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掲載日:2024.5.30
最終更新日:2024.5.30
バレーボール選手からチームの魅力を伝える広報職へ。クラブのファン拡大を通じて、バレーボールの面白さを伝えていく小川祐奈の挑戦
静岡県浜松市を活動拠点とする女子バレーボールクラブチーム「ブレス浜松」で、広報として活動する小川祐奈さん。2020年から3年間に渡るブレス浜松での選手生活を経て、フロントスタッフへのキャリアチェンジを決めました。選手から、プレーヤーを支える裏方へ―。立場が変わったことで見えてきたバレーボールの魅力や課題について、話を聞きました。
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INTERVIEWEE
小川祐奈(一般社団法人ブレス浜松 事業部 広報担当)
interviewer / writer : Rumi Tanaka
ボールを落とさずつなげていく。中学で出会ったバレーボールに魅了された

初めてバレーボールに触れたのは中学生のときだ。走るのは嫌い、屋外で日焼けするのも嫌…と消去法で部活動を絞っていった結果、残ったのがバレーボールだったと小川さんは笑う。以来、高校、大学へのスポーツ推薦、そして社会人として、2022年3月にブレス浜松での選手生活を終えるまで、バレーボール一筋の生活を続けてきた。

 

「バレーボールの一番の魅力は、ボールを落とせない、というところ。つながなければ負けてしまう、一人では絶対にできないスポーツであること。そして、ボールにチームの想いを乗せてプレーができるところが好きで、気づけば辞められなくなっていました」

 

中学時代には、日本代表経験もある指導者に恵まれ、何としてでもボールを落とさず食らいつくメンタルを徹底的に鍛えられた。その指導者の豊富な人脈も活かして、京都の北嵯峨高校、大阪体育大学へとバレーボール推薦で進学していったが、「飛びぬけて実力があったというよりも、人に恵まれていたから」だと小川さんはいう。

 

「バレーボールがとにかく楽しくて続けていた。その練習姿勢を見てもらえていたのかもしれません」

 

大きな転機は大学3年生のときに訪れた。

 

試合中に足を痛め、3か月は安静にすべきという大怪我を負うことになったのだ。ただ、チームのために試合に出たいという思いから、1か月で復帰を決め、痛み止めを服用しながら騙しだましプレーを続けてしまったという。

 

結果として、シーズンが終わると取り返しのつかない状態になっていることが判明。医師から、「選手を続けるなら手術をするしかない。手術をしないなら競技は無理」という現実を突きつけられた。

「最後の1年は、なんとしてでも選手としてやり切りたかった。復帰を目指して手術を受けることに迷いはありませんでした。

 

でも、実際のリハビリ生活が始まると、『早くバレーがやりたい』という焦りとは裏腹に、足が全然治らない現実に打ちのめされていきました。仲間はみんなバレーをやっているのに、自分だけ一人、体育館の端っこでトレーニングをするしかない。

 

早く復帰しなくちゃと思うけれど、痛くて思うように動かないことで、頑張り続けることに疲れてしまったのかもしれません。

 

その後、何とか復帰を遂げ、4年生の12月までは走り切れたのですが、『これだけやったのだから、バレーボールからは離れたい』と思うように…。社会人になっても続けることを想像できず、逃げるように、最初に内定をもらった企業に就職しました」

一度離れたから気付けた、「目標に向けて成長できる」バレーボールへの渇望

就職先はエステサービスを提供する美容系企業だった。「入社を決めたときは、『美容領域に興味がある』『新しい世界に飛び込みたいんだ』と納得していたつもりでした。でも今思えば、バレーボールから逃げたいという思いありきの自己暗示でした」と小川さんは明かす。

 

しかし、「目標に向かって練習を重ね、課題を一つひとつクリアしていく」というアスリート生活を続けてきたからこそ、当時は何に向かって進めばいいのか羅針盤を失ってしまったような状態だった。

 

実は、働き始めてすぐに「バレーがやりたい」という思いがどんどん強くなっていったという。

 

体力のある若いうちに動かないと後悔すると考え、入社してから1年未満で退職。体育の教員免許を持っていたことから、「選手として続ける道はあるか、あるいは学校で部活の顧問として育成に携わるか」と模索しながらも、現役でプレーする日を思い描きながらトレーニングに専念する生活を続けていた。

ブレス浜松の存在を知ったのは、その3か月後。今しかできないのなら、トップレベルでやりたいとチームを探していたところ、トライアウト情報を見つけた。友人が先に入団していたことにも背中を押され、選手としての再挑戦を決めたという。

 

そこから3年間、ブレス浜松での選手生活は「それまでのバレーボール人生の中で、もっとも楽しい時間だった」と小川さんは話す。

 

「一度離れたからこそ、バレーができる喜びが大きかった。レベルの高い仲間を追える環境にも、監督の指導方針にも刺激をもらいました。

 

監督が目指していたのは、ボールを正確な位置に運び、素早いバレーを展開するというハイレベルなものでした。それまで10年以上、当たり前だと思っていたプレーを覆されることも多くあり、ボールは正面で取りなさいと言われてきたこともあっさりと否定されもしました。『だって、こっちの方が、成功率が上がるでしょう』と、まったく違う角度からのバレーボールを教わったんです。

 

最初はできないことばかりでしたが、できるようになるのがうれしかったですし、プレー1つひとつの意味を考え、言語化して、どうしてそれが大事かを伝えてくれる監督の姿勢には信頼感がありました。『求められるものに少しでも近づけたい』と努力することが、どんどん面白くなっていきました」

 

監督が言うことは、疑問を持つ余地なくやるのみ。そんな指導を受けてきた小川さんにとって、「どうしてこのプレーが必要なのか」と聞けば、丁寧に答えてくれる監督の在り方は新鮮だったという。

「考える機会が与えられ、プレーの意味を理解して動くことができる。バレーボールってやっぱりすごく面白い!と、3年間はずっと幸せでしたね」

 

ブレス浜松での選手時代は、チームのスポンサーである医療機器販売企業に正社員として勤めながら、仕事と選手活動の両立を続けていたという。

 

朝8時から17時までは、営業補佐として病院に医療機器を納品する業務を担当。退勤後、19時から22時まで練習し、土日は試合に出場するという過酷な生活だった。それでも、ハードさよりも、仕事と選手生活の両立ができる恵まれた環境に、感謝する気持ちが強かった

 

「スポンサー企業だからこそ、選手としての活動に理解が深いんです。17時になれば、『練習頑張ってね!』とみんなが快く送り出してくれて、土日の遠征試合のために金曜午後に早退することがあっても『応援しているよ!』と言ってくれる。

 

医療機器販売の事業自体には、経験も知識もありませんでした。でも、チームを応援してくれる会社のために、少しでも貢献したいという思いが、働くモチベーションになっていました」

他競技のクラブ運営に刺激を受けながら、できる仕掛けを考えていく

その恵まれた3年間を経て、選手の引退を決めた小川さん。決断の理由には何があったのだろう。

 

「26歳になった3年目の後半から、それまでと同じように努力を重ねてもパフォーマンスが上がらないと感じることが増えていったんです。手を抜いているわけではないのに、身体ばかりがしんどくなっていく。

 

ブレス浜松では1年ごとに契約を結んでいたので、来年1年また走り抜けるかと自問したときに、自信が持てないなと思ってしまいました。それならば、最後に悔いなくやり切ろうと2021年12月に覚悟を決め、翌年3月に引退しました」

 

引退を決めた当初、フロントスタッフとして働く今の道は想像もしていなかったという。そもそもこれまでに、選手からスタッフになった前例はなく、小川さんも「一般企業への就職か、地元の大阪に戻って教員のキャリアをスタートさせるか」と漠然と考えていた。

 

せっかく続けてきたバレーボールに長く携わる選択肢はないか。ふと周りを見渡したとき、チームのために動くスタッフの存在に改めて気づかされたという。

「選手としてバレーボールに長く触れてきましたが、チームを運営する側として、例えばホームゲームの開催やファンの拡大に向けて皆さんがどう動いているのか、全然知らない自分がいました。

 

ちょうど、県内でスポーツチーム運営をしている方と話をする機会があり、地元に根差した活動を楽しそうに語る姿を見て、『私もせっかくスポーツチームにいるのだから、選手としての実績を生かしながら裏方の仕事に挑戦したい』と思うようになったんです。

 

幸運にも、ぜひ入ってほしいと歓迎され、1年目は営業としてスポンサー企業へのあいさつ回りやイベント企画・運営を担当。2年目の5月からは広報として働いています」

 

現在は、SNSの発信やホームページの更新、メディアへの取材の売り込みなどを担当している。選手からスタッフになり、バレーボールの見え方はどう変わったのだろう。

 

「チームを支えているスポンサー企業や協力会社さん、地域の方々など、こんなにたくさんの人に支えてもらっていたのかと改めて実感しました。選手時代は目の前の練習や試合に集中するあまり、見ていないことがどれだけ多かったのかと。

 

バレーボールの世界だけを見ていたところから視野が広がり、同じスポーツチーム運営として、プロ野球やJリーグ、Bリーグなど他競技のすごさに圧倒されています。ファン獲得のための工夫、地域連携の取り組みなど、まだまだ規模感で及ばないことばかりですが、参考にしたいことが多い。バレーボールの面白さが伝わっていないなと、Vリーグの課題を日々突きつけられています」

 

一方で、選手を経験しているからこその視点は、小川さんならではの強みだ。例えば、地域イベントの参加などでは、選手側に直前に知らされることが多く、練習スケジュールがバタバタと変更になることも少なくなかった。

 

そこで、イベントの実施が決まった時点で、選手に伝わるように先回りして動くなど、できるだけ選手たちが練習や試合に集中できるような環境づくりにも意識を向けているという。

 

広報を任された当初は、バレーボールの魅力を発信しなくては…と考えていたというが、その思いは徐々に変化しているという。

「バレーボールファンを作るというより、ブレス浜松というクラブのファンを広げていくことが、チームの広報としてのミッションです。浜松という地域に根差し、スポンサー企業や住民の皆さんの支持を得ながら、活性化に貢献していく。

 

そんな存在を応援したいと思ってもらえるためには、クラブ自体の魅力、選手たちの魅力を伝えていかなければいけません。たまたま応援していたのがバレーボールだったけれど、バレーボールってなんて面白いんだろう! そう思ってくれる方を一人でも増やせるように、SNSなどのフィールドを使って何を仕掛けられるか。まだまだ挑戦の道半ばです」

 

アスリートの視点だけでは見えなかった世界。そして、スタッフの視点だけでは難しい配慮。ふたつの視点を武器にバレーボールを、ブレス浜松を広げるためのキャリアを歩んでいく。

小川祐奈(おがわ ゆうな)

大阪府出身の元プロバレーボール選手。ポジションはOH。

北嵯峨高校、大阪体育大学を経て、2020年よりブレス浜松に入団。2020-2022シーズンを過ごす。現役中は「チームの土台となるプレーヤー」を目指し、どこのポジションでもプレーできるよう練習に励んだ。
引退後は同チームにフロントスタッフとして入社。スポンサー営業を経験して、現在は広報としてSNS発信やメディア対応などの業務を担当している。

CREDIT
interviewer / writer : Rumi Tanaka
editor : Takushi Yanagawa
director : Yuya Karube
assistant : Naoko Yamase
SPECIAL THANKS
関わってくださったすべての皆様
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