表をした。
ここからの人生はどうするべきか。人生の道標になったのは、利他の心だった。
「自分だけではなく、人の人生を輝かせるというか、イキイキした人生を送ってもらえるサポートをしたいと考えたんです」
ただ、どの業種でそれを実現させるかは決まっていなかった。そこで彼はもう一度自分と向き合い、自己との深い対話を行なった。
「まず考えたのはサッカーの世界に残るか残らないか。ありがたいことに、これまでお世話になった複数のJクラブからスタッフとしてのオファーをもらったのですが、『今、ここでサッカー界に残っていいものか』と悩みました。スポーツやサッカーに恩返しはしたいと思っているけど、今は恩返しできる僕の『力の総量』はそこまで大きくないと思ったんです。
レーダーチャートで言うと、僕はサッカーという一部分だけがとんがっていた。そこからグッと全体的に押し広げる作業が絶対に必要だと思ったので、サッカー界から飛び出そうと思いました。じゃあ、その中でどんな職業を選ぶのかと考えた時、いろんな業界とリンクできる場所が良いなと。
人生を長期的に見たら、サッカーという自分が培ってきたものを、そのまま残って足し算で還元していくのではなくて、別の何か大きなものとプロでの13年間を掛け算していくべきだと思いました。1からのスタートでもいいから、これらの条件に当てはまる仕事にチャレンジしようと決めました」
早速彼は行動に移した。知人からの誘い、紹介だけではなく、自分で転職エージェントに登録をし、履歴書を提出してひっかかる企業を待った。
「31歳高卒のJリーガーが世の中でどんな評価を受けるのかも気になっていたので。つながりと自力の2軸で走っていました。正直、最初はやっぱり知り合いの企業に行く前提で話を進めていたんです」というが、転職エージェントに紹介された企業に行ってみると、自分の価値観、人生観を刺激する出会いがあった。それが今の勤め先だった。
「株式会社リーディングマークという、企業の人材適性検査を行う『ミキワメ』というアプリをメインに手掛けているIT系の会社とコンタクトが取れて、面接を受けたんです。正直、『とりあえず受けてみるか』程度だったのですが、面接を重ねていくうちに、会う人会う人のフィーリングが凄く良かったんです。
決め手は『誰もがウェルビーイング(心も身体も健康で社会的にも良い状態にあること)でいられる世界を実現する』という会社の理念で、僕が現役時代に考えていた『自分だけではなく、人の人生を輝かせるというか、イキイキした人生を送ってもらえるサポートをしたい』想いと完全にマッチすると感じました」
補足をすると『ミキワメ』は企業が新入社員を採用する際に、採用試験の1つとして活用する適性検査である。日本におけるシェアはリクルートが運営する『SPI』が1位で、日本エス・エイチ・エル株式会社が運営する『SHLテスト』が2位、『ミキワメ』は3位となっている。
人が社会でやりがいを持って働いていけるサポートをする、企業にマッチする人財を確保し、発展していくことをサポートする。しかも、様々な業種を相手にして仕事ができる。増田の心は大きく揺さぶられた。
「最終的に『この人たちと働いてみたい』と強く思い、内定をもらってすぐに決めました」
増田の最初の仕事は『ミキワメ』というソフトウェアを企業に導入してもらうための営業だった。2024年6月1日に入社をし、意気揚々とセカンドキャリアをスタートさせたが、すぐに現実を突きつけられることとなる。
営業と言っても、企業に電話をして商談のアポイントメントを取る部署と、そのアポイントメントから商談をする2つの部署があった。増田が最初に配属されたのはアポイントメントを取る部署だった。
「やる気全開で挑んだはずなのですが、いきなり壁にぶち当たりました。営業電話をかけても、まだ何も知識がない僕が相手にされるわけがないんです。中には『うるせぇ!今忙しんだよ!』と怒鳴られることもあって、もの凄く凹みました。なかなか成約も取れないですし、それどころか話も聞いてもらえないことが続いて、どんどんやる気が奪われていくんです」
当初は「まだ最初だし、成約が取れなくても仕方がない」と思っていたが、3ヶ月目になってもアポイント数は20人近くいる部署でぶっちぎりの最下位。自分の無力さに打ちのめされた。
「正直、毎日がめちゃくちゃつまらなくて、『サッカー界に残っていればよかった』と思ってしまいました」
当然、その感情は表に出さなくても周りには伝わる。元Jリーガーとして溌剌な仕事を期待していた周りの目が冷めていくのを、ヒシヒシと感じるようになった。
「俺って何をやっているんだろう…」
惨めな思いが広がっていく。だが、ここで彼は自力で、再び利己の心ばかりになっていた自分に気づいた。利他の心を抱いて再び前に進み出した彼は、セカンドキャリアにおいて重要なものを学んでいく。
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増田繁人(ますだ しげと)
千葉県出身の元プロサッカー選手。ポジションはCB。
流通経済大学付属柏高校を卒業後、2011年にアルビレックス新潟へ入団。以降は2013年にザスパクサツ群馬、2014年に大分トリニータ、2015年にJ3のFC町田ゼルビアへの期限付き移籍を経て、2016年にアルビレックス新潟へ復帰した。その後は再び町田ゼルビアやファジアーノ岡山、藤枝MYFC、ブラウブリッツ秋田と複数のチームを渡り歩き、2023年、ナショナル・プレミアリーグス・ビクトリアのハイデルバーグ・ユナイテッドFCに加入した。2024年2月15日に現役引退を発表。
現役時代は190cmの長身を武器に、ヘディングや対人プレーでチームの勝利に貢献した。
現在は株式会社リーディングマークに所属し、新たなキャリアを歩んでいる。