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掲載日:2025.11.27
最終更新日:2025.11.27
【後編】キャリアの合理的な選択を手放し、静岡にプロバスケを。郷土愛と努力でベルテックス静岡のレジェンドになるまで。
ベルテックス静岡の創設に関わり、現在はアシスタントコーチを務める大石慎之介氏。郷土への捉え方は人それぞれであるが、大石氏のそれは他と一線を画していると言ってもいいだろう。なにせ、プロバスケ選手として一番脂の乗ったタイミングで社会人リーグまで行き、ベルテックス静岡の立ち上げに奔走したのだから。インタビューを通じて彼の口から出る言葉は、どれも筆者にとって新鮮で、だからこそ理解しにくい部分もあった。ただ、全てのインタビューを通じて思ったことは「ここまで地元を愛せることは幸せに違いない」ということだ。今回は幼少の記憶・憧れまで遡り大石氏のストーリーを描いていきたい。
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INTERVIEWEE
大石慎之介(ベルテックス静岡・アシスタントコーチ)
interviewer / writer:Takahito Ando
ベルテックスの象徴として引退、次のキャリアの初期衝動とは

中編はこちらからご覧ください。

 

B3リーグから再びキャリアをスタートさせた大石は、ベルテックスの象徴として身を粉にして静岡を背負ってプレーし続けた。静岡のクラブとあって、試合会場も浜松市を中心とした静岡県西部地区だけではなく、彼の出身地である東部地区のアリーナで試合ができるようになった。

 

そして、2022〜2023シーズンで悲願のB2リーグ昇格を達成。翌季からB2リーグでプレーするのかと思いきや、彼はこのシーズンをもって現役引退という大きな決断を下した。

「正直、三遠ネオフェニックスのときも引退するかどうか迷った時期がありました。きっかけは前十字靭帯断裂の大怪我で、その時は『もう一度、バスケをしている姿を見てもらいたい』という気持ちと、ベルテックス立ち上げの話が重なって、続けることを決めました。でも、このシーズンは再び怪我がちになって、B2に上がるこのタイミングがいいのではないかと決断しました」

 

セカンドキャリアはどうするのか。そこで彼の思考の中心になったのは、自分の人生を良くする云々ではなく、「ベルテックスをなんとかしたい」という純粋な思いだった。

 

「選手の時からヘッドコーチと選手の繋ぎ役になることは意識していたんです。それで自分が現役を終えるとなった時に、コーチ就任の話があった。コーチという立場であれば、選手の思いや気持ち、意見をよく理解しやすいからこそ、それをヘッドコーチに伝えられるし、逆にヘッドコーチの思いも選手に伝えられる。『ここからもっとベルテックスを発展させるためには、現場でコーチとして繋ぎ役に徹することも大事な役割なんじゃないか』と思うようになりました」

 

B2リーグ1年目となる2023〜2024シーズンからアシスタントコーチに就任すると、彼の背負っていた1番はクラブの永久欠番となった。

静岡でキャリアサポートに、県人会を発足。次々仕掛けるアクションの源泉

指導者として『ミスターベルテックス』の道を歩み始めた大石。側から見ると、よくある選手から指導者への転身のように映るが、彼にとっては純粋な静岡への思いを表現し続けている故の過程であった。

 

その証拠に、彼は指導者をやる傍ら、多くの静岡県を盛り上げる活動を積極的に行っている。

 

2022年に静岡県に特化したアスリートのキャリアサポート事業である『Ath-up』のアンバサダーに就任し、アスリートが引退後にビジネスパーソンとして輝けるようにキャリア形成をサポートしていく事業に関わっている。

さらに、2023年には同じ静岡出身のプロバスケットボール選手である山本柊輔氏(2024〜2025年シーズンをもって現役引退)と共に『静岡プロバスケ選手県人会』を発足。小学生・高校生を対象とした「しずおかバスケットボールドリームプロジェクト」を主催し、静岡の子どもたちが県内出身のBリーガーから、直接バスケットのスキルを学べる機会を創出している。

 

「ベルテックスに残ったのも、Ath-upも県人会も全て『静岡の子ども達のために何かをしたい、静岡にスポーツを通じて貢献していきたい』という思いが根底にあります。僕の性格的にも、あまり先のことを考え過ぎてしまうとうまくいかないんです。その時一生懸命やってないと、全部中途半端になっちゃうなっていうタイプなので。今やるべきことを全力でやることを大事にしています」

 

コーチ業は想像以上に大変なものだった。朝早く、夜も遅い。映像でプレー分析や相手の分析をしながら、ヘッドコーチの意図を伝えてチーム力の向上と選手個々のスキルアップと、すべてをしっかりこなさないといけない。

 

今季、ベルテックスとの契約を1年延長し、アシスタントコーチも3シーズン目を迎えた。

 

「契約更新の際に少し迷いましたが、やると決めたらやり切るつもりです。正直、未来は分からないからこそ、1つ1つの作業に真剣に取り組みたいんです。手を抜くのは嫌いなので、求められたらしっかりやるからこそ、やり切った先に何か見えてくると思うので」

B2リーグは今季、昇格・降格が存在しない。それゆえにモチベーションの部分で難しさはあるが、2026~2027シーズンから発足するリーグ最上位カテゴリーのBリーグプレミアへの参入(条件は成績よりも業績、1試合平均入場者数4,000人、売り上げ12億円、5,000席以上の観客席を有する本拠地アリーナの確保などの基準をクリアする必要がある)に向けて、より地域貢献が求められる。さらに2030年には東静岡に規定に見合った新アリーナが誕生する予定だ。

 

ここからさらに静岡のバスケシーンの機運が高まるフェーズがやってくる。その波に乗り遅れないよう、今から取り組むべきことは多い。大石がその中心で牽引していく場面も増えていくだろう。

 

「もっと『静岡のために』というマインドを持った選手を増やしていきたいと思っています。もちろん、簡単なことではありません。選手たちもプロとしてお金を稼ぎ、自分の目標のためにやっているので、なかなか出身でもないところの『地域のために』とは思えないかもしれません。でも、そういう気持ちを持ってプレーできる選手ほど上に行けると思うんです。『バスケだけしていればいいじゃん』という考えはあまり上にいけない選手の思考だと思いますね。地域の人とイベントをやったり、静岡に限らず他の地域に行ってもそういう交流をしていけば、どこに行っても応援してもらえる選手になれると思っています。」

 

人の言う前にまずは自分が率先して行動する。言葉と行動で伝えていくことはこれからも変わらない。

 

「ここからBリーグのレベルがどんどん上がり、クラブ規模も大きくなっていくにつれて、クラブのあり方や体制も変化していく。プロリーグなので、ビジネスに力を入れるのは当たり前なのですが、正直、それだけになってしまわないかという不安もあります。静岡の県民性や文化というのは、地域で一緒に盛り上がろうという感覚を持っている人たちが多い。今はコーチという立場ですが、来季以降はどうなっているか分かりません。でも、どの立場であろうとも、ベルテックス静岡を唯一無二のプロバスケットクラブとして、静岡に根ざし、愛されるクラブであり続けることに自分を捧げていきたいと思っています」

 

今も大石の隣には小学生の時の自分がいる。他の誰でもない、彼に恥ずかしくない行動を取っていきたい。

 

「思い返すと、小学生時代は年1回の試合が楽しみだったけど、もっとたくさんの試合が観たいなと思うことが多かった。三遠時代も、浜松から東で試合をするときは、いつも静岡をスルーして、神奈川や東京、千葉、埼玉に行っていた。この静岡を越えてしまうことが、物凄く寂しかった。でも、今は静岡で試合がたくさん観られますし、他のクラブの選手、ブースターが静岡で降りてくれる。これがものすごく幸せなんです。」

 

自分の夢、目標、責務、モチベーション。それはすべて郷土愛が彼の確固たるアイデンティティとなっている。その生き方はずっと変わらない。そう、彼にはそもそもセカンドキャリアという概念はなく、自己の延長線上に生きている。

大石慎之介(おおいし しんのすけ)

静岡県沼津市出身の元プロバスケットボール選手。ポジションはポイントガード。 

浜松大学(現・常葉大学)を卒業後、2009年に仙台89ERSへ入団。以降は、宮崎シャイニングサンズ、浜松・東三河フェニックス、三遠ネオフェニックスでプレーしたのち、2018年に地元静岡のベルテックス静岡(当時:静岡エスアカデミアバスケットボールクラブ)へ加入。 2023年に現役引退を発表し、13年のプロキャリアに幕を閉じる。 

引退後の2023年からベルテックス静岡のアシスタントコーチに就任し、クラブ創設時から支え続けたチームの指導者として、静岡バスケットボール界の発展に尽力している。チームのB2昇格に大きく貢献し、現在も地元静岡への熱い想いを持ち続けている。

CREDIT
interviewer / writer : Takahito Ando
director / editor : Yuya Karube
assistant : Hinako Murata / Makoto Kadoya / Naoko Kamada / Kenshiro Hirao
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