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掲載日:2026.4.27
最終更新日:2026.4.28
パズルのピースは揃った。三好副社長と槙野新監督、1987年生まれのタッグが藤枝MYFCに起こす化学反応
槙野智章新監督が就任し、大きな話題を呼んでいるJ2・藤枝MYFC。2014年にJリーグに入会すると、2021年の途中で須藤大輔・前監督が就任すると、2022年には悲願のJ2昇格を達成し、須藤体制5年目の昨季はJ2を15位でフィニッシュ。今季は新体制で臨む新たなシーズンとなった。 その中でクラブ運営の中枢を担っているのが、副社長としての役職を2023年から務める三好洋央だ。彼は2016年から2017年の2年間、選手としてクラブでプレーをしていた元Jリーガーでもある。 彼の波乱に満ちた人生は3回に分けて紹介をしてきた。ここでは彼が藤枝MYFCに新たにもたらした『風』についての経緯と真意を番外編として認めたい。槙野新監督(愛称・ミスター)の招聘は三好副社長のビジョンと合致した部分が多かった。
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INTERVIEWEE
三好洋央(藤枝MYFC・取締役副社長)
interviewer / writer:Takahito Ando

前編からこちらからご覧ください。

 

「ミスターが品川CC横浜で指揮を執っていたことはもちろん知っていました。監督選定は藤枝MYFCのサッカースタイル、クラブカラー、理念と照らし合わせながら行っていきましたね。

 

その上で大事にしたのは須藤大輔・前監督(2021年7月〜2025年の4年半指揮)が築き上げてくださったものであり、自分たちの目指しているスタイルをしっかりと継承すること。

 

新監督に求めることはそこからさらに積み上げができて、リーダーシップがあり、かつ選手に対して情熱を持って接してくれる人物という条項が上がっていきました。それらの条項、思いと合致する人物として真っ先に浮かんだのがミスターでした」

須藤前監督が退任する流れになった際、三好は槙野監督のプロライセンスを取得する過程を含め、動向を注視していた。他にもリストアップをしていた人物もいたが、「藤枝MYFCはまだまだ若いクラブですし、これから成長するクラブだからこそ、一緒に成長できる人物がいいという結論に至りました」と、槙野へ打診をした。

 

もちろん即座にOKというわけではなく、話し合いの場は持たれた。最初は強化部との話し合いだったが、その場でクラブの歴史、目指すスタイル、クラブの理念を伝え、かつ槙野監督のプレーモデルや理念を話していくうちに、お互いの意図がパズルのようにうまくハマっていく手応えを得ることができた。

 

「須藤さんが残してくれたものが大きくて濃いからこそ、それを上回るような個性や情熱、パワーを持ったミスターしかいないと思いました」

 

すかさずオファーを出した。そして、昨年12月8日にJFA Proライセンスを取得し、12月12日に来季からの監督就任が発表された。

 

「当然、ミスターがプロの監督として未経験ということを指摘する声が出てくることは理解しています。でも、我々はそこに抵抗は一切ありません。須藤前監督も監督経験としてはガイナーレ鳥取で半年間指揮を執ったのみで、しばらく期間が空いてから藤枝で指揮を執っていただき、経験が少ない状態でここまでのチームに仕立て上げてくださいました。もちろん実績も大事なんですが、我々が獲得するのは大卒を始め若い選手が多いからこそ、若い選手の気持ちを突き動かすことができるパッションを持ったモチベータータイプの人物であることが重要でした。彼は選手経験も豊富で、浦和レッズではリーグ優勝、天皇杯優勝、ACL優勝を成し遂げて、日本代表としてW杯を経験して、海外でもプレー経験がある。勝者のメンタリティー、王者のメンタリティー、そしてチャレンジして上に駆け上がっていくマインドを持っている。この人しかいないと思いました」

もちろん簡単にオファーを出せたわけではない。議論に議論を重ね、何度も自分たちが大事にしていることを確認し、フロント側で共通認識を持った上で、新たな一歩を踏み出す大きな決断だった。

 

槙野新監督にとっても初のプロの監督のチャレンジがJ2リーグで、かつ前監督のカラーが色濃く残った状況での就任だからこそ、生半可な決断ではなかったし、相当な覚悟を持っての監督就任だった。

 

槙野新監督による新生・藤枝MYFCは、双方がお互いの考えを理解し、信頼しあい、共にチャレンジをする形で実現したのだった。

 

最後に三好と槙野監督は10代の時からすでに縁があった。二人とも1987年生まれの同い年で誕生日も6日違い。三好は本文でも触れたように当時所属したクラブチームがサンフレッチェユースへのルートを持っており、中学3年生の時にセレクションに参加をしている。そこに槙野もおり、それが二人の初見となった。

 

「1人だけ雰囲気が全然違ったんです。物凄くオーラがあって、1人だけ高校生のような雰囲気を纏っていて、『こんな選手がいるんだ』と衝撃を受けました。ピッチ外ではよくしゃべるし、ピッチ内では腹の底から声を出しているというか、しっかりと主張をして自分を出している。『凄いキャラクターだな』と中学生ながらに思いました」

 

槙野、柏木陽介、森重真人らと最終選考まで残ったが、三好は不合格となった。もしここで合格をしていたら、槙野監督とはチームメイトになっていた。

 

その後、三好は大分トリニータU-18に進んだが、広島ユースとは練習試合や公式戦で何度も戦った。実際に筆者が見ていた試合もある。それは2005年の高円宮杯全日本ユースサッカー選手権決勝トーナメント初戦。

 

3番を背負ってDFリーダーだった槙野と、背番号10を背負って攻撃の中心だった三好のマッチアップは非常に面白かったのを覚えている。余談だが、当時の広島ユースには槙野、柏木の他にFW平繁龍一がおり、大分U-18には1学年下のFW清武弘嗣がいた。白熱の一戦は大分U-18が先制するも、広島ユースが試合をひっくり返して2-1の勝利で決着した。

「当時からミスターは本当に明るくて、元気で、かつ強い。サッカーに真面目で努力家なんだなと思っていました。ずっと人として常に魅力的だからこそ、今回のような縁にもつながりました。こうして年月が経って、まさか一緒に戦うことができるのは本当に嬉しいし、人生って不思議だなと思いました」

 

人と人をつなぐ縁は思いがけないところで形になり、未来を紡いでいく。それぞれ異なる人生を歩んできた同級生のタッグは、藤枝MYFCをどのような道に進めていくのか。多くの人たちの期待を乗せ、槙野藤枝は新たなる船出を切る。

プロフィール写真

三好洋央(みよし ひろちか)

長崎県諫早市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)、フォワード(FW)。

大阪教育大学を卒業後、2010年にブラウブリッツ秋田へ入団。J3リーグ初参入となった2014年には得点ランキング4位タイとなる12得点を記録し、チームの躍進に大きく貢献。2016年に藤枝MYFCへ移籍し、2017年に現役引退を発表。8年のプロキャリアに幕を閉じる。

引退後の2018年に藤枝MYFCのフロントスタッフとして入社し、クラブ運営に携わる。2019年にはかつて5年間プレーしたブラウブリッツ秋田のアンバサダーにも就任。2023年には藤枝MYFCの副社長に就任し、クラブの経営と地域サッカーの発展に尽力している。現役時代の経験を活かしながら、静岡のサッカー文化の振興と藤枝MYFCの更なる成長を支え続けている。

CREDIT
interviewer / writer : Takahito Ando
director / editor : Yuya Karube
assistant : Hinako Murata / Makoto Kadoya / Naoko Kamada / Kenshiro Hirao
SPECIAL THANKS
株式会社静環検査センター 代表取締役 徳田 茂
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