TOP > Lifestyle > 【NEVER OVER Stories_久保光里(女子ラグビー)】忘れたくない感情を形に.. 【NEVER OVER Stories_..
Lifestyle
掲載日:2025.12.1
最終更新日:2025.12.1
【NEVER OVER Stories_久保光里(女子ラグビー)】忘れたくない感情を形にする ── ひかり新聞から始まった、私の言葉の旅 ─ 第1回
アスリートが人生を辿り、競技生活やセカンドキャリアにおける意思決定について寄稿していただくコラム「NEVER OVER Stories」。今回は、女子ラグビー選手と銀行員としてデュアルキャリアに挑む久保光里さんに寄稿していただきました。2019年3月に発足した女子ラグビーチーム「アザレア・セブン」に所属する久保光里さんは、チームのスポンサーである静岡銀行に勤めながら、仕事とラグビー選手生活とを両立させています。今回は第1回として、久保さんの考えるアスリートとして、1人の人間として文章を書く意義について寄稿いただきました。
シェアする
writer:Hikari Kubo

初めまして、こんにちは。

この度コラムを執筆させていただくことになりました、久保光里と申します。光里と書いて ひかり です。私は静岡県袋井市と掛川市にまたがった小笠山運動公園、エコパを拠点に活動している女子ラグビーチーム「アザレア・セブン」に所属している女子ラグビー選手です。

そして、静岡銀行で銀行員としても働いており、いわば、デュアルキャリアを体現している「女子アスリート」です。

ここまでの自己紹介を見る限り、なんかかっこいい風に見えるかもしれませんが、どこにでもいるような普通の人間です。朝はずっと寝てたいし、夜更かしも好き。暑いのは苦手だし、注射も苦手です。

そんな私を別世界の人間だと思わず、どうか「そんなものなのか」程度に読んでいただけたら嬉しいです。

大好きな文章を自分のためから、誰かのための仕事へ

私は小さな時から、文章を書くのが大好きでした。自分の思うことを言葉にして、たくさんある表現の中から、ぴったりで、面白くて、自分らしい言葉を見つけて、その言葉たちを紡ぎ形にしていくことに、今も昔もワクワクします。

幼い頃には、小学校の学級新聞に憧れて、月に1回「ひかり新聞」を書いて自宅のリビングに飾っていました。A4のコピー用紙をわざわざセロハンテープで繋げていました。

内容は本当に他愛もない日常の出来事。おもしろい友達のことや、その月の目標を書いたりしていました。

家族はすごく熱心に読んでくれて、今でも母親は「すごくよく書けていたよ。」と褒めてくれます。言葉を学び、たくさんの文章に触れる中でどんどん書くことが好きになった私は、その後も日記を綴っていました。

 

自分のために書き留めつづけた文章でしたが、「どうせ書くならまた誰かに、そして多くの人に見られたい」という欲求から、2021年の春にnoteのアカウントを開設して、約5年で30本の記事を執筆してきました。

「いつか文章を見返したときに、過去の自分が未来の自分の背中を押せるように。

そして、こんな文章でも読んでくれる人にとって、何かいいものを与えられたら最高だな。」と思って書いています。

そんな自己満足で始めたことでしたが、ありがたいことにたくさんの方が目を通してくださり、感想を寄せてくれ、時にはリクエストもいただきました。noteをきっかけに、ラグビー関係のyoutubeに出演する機会をいただいたりもしました。

 

そして、ついに巡り巡って、NEVERVOERの担当者の方にも私のnoteを読んでいただき、この記事を書かせていただく運びとなりました。

「文章を書くことを仕事にする」ことは、私にとって新たなキャリアのスタートだと思っています。NEVEROVERの「戦い続けるアスリート人材の、キャリアを切り拓くWEBメディア」というコンセプトにおいて、まさに私が文章を書くことでそれを体現できることが本当に嬉しく、幸せです。

私は今、こうして夢の一つを叶えました。

行動し続けていれば、絶対に誰かが見てくれているし、思わぬ形で夢が叶うのだとわかりました。もちろん自分一人の力ではありません。たくさんの方々のおかげです。

このコラムこそが、その証拠です。

自分の中にある「好き」を信じて、行動し続けて本当に良かったです。私の場合、それが文章を書くという「好き」、そしてブログを書き続けるという行動でした。私の紡ぐ言葉が読んでくださっている誰かの「頑張ろう」のきっかけになってくれたら嬉しいです。

さて、記念すべき第1回目の今日は「アスリートがなぜ文章を書くのか」という部分を少しお話できればと思います。

人生において強く残っている感情を形にする意味

前述の通り、私は幼い頃から文章を書くことが好きでした。
ただ好きなことを書き綴っているので、趣味のような部分もあります。しかし、私にとっては趣味以上のとても意味のあることなのです。

なぜなら自分自身に起こった出来事を、文章として形に残し、忘れないようにすることで自分の心・感情を整理し、私を動かす原動力になるからです。アスリートだからやっているわけではなく、どちらかといえば「1人の人間」として大事にしていることかもしれません。

これは、いわゆるジャーナリングという手法と似ているかもしれません。自分の思考や感情をありのまま書き出すことで心を整える「書く瞑想」と呼ばれるものです。私は長い執筆期間で、それを自己流にアレンジしてきたようです。

心から悔しいと思った出来事も、嬉しい・悲しいと思った出来事も、夜眠りにつき朝を迎えるたびに鮮明には思い出せなくなってしまいます。

 

例えば、静岡に引っ越してきた時です。
私は大学卒業と同時にラグビー選手を引退し、約2年のブランクを経て現在のチームで競技復帰を果たしました。

ラグビーしかない、ではなく「仕事が楽しいからラグビーも選ぶ」。社会人2年目にして現役復帰を果たした久保光里が魅せ続ける背中

初めての転職・一人暮らし・仕事と競技の両立・新しい土地での生活…

たくさんの不安に押しつぶされそうになりながらも、新しいことだらけ、覚えることだらけのめまぐるしい毎日。

なかなか経験できないような素晴らしい日々を過ごせているのに、ただがむしゃらに突っ走って、振り返らずに過ごして「あの時、どんな気持ちだったっけ?」となってしまうのは、あまりにも勿体無い!と思うようになりました。

「忘れたくない」と思っていても目まぐるしく進む日々の中で、毎日たくさんのことを経験して必死に生きていたら鮮烈な経験も感情も薄くなってしまうのは道理なのです。

競技と向き合う中でも、いつまでも鮮明に覚えていたい、忘れたくないと思うことばかりです。それは勝利の瞬間や仲間と喜びを分かち合う歓喜の瞬間だけではありません。

思い出すだけで眠れなくなるほどの悔しい瞬間さえも、とても大事な出来事で、私を突き動かす原動力なのです。

 

ラグビー人生、今年の5月に私は右膝前十字靭帯断裂というアスリートキャリアに関わる大怪我を負いました。怪我を負ってしまった時の気持ちは今も強く残っています。復帰まで約1年を要する大怪我は、長い競技生活の中で初めてでした。手術を受け、今もリハビリ真っ只中です。

正直、人生は楽しいことばかりではないです。避けようのない辛いことも悲しいこともあるのでしょう。
終わりの見えない暗いトンネルを歩き続けるように、不安に押しつぶされそうになる日もあります。

しかし、それは思っていたより真っ暗な世界ではありませんでした。本当に本当に、色々な言葉をもらい、感情が揺れ動きました。

「絶対に復帰して!」という言葉に対しては私の復帰を願ってくれていることに嬉しくなる反面、この怪我の恐怖を乗り越えてもなお、まだ頑張ることを私に選ばせようとするの?と悲しくなりました。

「危ない競技なんだし、もう辞めていいんじゃない?」という言葉に対しては、もう頑張らなくていいんだなと安堵した反面、ラグビーを「危ない」という一言で片付けられているように思い、悔しくなりました。

いちいち言葉のマイナスな面を探ってしまい、そんな自分が嫌になりました。
そんな中、私が救われた言葉は「一緒に頑張ろう」という言葉でした。気づいたことは、怪我をして、一人で戦うことばかりを考えていた自分です。
でも、私のそばには一緒に戦ってくれて、気持ちを熱くしてくれて、心を震わせてくれる仲間がいました。

 

明かりをつけて暗闇を照らしてくれる人、足を止めたくなった時に「一緒に歩こうよ」と同じペースで歩いてくれる人。そんなかけがえのない方々と出会うことができ、前に進めています。

そんな人々が近くにいてくれる大事さは今まで遮るものがなく、眩しい日向の道を自分のペースで走り続けていた私には、到底気づけないものだったと思います。怪我を通じて、新しい気づきと、周りの方々の優しさに気づき私はアスリートとして、人としてもっともっと最強になる(笑)大事な大事な日々を過ごせています!

怪我をする前よりも、きっと私は幸せです。怪我のことに関しても、また改めて詳しく文章にできたらと思っています。

そして、今のこの感情を私は忘れたくありません。一般的には良い出来事とは言えなくても何度も思い出したい、これからの人生の資産にしていきたい。

だから私は、自分自身の中で強く感覚の残っているうちに文章にして形に残します。思い出したい記憶に目次をつけ、すぐそのページを開けるように。付箋を貼るように、大事にしたい感覚がすぐに蘇るように。前述と重複しますが、それは、過去(今)の自分から、未来の私に向けてのプレゼントです。みなさまもぜひ文章を書いてみてください。誰に見せるわけでもない文章でも構いません。

副次的な効果として、自分自身の経験を第三者に余すことなく自分の言葉で伝えることができるとも思っています。アスリートは第三者に話を聞かれたり、伝える機会が多いと思います。

 

せっかく私に興味を持ってくれたのに、「分からない」「忘れてしまった」と答えてしまうのはあまりにも勿体無いです。
あくまで私のためのジャーナリングだったかもしれないけれど、この私の経験が誰かの生きるヒントになってくれたら。道を照らす光になってくれたら。

言葉を紡ぐとはそういうことだとも思います。

ただの言葉かもしれないけれど、いつかその言葉が私の背中、誰かの背中を強く押してくれるかもしれないし、悲しみに寄り添ってくれるかもしれない。
私はラグビーという競技にこれまでの人生の大半を彩ってもらいました。
今過ごしている環境も、出会ってきた人々も、全てラグビーを通じて与えてもらったものです。そしていつか競技を引退してからも、それは続くものなんだと思います。

そんなラグビーを通して与えてもらった人生を、文章として形にできたらと思います。どんな場面でどんな意思決定をしてきたのか、どんな努力をしてどう助けてもらったのか。私のストーリーを通じて、誰かの頑張りに繋げたいと思います。

私に起こった出来事も、私が選ぶ言葉も、誰かを傷つけ悲しませる刃には絶対にしません。自分の身にどんなことが起こっても、それを正解にするために、私は文章を自分を幸せにするための武器にします。そして、読むことを選んでくれたあなたの幸せも手伝いたい。

そしてこの文章を通じて女子ラグビーに興味を持ってくださり、会場に足を運んでくださったら、女子ラグビー選手としてこれ以上の幸せはありません。

久保光里(くぼ ひかり)

1998年、神奈川県綾瀬市生まれ。小学1年生でラグビーを始め、藤沢ラグビースクールに所属。佐野日大高校を経て、慶應義塾大学総合政策学部に入学。クラブチームでラグビーを続ける。卒業とともにラグビー引退を決めるが、2022年11月より「アザレア・セブン」に入団し選手生活を再開。2023年2月より静岡銀行に入行し、ラグビーと仕事のデュアルライフを送る。

CREDIT
director / editor : Yuya Karube
assistant : Naoko Kamada / Hinako Murata / Makoto Kadoya
シェアする