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掲載日:2026.4.28
最終更新日:2026.5.1
【NEVER OVER Stories_久保光里(女子ラグビー)】「バキッ」という音がした日から。長期離脱が教えてくれた、強くてしなやかな生き方─ 第2回
アスリートが人生を辿り、競技生活やセカンドキャリアにおける意思決定について寄稿していただくコラム「NEVER OVER Stories」。今回は、女子ラグビー選手と銀行員としてデュアルキャリアに挑む久保光里さんに寄稿していただきました。2019年3月に発足した女子ラグビーチーム「アザレア・セブン」に所属する久保光里さんは、チームのスポンサーである静岡銀行に勤めながら、仕事とラグビー選手生活とを両立させています。今回は第2回として、大怪我をきっかけに、競技からの離脱期間で感じた葛藤や周囲の支え、そして新たに得た価値観や学びについて寄稿いただきました。
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writer:Hikari Kubo

第1回コラムはこちらからご覧ください。

 

2025年5月5日。私は福岡にいました。太陽生命WSS2025チャレンジャートーナメント。私たちアザレア・セブンは、チームの創設時から、日本国内最大の女子7人制ラグビーの大会「太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ」のコアチーム(年間を通して大会に参加できるチーム)昇格を目標に日々練習を重ねています。

 

しかしその目標は一度も達成されたことがありません。昨年の同じ大会で昇格を逃してから一年間、この日のために準備してきたと言っても過言ではありません。この大会で結果を残し、8月に行われる昇格戦で勝利することで昇格が決まります。つまり、この大会はコアチーム昇格をかけたとても大事な大会。競技復帰を決めてから約2年半の中で、いや、ラグビー人生で、体力、スキル、心の状態も全てが私史上ベストコンディションだったと思います

 

広い広いグラウンドを、たった7人で自チームの陣地を守り、相手チームの陣地を奪う。その15人制とは異なる7人制ラグビーの、一人一人に課される責任の大きさが、この大会を迎える練習を重ねるにつれて、私の中で不安から楽しさに変わっていきました。

この日は昼頃までは快晴。しかし時間と共に、まるで別の日かのように空は厚い雲に覆われていき、なんだか不穏な雰囲気に変わっていきました。これは予兆だったんじゃないかと今は思わずにいられません。そんな予選プール最終戦。拮抗した展開の中で、相手チームが蹴ったボールを誰よりも早く確保するために私は無理な状態から体ごとボールに突っ込みました。

その時、自分の右膝からまるで太い木の枝が折れたような音が聞こえてきました。

 

「バキッ」

私はボールを抱えたまま動けなくなり、感じたことのない痛みが私の右膝を襲いました。あまりの痛さに、「痛い」以外の言葉が出てこない。パニックと同時に、どこか冷静な私もいました。

 

「ああ、これが前十字靭帯断裂ってやつかな」

「そういえば、怪我した子が言ってたな。バキッて音がするとか」

「こんなに痛いのか。あれ、でも怪我に気づかずにプレーし続けた子もいたっけ。じゃあ違うのかな」

 

担架に乗せられた瞬間、チームメイトが円陣を組んで深呼吸しているのが目に入りました。

 

「私はもう、あの円陣に入ることはできないのかもしれない」

 

前十字靭帯断裂。この瞬間から、私の怪我人としての生活が始まりました。

周りの優しさに触れて

しばらくすると、痛みは少しずつ良くなりガチガチに固定+松葉杖があれば、ゆっくりと歩けるようになりました。チームメイト、職場の方々、家族、友達、そしてすれ違う見ず知らずの方々。皆さんに優しくしてもらったことは今でも心に残っています。

 

電車で席を譲ってくれた大学生の男の子、エレベーターのボタンを押して待っててくれた素敵なマダム、出入り口のドアを開けてくれたお店の可愛い店員さん。そんな多くの方々の優しさのおかげで、痛かった記憶よりも、優しくしてもらった出来事の方が記憶が鮮明なのです。

 

職場へ復帰したのは、怪我から約1週間後のこと。大会後に休息を取るために休暇を取っていましたが、その休暇は検査・診察・療養のための休暇となってしまいました。職場の皆さんには、本当にあたたかく優しく迎え入れてもらい、「用があったら声出すなり(社用スマホの)チャットで呼んでくれたらいいから、無理に動かないで!」と、頼りやすい環境を整えてくださいました。そして、支店長は「とにかく、治すためには早く手術する必要があるのでしょう?それなら、一旦仕事が〜とかは考えなくていいから、早く手術する病院を決めて、日程を確定させなさい。こちら(仕事)はどうにでもするから。」と言ってくださいました。

 

競技人生で初めての大怪我。長期離脱。そして社会人になってから最大の試練だと感じました。

理解してくださっているとはいえ、普段から時短勤務などで私が担当する業務をお願いしたり、ご迷惑をおかけしている事に変わりはなくて。だからこそ、競技で結果を出して、プレーしている姿で恩返しがしたいと思い、ラグビーをしていたのに。今の私はラグビーもできなくて、仕事も満足にできなくて。そんな私がここにいていいのだろうか。と、とても不安でした。けれども、その言葉が、本当に心強くて私を安心させてくれました。

 

私はここにいていいんだ。

 

怪我した直後は、あまりの激痛と怪我した時の感覚の気持ち悪さに、正直、ここから競技復帰を目指すことを前向きに考えることができませんでした。けれども、「支えてくれる職場の皆さんの為にも、何としてでも復帰して恩返しがしたい。こんな大変な今を、いつかの笑い話にしたい。」そんな気持ちが芽生えていました。

 

その後、支店長の言葉に背中を押していただき、手術を受ける病院を決めて診察・術前リハビリを重ね、入院の日が迫っていました。

 

入院期間は16日間。退院後も満足には歩けないため、療養期間も含めると約3週間ほどの休暇が必要でした。当初は「入院の期間は有給で対応してください」と人事の担当者から伝えられていましたが、後日、「ずっと引っかかっていたんですが、、、」と改めて連絡をいただき、こう言っていただきました。

 

「怪我への不安を抱えたままでは、思い切って競技に向き合うことは難しいですよね。競技と仕事の両立に挑戦している皆さんを後押ししたいという思いから、社内で検討を重ね、入院期間も遠征や試合と同様に特別休暇として対応することになりました。安心して手術を受けてください!」

 

私はあまりの嬉しさに、電話越しに涙が溢れてしまいました。たくさんいる会社の従業員のたった一人の為に、ここまで思いやりを持って、行動してくださったのです。改めて、この環境で働き競技をしている事は当たり前じゃない。本当に本当に、素晴らしい環境に身を置かせていただけていると感じました。

 

「本当ですか、、ありがとうございます。ありがとうございます、、、。」言葉を詰まらせながら伝えると、

 

「そんなに喜んでもらえるとは、、、!こちらこそよかったです!また何かあったらご連絡ください。」

 

私は本当に色々な方の優しさと行動力に助けられ、こうして最大限に不安要素を取り除き手術室へ向かうことができたのです。手術は本当に怖かったです。でも、何度も自分自身にこう唱えました。

 

「麻酔からさめたら、全てうまくいっている」

 

麻酔から覚めた後の痛みや倦怠感、そしてここから長く続く険しい道のりも、全ていい方向に向かうための過程だと思うことで、周りの方々の優しさに支えられて、私は全ての瞬間を肯定していくことを決意したのです。

有り余る体力

怪我をする前は毎日、意識が遠のくくらい走っていました。そんな生活から一変。まともに歩けず家の中の移動も最小限の生活が始まりました。グラウンドに行っても、できることがない。正直に言えば、楽しそうに走るみんなを見るのが辛かった。ジムで一人黙々と膝周りに力を入れる練習。日々細くなる足。膝の痛みとこれからの生活の不安。

 

悶々とする時間が増え、眠れない夜が続きました。このまま私はどうなってしまうのだろうか。この思いがなかなか頭から離れてくれませんでした。そんな時、友人に勧められて本を読み始めました。

 

今までの人生では本を読んだり、活字と向き合う時間がほとんどありませんでしたが、本を読み始めると、自分の中でモヤモヤしていたことがスッと解決したり、自分だけじゃ得られなかったであろう考え方や捉え方を知ることができました。新しい価値観や考え方を知るという行為がとても楽しかったのです。

 

そして、スポーツメンタルコーチ資格の勉強もはじめ、10月に無事取得する事ができました。現在も別の資格取得のためにと、ある養成プログラムに参加中です。

何もできなくて、時間があって暇だったからと言えばそうなのですが、このように時間を使ったのは、勉強して新しい知識を得る事で自分自身を守りたかったからです。

 

そして、この資格を選んだのにはこんな理由があります。前回のコラムでもお伝えしたように、怪我をした事で、思いがけない言葉で傷つき、落ち込み、そんな自分を嫌いになりそうになりました。

 

そして、このまま何となく競技復帰をしても、必要以上に不安になったり、自分に自信が持てず、競技を楽しめなくなってしまうのでは?と不安を感じるようになり、そして、これは同じように長期離脱をせざるを得ない怪我をした全てのアスリートが直面するものなのではないかと思いました。

 

この経験を無駄にせず、いつかアスリートを支えられる存在になりたい。経験+知識を得て、より核心的なアプローチができる人間になりたい、そしてその第一ステップとして、まずは学んだことを生かして自分自身を守ってみよう。そう思い勉強をはじめました。

 

 

そして、「怪我をした」という事実を一つの角度から考えるのではなく、本を読み、勉強して新しい知識を得る事で、多角的な視野を持ち、意味のある時間にしたかったのです。そこに怪我をした人間としての経験も加わり、怪我をする前よりも、思考も心も豊かな、強くてしなやかな人間になれたと思います。

 

何かできなくなったということは、何か別のことができるようになったということです。ただ怪我した瞬間を思い浮かべ悶々とする日々を過ごすよりも、できなくなったことに絶望し続ける日々を過ごすよりも、「今できることをやる、なんなら、今までできなかったことをやろう」というマインドでいることでどんなことが起こっても自分自身を守り、明るい方向へと導いてくれると信じています。

「怪我前に戻る」というマインドはやめる

仕事・リハビリ・日常生活。そして読書に勉強。そんなこんなで時間は思っていたよりあっという間に過ぎていき、膝を守っていた装具も取れて、ジョギングができるようになりました。

 

膝の違和感や痛みは、徐々にはよくなっていきましたが、完全に違和感がないという瞬間はないのが現実です。膝を動かすとパキパキと音が鳴ったり、長時間座ってから立ち上がると痛かったり。そしてすぐには筋力の左右差も戻りません。

 

多分、私は怪我前の状態には戻れないのです。

 

きっと、これからは怪我前よりも早くグラウンドに行って入念なアップが必要だし膝の違和感が100%なくなることはない。この新しい膝で、私は戦わなければならない。

 

でも、新しいのは膝だけではないのです。

 

怪我を通じて感じた事、経験した事、学んだ事。今まで気づけなかった事に気づけるようになった私。練習ができない時間に充てた、本を読む事や勉強をした事が、私の新たな知識となりました。

 

良くも悪くも、怪我前の私ではありません。

 

きっと怪我前に戻ろうという心意気で過ごしたら、復帰の過程で、うまくいかない事に絶望し、怪我したことを言い訳にして緩やかな下り坂へ逃げる正当な理由を見つけてしまうような気がします。

 

でも、「新しい自分なんだ」と思うことで過去は過去、今は今と独立させることができて、過去も今も、そして未来の自分も肯定できる。というか、それぞれの場面で「今できること、やるべきこと」をやっていれば、どんな結果になったとしても、「仕方ない」と割り切れるのだと思います。

 

今できること、やるべきことをしっかりと見極める能力を、自身の経験も然り、本を読む・勉強をする事で養っていっているつもりです。それはこれからの人生においてどんな状況にも役に立つ事なのです。

久保光里(くぼ ひかり)

1998年、神奈川県綾瀬市生まれ。小学1年生でラグビーを始め、藤沢ラグビースクールに所属。佐野日大高校を経て、慶應義塾大学総合政策学部に入学。クラブチームでラグビーを続ける。卒業とともにラグビー引退を決めるが、2022年11月より「アザレア・セブン」に入団し選手生活を再開。2023年2月より静岡銀行に入行し、ラグビーと仕事のデュアルライフを送る。

CREDIT
director / editor : Yuya Karube
assistant : Hinako Murata / Makoto Kadoya / Naoko Kamada / Kenshiro Hirao
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