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掲載日:2025.11.27
最終更新日:2025.11.27
【中編】キャリアの合理的な選択を手放し、静岡にプロバスケを。郷土愛と努力でベルテックス静岡のレジェンドになるまで。
ベルテックス静岡の創設に関わり、現在はアシスタントコーチを務める大石慎之介氏。郷土への捉え方は人それぞれであるが、大石氏のそれは他と一線を画していると言ってもいいだろう。なにせ、プロバスケ選手として一番脂の乗ったタイミングで社会人リーグまで行き、ベルテックス静岡の立ち上げに奔走したのだから。インタビューを通じて彼の口から出る言葉は、どれも筆者にとって新鮮で、だからこそ理解しにくい部分もあった。ただ、全てのインタビューを通じて思ったことは「ここまで地元を愛せることは幸せに違いない」ということだ。今回は幼少の記憶・憧れまで遡り大石氏のストーリーを描いていきたい。
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INTERVIEWEE
大石慎之介(ベルテックス静岡・アシスタントコーチ)
interviewer / writer:Takahito Ando
静岡の名前が入ったクラブでプレーがしたい

前編はこちらからご覧ください。

大石慎之介とはどんな人間なのか、どのようにして形成されたのか。

 

プロバスケットボールプレーヤーとして旬を迎えている時期に、彼はずっと自問自答をしていた。その時にいつも姿を表すのが、小学生時代の自分だった。

ワクワクしながらリュックの中にサイン色紙とサインペンを入れて、年に1回しかない試合へ行き、選手たちのプレーに目を輝かせている自分。暗くなった体育館の脇の駐車場でドキドキしながら選手たちを待つ自分。そして、サインをもらって満足するも、次の試合が来年という強烈な喪失感に駆られる自分。

 

静岡の子ども達にこんな思いをさせたくない。何よりずっと自分がバスケを頑張ってこれたエネルギーこそ『地元のチームでプレーしたい』という純粋で強烈な郷土愛だったことにここで気づいた。

 

「静岡県内での試合があっても、年間2・3試合のみ。やっぱり静岡県内をメインで試合がしたい!それが自分の本心なんだと感じました」

 

ちょうどその時、微かな噂を耳にした。それが静岡でバスケットボールクラブを作ろうとしている動きがあるという話だった。耳にした瞬間、すぐに彼は常葉大学の恩師である木宮敬信監督に電話を入れた。

 

「監督に『静岡にチームができるって本当ですか?』と聞いたら、『この話なんで知ってるの?』とかなり驚かれました。それもそのはずで、この話を知っているのは発起人である山﨑俊昌(NPO法人・静岡エスアカデミア・スポーツクラブ代表)さんと、木宮監督ら3人程度しか知らないくらいの話でした」

 

まだ何も始まっていない、機運が高まっていない状態にも関わらず、大石の心に火がついた。すぐに発起人である山﨑氏の連絡先を聞き、直接会って話を聞いた。話を聞けば聞くほど、心が躍る自分がいた。

 

「静岡にクラブをを作って、静岡でプレーしたいので、一緒に作らせてください!」

 

木宮監督、山﨑氏らにとっては想定外の言葉に違いない。現役バリバリのB1リーガーが、まだ産声すら上げていない場所に来て、1からクラブを作ろうとする。周りからしたら、正直考えられない状況だ。

 

2016〜2017シーズンが終わり、大石のもとには選手としての契約延長の話と、将来的には三遠のフロント入りも視野に入れた話があった。

 

「三遠からオファーをいただき、家族と毎日のように話し合い、正直今までで1番と言って良いくらい迷いました。最終的には、静岡に決めましたが、三遠には本当に感謝しかありません。」

「バカなんじゃないの?」それでも自分にとっては当たり前の選択だった

B1リーガーだった彼は、2017年にアールアンドオー(現オーナー、医療法人社団アールアンドオー)に就職する形で静岡に戻ってきた。就職と言っても、膝のリハビリやトレーニング、自主練をメインにやりながら、新たなプロクラブ立ち上げのために動き出した。

子ども達にバスケットを教える傍ら、スポンサー営業、行政への交渉や広報活動などにも積極的に参加し、念願であった静岡のクラブ設立に東奔西走した。

 

そして、2018年に『静岡エスアカデミア・スポーツクラブ』として静岡県社会人3部リーグに参入し、大石もB1リーガーから社会人リーガーとなりプレーした。

 

そして同年に株式会社VELTEXスポーツエンタープライズ(クラブ名称は一般応募によってVELTEXとなった)が設立され、ベルテックス静岡が誕生すると、彼も選手として正式に加入。

 

ここから静岡のプロバスケットチームの新たな歴史が始まる。同年9月にはB3リーグへの準加盟が認められ、2019〜2020シーズンからB3リーグとして、初の静岡単独のプロクラブとして参戦することになった。

 

大石にとってはBリーガーとして2度目のスタートを切るのだが、ここに至るまでの2年間は、プロバスケットボール界から離れていたことには変わりない。

 

当時、彼の年齢は29歳から31歳。選手としてもっと上のステージに行けた順風満帆な道を思い切り逸れて、社会人リーグまでカテゴリーを落とすことになる。厳しい言い方をすれば、「転落」という表現になっても仕方ないだろう。これまで培ってきた選手としてのプライドがどうしてそれを許したのか。そして、決断したとて、先行きが不透明な中で不安に駆られたり、もしかすると手放したものの大きさに強く後悔する日も来るリスクも大きかったのではないかと、疑問が浮かぶ。

 

それをぶつけると、彼は平然とした表情でこう答える。

 

「もちろん、Bリーグでもない、生まれたばかりのチームに移籍をする決断は周りから理解を得られないことの方が多かったです。引き止めていただくこともありましたし、『バカなんじゃないの?』と言われたこともありました。正直、僕の中でも『その通りだな』と思いますし、自分がおかしいんだろうなと思いました。でも、自分の心には嘘をつきたくなかった。もし、うまく事が進んで、静岡にプロチームができるとしたら、静岡の子ども達、大人たちは年間30試合もホーム開催として、地元静岡で試合観戦が出来る。僕の時は1回だったワクワクが、30回もワクワク出来る。そんなのって、自分のキャリア云々よりも素晴らしいことじゃないですか」

 

衝撃だった。周りにとっては理解に苦しむ行動でも、彼にとってはごくごく当たり前の決断だった。

 

この胸の空くような真っ直ぐな言葉を聞いて、「29歳のバリバリのB1リーガーだったら、キャリアを続けるところまで続けて、ベルテックス静岡が形になったタイミングで凱旋した方がいいのではないか」と考えた自分が恥ずかしく思えてしまう。

 

「安藤さんが思われるように、本当に不可解な行動だったと思いますよ。でも、誰かが行かなかったら、始まるものも始まらない。現役のうちに静岡のために動き出したかったんです。」

 

地位や名声を捨てたわけではなく、より自分の人生を色濃くするために下した決断であり、行動だった。そこに迷いは一切なかった。

 

それは、現役引退を決めてセカンドキャリアに移行する時も、同じ思考と行動だった―。

後編はこちらからご覧ください。

大石慎之介(おおいし しんのすけ)

静岡県沼津市出身の元プロバスケットボール選手。ポジションはポイントガード。 

浜松大学(現・常葉大学)を卒業後、2009年に仙台89ERSへ入団。以降は、宮崎シャイニングサンズ、浜松・東三河フェニックス、三遠ネオフェニックスでプレーしたのち、2018年に地元静岡のベルテックス静岡(当時:静岡エスアカデミアバスケットボールクラブ)へ加入。 2023年に現役引退を発表し、13年のプロキャリアに幕を閉じる。 

引退後の2023年からベルテックス静岡のアシスタントコーチに就任し、クラブ創設時から支え続けたチームの指導者として、静岡バスケットボール界の発展に尽力している。チームのB2昇格に大きく貢献し、現在も地元静岡への熱い想いを持ち続けている。

CREDIT
interviewer / writer : Takahito Ando
director / editor : Yuya Karube
assistant : Hinako Murata / Makoto Kadoya / Naoko Kamada / Kenshiro Hirao
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