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Special
掲載日:2023.10.25
最終更新日:2023.11.1
【中編】他者を知り、己を知る。次のゴールを決め続ける吉原宏太のプロフェッショナルとしての土台とは
吉原宏太、元プロサッカー選手。第74回全国高校サッカー選手権大会で活躍し、脚光を浴びた彼は、17年に渡るプロ生活において優れた得点感覚と前線からの積極的な守備で活躍した。引退後は引退後はプロ生活を始めた北海道に居を移し、北海道コンサドーレ札幌のスクールコーチとして小学生の指導にあたる傍ら、クラブ応援番組のMCや解説、そして起業を経験。現在は自身のストライカースクールを始め、複数の事業のコンサル、マネジメントをするなど、経営者としてその手腕を発揮している。今回は、彼がセカンドキャリアに移行するときに土台となった『十代の経験』と『人付き合い』、その内実にスポットを当てながら、彼のサッカー人生、経営者人生はどのようなものだったかを確かめていこうと思う。
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INTERVIEWEE
吉原宏太(T2プロモーション株式会社 代表取締役)
interviewer / writer : Takahito Ando
苦手な人を食事に誘うのは、母の教えから

前編はこちらからご覧ください。

 

コンサドーレからガンバ大阪、大宮アルディージャ、水戸ホーリーホックと渡り歩いた中で、サッカー選手としてだけではなく社会人として何が役に立ったのか、何を続けてきたのか。この問いかけに吉原はスラスラと自分の思考を言葉にしていった。

 

「僕が現役の時にずっとこだわっていたのは、同じ人と何回も食事に行かないようにしたことでした。もちろん気の合う仲間や可愛がってもらっている先輩、可愛がっている後輩とご飯に行くことはめちゃくちゃ楽しいですし、楽なのは間違いありません。

 

でも、話す内容はあまり変わらない。他愛もない話や時には真剣に腹を割って話すこともできるけど、入ってくる情報はあまり変わらないんです。なので、ジャンルの違う人だったり、いつもはほとんど話さないような人だったり、まだ自分にとって未知な部分が多い人たちと積極的に会って食事に行っていました」

自分とは合わないであろう人を、あえて食事に誘った

 

この考え方を持っている人はある程度いる。だが、吉原が特徴的だったのはここからだった。

 

「僕のことを嫌っていたり、苦手と思っていたりする人を誘ってご飯に行くことが多かったです。逆に僕が嫌だなと思う人や苦手だと思う人も積極的に誘ってご飯に行っていました」

 

この言葉に筆者は驚きを隠せなかった。自分のことをよく思っていなかったり、逆に自分がよく思っていなかったりする人と食事などの時間を過ごすことは非常に難しいし、ある意味『苦行』とも言える。だが、吉原は敢えてそういう人たちと接することを大事にしていた。

 

「これはずっと小さい頃から母親に『人間は悪い時に人間性が出る』と言われていたことが大きかったと思います。

 

なので昔から相手が怒った時に自分に対してどういう態度を取るのか、逆に僕が負の感情を抱いたり、怒ったりする時に自分がどういう反応、態度を取るのかを冷静に見ることが習慣になっていました。

 

吉原の行動の根底には母からの教えがあった

 

母からの教えを実践した結果、彼が得たものは予想以上に大きなものだった。

 

「もちろんマイナスからのスタートの人と接するわけですから相当なパワーを要しますが、そこは僕の得意分野というか、関西人独特のお笑いで相手をリラックスさせて、『僕はこうですよ』とオープンマインドで接すれば、意外と僕とその人の間にあった壁なんて薄かったりするんです。

 

同じチームだったり、同じ空間にいたり、少し話したりした程度でその人の本質なんて分かるはずが無い。自分の感覚だったり、周りからの噂話だったり、仕草や印象などちょっとした情報でその人を『知った気』になっているだけなんです。

 

全体の1、2割のことしか知らないのに、『苦手な人』『嫌いな人』と決め付けてしまっている。それではいつまで経っても自分の人間関係や世界は広がらない。実際に壁が壊れたことで自分にとって貴重な情報を掴めたり、サポートに繋がったり、何より知見が広がったりしましたから」

 

壁を作ったり、作られていたりする人が実は自分にとって貴重な情報やキーパーソンになっていることもある。仲の良い仲間内だけの人間関係では広がらないものもある。吉原はたとえ相手に一度断られても、もう一度誘ったり、話しかけたりするなど積極的な行動を取り続けた。

 

「時にはしつこく誘った時もありました(笑)。でも、自分から率先して声をかけたり、言葉だけではなく実際に日時を決めたり、お店の予約をとったりするだけで、印象はガラッと変わるのです。

 

これはプロサッカーの選手で学んだのですが、ピッチ上では言い合いになったり、叱責をしたりするのですが、それはあくまで試合に勝つために必要なことであって、ピッチの外に出たらそれは持ち込まないのが当たり前。

衝突や叱責はピッチの外には持ち出さない

 

でも、社会人の世界だと「ピッチの外」にまで持ち込まれてしまうこともあったので、僕はプロの世界で学んだことを社会人としても大切にしたいなと思いました。逆に社会人の人たちから仕事上の付き合いの大切さを学べたことも大きくて、両方から学んだことが自分の行動にも反映されていたと思います」

 

この姿勢があったからこそ、プロサッカー選手としても彼は大きく飛躍をした。彼がこの姿勢で磨いたのは鋭い洞察力と学習能力だった。プライベートでもピッチ面でもいろいろなタイプの人間の思考や行動を見ることで、自分に取り入れられること、磨き上げられること、逆に自分の武器を再認識するきっかけになることなどを発見し、自分がサッカー選手としても人間としても成長できる『明確な努力の仕方』を自然と手にすることができた。

自己評価と他者評価のギャップの埋め方

例えばサッカー面で言うと、吉原はコンサドーレに入った1年目は周りの目と自己認識のズレに苦しんでいたという。

 

「高校選手権で活躍をしたことで一気に注目選手として鳴り物入りのようにコンサドーレに入ったのですが、プロ選手と自分の間には明確な差があることを肌で感じていました。

 

そもそも僕自身はすでにJリーグに所属しているクラブから声がかかっていない時点で明らかだったのですが、選手権での活躍のインパクトが強すぎて、自己評価と他者評価が想像以上にズレていました。僕はストライカータイプの選手ではなかったのに、ストライカーとして騒がれてしまっている。選手権での印象が広まることで、実際の自分との間にあるギャップが大きくなることへの不安はありました」

周囲と自己との間にある認識のギャップを埋めるための行動を明確にしていった

 

ここで吉原が取った行動は、ギャップを埋めることだった。そのギャップの埋め方こそが、いろいろな人とコミュニケーションを取り、彼らのプレーを見て、自分が何をすべきかを明確にすることだった。

 

「今の自分にできないことをできている選手を見つけて、そのプレーを真似することから始めました。うまい人はどうやってトラップしているのか、ドリブルの際に何をしているのかなど、細かい部分までライバルとなる選手のプレーの研究を重ねました。

 

そして得たものを日頃の練習に反映させながらやっていました。その上で自分の長所である裏へ抜け出すスピード、思い切ってシュートを打ち切る力を磨き続けていました」

 

こうした努力はガンバ大阪に行っても、大宮アルディージャに行っても変わらなかった。G大阪ではレジェンドストライカーの松波正信や若手だった大黒将志のプレーから学ぶなど、自分の武器にライバルの持ち味や経験をフィットさせた。やがてストライカーではなかった男は、日本を代表するストライカーへと変貌を遂げていった。

知見や思考、想いを重ね「ベテラン選手の鑑」へ

プライベートでもどんどん人脈を広げていき、知見や思考の幅を広げていったことで、現役最後のクラブとなった水戸ホーリーホックでは、『ベテラン選手の鑑』として大きな存在感を放った。

 

「もう僕はベテランの域に入っていて、当時の水戸には活きの良い若手がたくさんいました。その中で僕が試合に出るということは、未来ある若手の貴重な出番を奪うこと。だからこそ、自分が試合に出ることは大きな責任が伴うし、きちんと100%を出し切らないといけない。

 

逆に自分がスタメンじゃなくても、スタメンで出る選手をきちんと支えないといけない。もし自分がスタメンで出ていて途中交代となった時に、『まだやれるのに』とか『調子いいのに』と納得がいかない場合でも、それで不満な態度をとって下がってきたら代わりに出場する選手が嫌な思いをしたり、気を遣わせたりしてしまう。

「ベテラン選手の鑑」として存在感を放った水戸時代

 

それではベテランがいる意味がない。僕は若手の選手には伸び伸びとやってもらいたいし、同じ仲間を気持ちよく試合に出場させてあげたいと思っていました」

 

彼が現役時代に築き上げてきたものは、『相手の気持ちを慮って行動する』という人として一番重要なものであった。だからこそ、彼はどのクラブでも活躍し、愛されてきた。

 

結果として彼の悲願であったコンサドーレに現役選手として戻ることはできなかったが、前編で触れた通りJリーグ史上において記憶に残る選手として、17年間の現役生活を終えることができた。

 

吉原は現役引退後、どのようなキャリアを踏み、経営者として何を考え、どのようなヴィジョンを持っているのか。後編ではここに焦点を当てて、彼のマインド、経営者としての活動を伝えていきたい。

 

後編はこちらからご覧ください。

吉原宏太(よしはら こうた)

大阪府藤井寺市出身の元プロサッカー選手。ポジションはFW。
コンサドーレ札幌でプロキャリアを踏み出し、ガンバ大阪、大宮アルディージャ、水戸ホーリーホックへの移籍を経験した。2012年に引退、17年間に渡る現役生活に終止符を打った。
引退後は北海道コンサドーレ札幌のスクールコーチとして小学生の指導にあたる傍ら、クラブ応援番組のMCや解説、新会社を立ち上げ代表取締役を務める。現在は自身のストライカースクールを始め、複数の事業のコンサル、マネジメントをするなど、経営者としてその手腕を発揮している。

CREDIT
interviewer / writer : Takahito Ando
editor : Takushi Yanagawa
director : Yuya Karube
photographer : Toshiya Fujishima
assistant : Naoko Yamase
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