TOP > Career > 【後編】消えかけたサッカーへの情熱と地元からの後押し。だから瀬沼は相模原に返し続ける 【後編】消えかけたサッカーへの情熱と地元..
Career
掲載日:2026.9.4
最終更新日:2026.9.4
【後編】消えかけたサッカーへの情熱と地元からの後押し。だから瀬沼は相模原に返し続ける
神奈川・桐光学園高から筑波大学へ進み、全国レベルの舞台で実力を磨いた瀬沼優司。2013年に清水エスパルスとプロ契約を結び、栃木SCや横浜FC、SC相模原など通算7クラブでプレーし、2024年に現役引退。 現役中の2021年、姉と地元・相模原市で訪問介護の会社を設立し、経営者とJリーガーを両立。引退後は1年で資格を取得し介護の現場へ。2026年からは週2日の現場実務に加え、古巣・SC相模原のアンバサダーや、友人との自動車関連会社設立など活動の幅を広げている。 今、彼は大きな使命感を持って発信を続ける。「介護の世界を知ってもらいたい」という思いと、尊敬する人物の「毎日少しでも積み重ねることが大事」という言葉を体現したいという願いが込められている―。 彼のキャリア変遷と未来へのビジョン、サッカーを通じて学んだこととは。話を聞いた。
シェアする
INTERVIEWEE
瀬沼優司(株式会社セヌ― 取締役)
interviewer / writer:Takahito Ando
介護に真剣に向き合うことで実感する課題と喜び

中編はこちらからご覧ください。

 

サッカーへの情熱という一生モノの宝物をくれた「相模原」という土地に恩返しをする。介護の現場を学び、経営に活かして貢献していく。瀬沼の覚悟は固まった。

 

現役引退後すぐに専門学校へ通い始め、介護福祉士実務者研修の資格を取得。朝から晩までフルタイムで介護の現場に立った。これまでとは異なる世界に、驚きの連続だったという。

 

「介護は人と人とのつながり、コミュニケーションで成り立っている仕事で、人それぞれ対応の仕方も違うんです。人の臨終に立ち会わなければいけない時もありますし、ヘルパーという仕事は非常に責任が重く、きめ細やかな対応が求められます。正直、これまではスタジアムで多くの人たちの温かい応援を受けながら、華やかな舞台でサッカーをしてきたことを考えると、まったく異なる世界でした。

怒鳴られることも多いし、思い通りにいかないことばかり。これまで職員から報告や相談を受けていて、ある程度の想像はできていましたが、それを身をもって体験しました。

 

最初は『自分は介護でやっていけるのか』と何度も思いました。でも、やると決めた以上は絶対に中途半端に投げ出したくなかった。苦しいことの中にも、利用者さんの笑顔や感謝の言葉、コミュニケーションがしっかり取れた時の喜びなど、今まで感じたことのない感情が湧いてきます。その時に『自分の本当の目的は相模原の人たちに貢献することなんだ』と改めて実感し、またモチベーションが上がっていくんです」

 

現場を経験したことで、相模原への思いだけではなく、介護という仕事そのものをもっと良くしたい、もっと多くの人に知ってもらいたいという使命感も芽生えた。

 

「正直、介護職は人手不足が深刻な問題になっています。全国を見渡しても、入ってすぐ辞めてしまう人が多い。それだけ負担の大きい仕事だからこそ、もっとポジティブな発信をしたり、時には現状を正確に伝えたりすることで、多くの人に興味を持ってもらいたいんです」

 

SNSでは介護の現状や未来について積極的に発信し、講演活動にも力を注ぐ。元サッカー選手だったというキャリアを活かして、介護という仕事を知ってもらう機会を広げている。

 

「職員の待遇も含めて介護環境も職場環境も、できる限り良くしていきたいです。『ここで働きたい』と思ってもらえる会社にするために、経営努力を続けていく必要があると思っています。昨年の経験を通して、挑戦する心や知らない世界を知ること、そこで工夫することの楽しさと大切さを学びました」

 

そう語る彼は、今年を『チャレンジの一年』と位置付けている。引退と同時に始めたSC相模原アンバサダーとしての活動を増やし、大学時代の友人とともに自動車関連事業もスタートさせた。

 

恩返しのため。挑戦と継続を積み重ねて描かれる彼の人生。

「今年は、自分が今後どうしたいのかを改めて見つめ直す一年にしたいと思っています。姉と一緒にこの事業所を守っていくことは、もちろん変わりません。

 

でも、SC相模原でのアンバサダー活動だったり、モンテディオ山形のレジェンドマッチに呼んでいただいたり、ツエーゲン金沢や横浜FCのイベントに呼んでいただいたりと、本当にありがたいことに僕はサッカーとの縁が強い。

 

ピッチに立ち、サポーターの皆さんと触れ合う機会が増えるにつれて、やっぱりグラウンドが恋しくなってきたというか、一度離れたからこそ、サッカーの素晴らしさとサッカーを通じて恩返しをしたいという気持ちがさらに強くなっています。

 

いずれにしても、いろいろな挑戦を経て、自分の活動の軸を決めていかなければいけない時期なので、やるべきことをきちんとやりながら、自分自身と向き合いたいと思っています」

話を聞いていると、彼はまだ未来を模索している最中にある。新たにやりたいことが見つかって充実した表情を見せる一方、人生をかけてきたサッカーをおろそかにしたくないという強い意志も感じられた。

 

「あれもこれも」と手を広げたいわけではない。それぞれの分野に課題意識を持ち、自分が関わる意味を見出そうとしている。その根底にあるのは『地元への恩返し』と『サッカーへの恩返し』という揺るぎない思いだ。だからこそ、活動の幅を広げても信念はぶれない。

 

「課題に取り組むことでモチベーションが上がるのは、プロサッカー選手時代も今も変わりません。中学時代、消えかかっていた僕の情熱の灯を周りの人たちが消さないように支えてくれたからこそ、サッカーの大切さや人の温かさを知ることができ、今の人生があります。まだ未熟ですし、自分の力で何かを変えられるのかは分かりません。でも、一度関わったことにはきちんと向き合って取り組みたいし、それを積み重ねていくことが自分の人生なんだと思っています」

 

その言葉の裏には、一人のサッカー界のレジェンドの存在がある。キングカズこと三浦知良だ。横浜FCでチームメートになって以来、今も親交は続いている。昨年末のオフに韓国を訪れた際、心に深く刻まれる言葉をもらった。

「韓国のホテルのジムで一緒にトレーニングをしていた時、カズさんが自転車をこぎながら『セヌ、みんな努力しようとか、何かを始めようとするけど、それが長続きしない理由って分かる?』と聞いてきたんです。

 

僕が「〜〜」と答えた後に、『最初に張り切りすぎるから続かないんだよ。そうじゃなくて、些細なことを続けることが大事なんだ。例えば、一日10回のスクワットを1週間続けるとか、ジムで5分だけバイクをこいで帰るとか、それくらいでいい。それを1年、5年、10年と続けることに価値があるんだよ』と言ってくださった。

 

その言葉が本当に心に響きました。あれだけ長く努力を続けてきた方だからこそ、説得力があった。その言葉を受けて、継続することの大切さを改めて感じましたし、自分の行動にもっと自信を持ってやり続けようと強く思いました」

 

瀬沼にとってセカンドキャリアとは、競技人生の終わりではない。サッカーで育まれた価値観を、介護や地域、そしてサッカーへと還元していく新たな挑戦の始まりだ。

『地元への恩返し』と『サッカーへの恩返し』という不変の軸がある限り、彼の挑戦はこれからも恩返しに向け、まっすぐ積み上がっていくだろう。

瀬沼優司(せぬま ゆうじ)

神奈川県相模原市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)。

桐光学園高校で2年時からエースストライカーの座をつかみ、年代別日本代表にも選出。筑波大学に進み、4年時の2012年に特別指定選手としてJリーグ初出場・初得点を記録すると、2013年に清水エスパルスへ入団する。185cmの高さを活かした空中戦とポストプレーを武器に、栃木SC、愛媛FC、モンテディオ山形、横浜FC、ツエーゲン金沢と渡り歩き、2023年7月には地元のSC相模原へ加入。同シーズンはリーグ17試合2得点でクラブのJ3残留に貢献し、翌2024年はリーグ32試合3得点を記録。同年限りで現役を引退し、12年のプロキャリアに幕を閉じた。

現役中の2021年には姉とともに相模原市で訪問介護事業を営む会社を設立し、取締役に就任。引退後の2025年は介護福祉士実務者研修を修了し、経営者としてだけでなく一職員として現場に立つ一年を過ごした。現在はSC相模原アンバサダーとしての活動やSNS・講演を通じた介護業界の発信、自動車関連事業にも取り組む。「地元への恩返し」と「サッカーへの恩返し」を軸に、相模原の地で挑戦を続けている。

CREDIT
interviewer / writer : Takahito Ando
director / editor : Yuya Karube
assistant : Hinako Murata / Makoto Kadoya / Kenshiro Hirao
SPECIAL THANKS
宮下幸一
シェアする