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掲載日:2024.6.26
最終更新日:2024.6.26
【前編】「引退」など考える必要はない。人生を組み上げる起業家兼現役アスリート小谷光毅の軸の作り方
小谷光毅、元プロサッカー選手。ビジネスとサッカーを両立してきた彼は、ドイツリーグとJリーグを経験し、今なお神奈川でプレーを続ける一方で、金融業界を経て自身の会社を設立しアスリートのキャリアに関する課題へ一石を投じている。これまでの歩みを紐解く中で見えてきたのは、彼の経験に裏打ちされた思考術と人生の軸、理想とするある人物の姿だった。小谷の目に世界はどう映り、なにを模索してきたのか。そして追い続ける理想とはー。
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INTERVIEWEE
小谷光毅(株式会社Athdemy 代表取締役社長)
interviewer / writer:Takahito Ando
ガンバ大阪ユースのエリートが歩んだこれまでのキャリア

ガンバ大阪のチームカラーである青黒のユニフォームを着て、サッカーに没頭した男の目には常にレジェンドである遠藤保仁の姿があった。

 

元Jリーガーであり、現在はアスリートの現役キャリアを起点にパフォーマンスの向上やバリューアップに関するコンテンツを開発・提供する株式会社Athdemyの代表取締役であり、神奈川県社会人サッカーリーグ1部の鎌倉インターナショナルFC(以下・鎌倉インテル)で現役選手も続ける小谷光毅は、今もなおレジェンドの姿を「理想像」として潜在的に意識している。

 

彼の本職のポジションはボランチ。中学時代からG大阪の育成組織に入り、トップ昇格をずっと夢に見てきた。中学時代は日本クラブユース選手権U-15で得点王に輝き、全国制覇も2度経験。U-18昇格後も年代別日本代表候補に選出されるなど、エリート街道を歩んできていた。

 

しかし、ボランチはトップチームにおいて激戦ポジション。その座を不動のものにしていた遠藤保仁、そしてその座を狙う選手たちも橋本英郎、倉田秋、大森晃太郎と豪華で、彼が入り込む隙はなかった。

「ボールの置き所や体の向き、パスの強弱。ガンバの攻撃はヤットさんの縦パスの出し入れから始まる。ヤットさんは相手の11人、味方を含めたフィールドの22人がどう動くかを常に考えてプレーをしています。ピッチ上での動向を俯瞰で見ているんです。それは参考にしていました」

 

明治大学に進んでからもG大阪に戻ることだけを考えてサッカーに打ち込んだ。しかし、度重なる怪我の影響もあって、自分の将来像に変化が生まれていく。この詳細は後に伝えるが、サッカーを一度離れて野村證券で証券マンとして半年を過ごしたのちに、プロサッカー選手になるために退職して単身ドイツへ。

 

ドイツの5部リーグ、4部リーグとステップアップしたのちに2018年5月にJ3のグルージャ盛岡(現・いわてグルージャ盛岡)に加入すると、そこから盛岡、ブラウブリッツ秋田、再び盛岡とJ3リーグで3シーズンを過ごしてプロ生活に別れを告げた。

 

2021年2月に右肩上がりに成長しているFinTech企業のメガベンチャーである株式会社マネーフォワードに入社し、それと同時に鎌倉インテルでプレーを開始。ビジネスの面でもその後、スタートアップ企業に勤め、2023年にアスリート支援を行うAthdemyを設立。サッカー選手とビジネスマンの両輪で今も力強く前に進んでいる。

俯瞰、予測、意思決定の繰り返し。小谷に見える「遠藤保仁の要素」

彼のキャリアを並べてみると、彼の持つ能力の高さとユニークさを垣間見ることができる。一見すると、冒頭で触れた「遠藤保仁の要素」が途中から少なくなっているようにも感じられる。しかしそれは『潜在的に』と表現したように、彼の考え方やパフォーマンスの出し方、将来的なビジョンに大きな影響を及ぼしている。

 

「小さい頃から両親の教育方針もあって、自分のことは自分の判断で決めてきました。自分は何がしたくて、何ができるのかを考えながら生きてきたと思います。両親によると幼稚園も候補の中から自分で選んだと聞きますし、高校進学もG大阪ユースの活動に一番プラスになるところを選びました。

 

ユースからトップに上がれなかった時に、明治大学を選んだのも関東に出てサッカーと社会勉強の両方をしたかったから。野村證券に行ったのも、辞めてドイツに行ったのも、全て自分の現在の実力とやりたいこと、ビジョンなどを考えて決めていきました。それが習慣化していたのは、やはりヤットさんを見てきた影響も大きかったのだと思います」

遠藤のプレースタイルは小谷が言及した通り、常にピッチ全体を俯瞰で見て、驚異的な精度を誇る予測を繰り返しながら、一番効果的なプレーを選択する。いなすパスで全体を落ち着かせたり、食いつかせるパスで相手の歪みを生み出したりしていく。

 

さらに縦パス一本で相手の守備網を崩し、味方に決定的なチャンスをもたらす。小谷が参考にしたのは、プレースタイルの裏側にある、情報収集能力と情報処理能力にあった。

 

まずは自分が見て、感じて、考える。その上で調べたり、そのジャンルで経験のある人の意見や別の視点を持つ他者から意見や考えを聞いたりして、その情報の精度、練度を重ねて行く。

 

収集した情報をただ蓄積させるだけでなく、どう活かせるかも重要だ。新たな局面を迎えた時、発見があった時、知らなかった知識に触れた時に情報を引き出し、関連づけて自分の血肉にしていく。そうしてより良い行動ができるようになり、対応力が養われ実社会のパフォーマンスと結びついてきた。

これは社会においても、人間形成においても、そしてスポーツにおいても全てに当てはまるノウハウかもしれない。小谷の思考とこれまでのキャリアを見てみても、これを遠藤並みにハイクオリティーで実践していることがよく分かる。

 

「意思決定において統一感があるというか、全てにおいて意味のある選択をしているという自負はあります。目的とゴールをまずはっきりさせるのが大事でした。そこに向かってどういう戦略で、どういう道筋で到達するのかっていうのは必ずセットで考えていましたし、意思決定した後の目標設定も明確にして、目標をどうしたら達成できるか戦略も練る。僕は一つの軸の中で動いています」

 

サッカーをするという軸ではなく、自分の生き方に根ざす軸を持っているからこそ、サッカーとビジネスを同時にこなすことができた。それぞれの目標を達成して、軸にそった次の目標を設定しつづける。

 

それこそが彼にとってのアスリートとビジネスの両道におけるマインドセットだ。中編、後編では具体的にどのような思考でこの人生を歩み、これからの人生を歩もうとしているのかに迫っていきたい。

 

中編はこちらからご覧ください。

小谷光毅(こたに ひろき)

大阪府出身のサッカー選手。ポジションはMF。

ガンバ大阪のアカデミー出身で、大学時代は明治大学でプレー。卒業後は野村證券に就職したが、再びサッカーの道へ進むためにドイツへ渡り、2017年1月にドイツ5部のBCF Wolfratshausenへ加入。同年7月、ドイツ4部のVfR Garchingへ移籍した。

2018年にグルージャ盛岡へ完全移籍で加入し、以降はブラウブリッツ秋田を経て、いわてグルージャ盛岡へ復帰。2022年より神奈川県社会人サッカーリーグ2部の鎌倉インターナショナルFCにてプレーを続ける。

攻撃的なポジションでのプレーを得意とするが守備のクオリティも高く、司令塔としての役割を担う。

プレーを続ける傍らで2023年に「アスリートが輝き続け、引退のない世界を創る」というVisionを掲げ、株式会社Athdemy(アスデミー)を立ち上げる。

CREDIT
interviewer / writer : Takahito Ando
editor : Takushi Yanagawa
director : Yuya Karube
assistant : Naoko Yamase
SPECIAL THANKS
小谷忍/盛子
ガンバ大阪
野村證券株式会社
株式会社マネーフォワード
鎌倉インターナショナルFC
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