前編はこちらからご覧ください。
2013年に清水エスパルスへ加入し、プロとしてのキャリアをスタートさせた瀬沼。順風満帆とは言えなかったものの、185cmのサイズを活かした空中戦の強さと、体を張ったポストプレー、クロスへの飛び込みを武器に、プロとしてのキャリアを着実に歩んできた。
彼がセカンドキャリアについて考えるようになったのは、愛媛FCに在籍中の2015年のことだった。前年、半年間のJ2・栃木SCへの育成型期限付き移籍を経て清水に復帰するも、なかなか出番をつかめず、愛媛への期限付き移籍が決まったシーズンの年だった。当時、愛媛FCの監督を務めていたのは、瀬沼の母校・筑波大の先輩でもあった木山隆之(現:ファジアーノ岡山FC 監督)。

「木山監督のもとでプレーをさせてもらった時に、『指導者っていいな』と思うようになったんです。指導者として、地元・相模原のサッカーの発展に貢献したいという思いが芽生えました」
そう考えるようになった瀬沼はすぐに動き、25歳で指導者のB級ライセンスを取得した。指導者講習会では、周囲は30歳を超えたベテラン選手や年上の受講者が多く、「お前、まだ早くないか?」と驚かれたという。「いずれ受けることになるなら早めに受けておいたほうがいいと思ったんです。それに指導者目線が加われば、選手としても役に立つと思いました」と、自分の考えを貫いた。
2017年にモンテディオ山形へ移籍してからも、「指導者になった時に役立つ」という理由で大型二種運転免許も取得。指導者というセカンドキャリアに向け、着実に準備を進めていた。
順調な瀬沼のキャリアプランだったが、ツエーゲン金沢に在籍していた2021年、大きな転機が訪れる。介護職として働いていた姉から、「会社を辞めて相模原で独立しようと思っている」と相談を受けたのだ。
「家族でご飯を食べている時に言われたんです。姉の経営ビジョンを聞いて、『僕も協力したいな』と思いました。『金銭面はサポートするから、自分が考える事業所を作ってみたら』と言ったことがきっかけで、姉と2人で起業する流れになったんです」

この時、彼の頭に浮かんだのは『相模原』の3文字だった。
「指導者として地元に恩返しをしようと思っていましたが、自分のグラウンドを持つのか、サッカースクールを作るのか、どこかのクラブで指導するのか、まだ考えが漠然としていたんです。その中で、サッカーでなくても、介護の世界で地元・相模原に恩返しができるんじゃないかと思った。『相模原のために』という思いを、より明確な形で実現できると思えたことが大きな原動力でした」
この年、姉が代表取締役、弟である瀬沼が取締役となり、訪問介護事業を営む会社を設立。その際、自身も介護職員初任者研修を受講し、基本的には金沢からオンラインで幹部ミーティングに参加するなど、会社をサポートしていた。
2022年、栃木SCへの2度目の移籍後、2023年7月、SC相模原からオファーが届く。
「ずっと相模原を離れてサッカーをやってきた中で、介護という形で地元と関わるようになり、より相模原という場所を意識していた時期でした。ちょうど栃木で出番が激減してしまったタイミングだったこともあり、今移籍をして後悔しないか、正直、迷いました。でも、当時の相模原はJFL降格の可能性もあったシーズンだったので、最終的には地元でプロサッカー選手として貢献したいと強く思い、決断しました」
介護会社の経営とサッカー選手。二足のわらじを履いて地元へ凱旋すると、その年はリーグ17試合に出場して2ゴールを挙げ、クラブのJ3残留に貢献。翌2024年もリーグ32試合に出場して3ゴールを記録。そして、このシーズン限りで現役引退を決断した。
「自分の中でプロを続ける基準があったんです。コンディション面や条件面などいろいろありましたが、次のシーズンを考えた時に、その基準に達していない状態で続けるべきではないと思い、『潮時だ』と判断しました」
セカンドキャリアは介護会社の経営と指導者という二本柱で進んでいく。その道筋はできていた。実際、B級ライセンスを持つ彼にはJクラブや大学、高校、クラブチームなどから指導者として多くのオファーが届いた。しかし、彼はそのすべてを断り、さらに大きな決断を下した。
「それまでは会社経営といっても、Zoomなどのオンラインで社員やパートの皆さんとコミュニケーションを取ったり、たまに顔を出してサポートしたりする程度で、ほぼサッカーにフルコミットさせてもらっていたんです。でも、心のどこかで『介護という仕事に真剣に向き合えていない自分』への違和感が大きくなっていました。だからこそ、引退を機に1年間はきちんと介護の現場を経験して、介護のことをもっと知り、学ぼうと思ったんです」
その言葉通り、昨年2025年の1年間は取締役としてだけでなく、一職員として現場に立った。当然、そこには数多くのカルチャーショックや苦悩が待ち受けていた。
後編はこちらからご覧ください。

瀬沼優司(せぬま ゆうじ)
神奈川県相模原市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)。
桐光学園高校で2年時からエースストライカーの座をつかみ、年代別日本代表にも選出。筑波大学に進み、4年時の2012年に特別指定選手としてJリーグ初出場・初得点を記録すると、2013年に清水エスパルスへ入団する。185cmの高さを活かした空中戦とポストプレーを武器に、栃木SC、愛媛FC、モンテディオ山形、横浜FC、ツエーゲン金沢と渡り歩き、2023年7月には地元のSC相模原へ加入。同シーズンはリーグ17試合2得点でクラブのJ3残留に貢献し、翌2024年はリーグ32試合3得点を記録。同年限りで現役を引退し、12年のプロキャリアに幕を閉じた。
現役中の2021年には姉とともに相模原市で訪問介護事業を営む会社を設立し、取締役に就任。引退後の2025年は介護福祉士実務者研修を修了し、経営者としてだけでなく一職員として現場に立つ一年を過ごした。現在はSC相模原アンバサダーとしての活動やSNS・講演を通じた介護業界の発信、自動車関連事業にも取り組む。「地元への恩返し」と「サッカーへの恩返し」を軸に、相模原の地で挑戦を続けている。









