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掲載日:2023.3.1
最終更新日:2023.3.3
「アスリートのキャリアにリセットはない、コンバートである」選手・就職・転職を経た経営者の提言
ジャパンラグビー リーグワン「静岡ブルーレヴズ」を率いる山谷拓志社長は、元アメフト選手であるとともに、一般企業への就職や転職の経験をお持ちです。「セカンドキャリアという言葉は好きでない」との持論をお持ちの山谷社長が考える「アスリートのキャリア」とは、どのようなものなのでしょうか。
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INTERVIEWEE
山谷拓志(静岡ブルーレヴズ株式会社 代表取締役社長)
interviewer : Isako Yamazaki
writer : Rieko Narita
求められていることが、自分のやりたいこと

―慶應でアメフト選手として活躍された後、一度はリクルートに一般就職され、その後再び選手として活躍されました。アスリート引退後はプロバスケットチーム代表や現在のプロラグビーチーム運営会社社長まで、数々の転職をされています。これらの転職の経験についてのお考えをお聞きかせください。

 

これまで幾度かの転職を経験しましたが、実は自分から転職活動をしたことは一度もありません。

 

転職の際には自分の意志で「この道に進もう」といって決めたことはなく、実はお声がけをいただいた際に年俸交渉をしたことも一度もありません。条件は後から提示されて「あ、それで全然いいです」といった感じで進めてきました。

 

「自分が求められていること」が「自分のやりたいこと」であるとシンプルに考えています。

 

とはいえ、別にヘッドハンティングで「この役職と年俸で、このポジションを用意しています」という話があったわけでもありません。お声がけいただいたきっかけは、「困っている」とか「候補者がいない」というのが主な理由でした。そこから何度も対話を重ねるなかでピンとくるものがあって、「そこまで自分のことを評価してくれるなら」とお受けしている感じです。

 

例えばブルーレヴズの社長就任でいうと、ラグビーの事業化という誰もやったことのないプロジェクトに挑むことにひかれました。2021年7月に着任してから半年が過ぎる頃(注1)には、当初の想定よりも手ごたえを感じることができました。

 

(注1)本インタビューは、2022年1月に実施したものを再編集し掲載させていただいております。

 

私自身はその選択が正しいか間違っているかなんて、その時には分からない。「自分が下した決断を絶対正解にしてやるぞ」と思うしかないわけです。こんな選択をして失敗だったとか、誰のせいだとは言いたくない。

 

そうすると、自分の選択したことが周りからは「しんどい」とか「無理だ」といわれていることであったとしても、その選択は正解だったと証明するしかなくなるのです。

 

こうして粋がってやっているなかで、いろんな人とのご縁に恵まれ、思いがけない支援をいただくことがありました。そしてそれが結果を出すための道筋となりました。

 

これまでの選択に後悔は全くない」そう断言することができます。

セカンドもファーストもない、キャリアは地続き

アスリートの持つ能力は、競技で良いパフォーマンスを発揮することだけではないと思います。そしてその力は、セカンドキャリアにおいても発揮されるはずです。

 

近年、アスリートのセカンドキャリアが取り上げられるようになりましたが、私自身は「セカンドキャリア」という言葉はあまり好きではありません。「アスリートはスポーツしかやってないから、引退すると困るだろう」という前提があるようで違和感があります。

 

セカンドもファーストもなくて、キャリアはひとつしかないんです。

 

アスリートには、スポーツを通して培ってきた能力や素養が必ずあります。キャプテンであればコミュニケ―ション力やチームを束ねていく力、野球のキャッチャーなら分析や戦術をたてることが得意、マネージャーは縁の下の力持ちで、例え日の目を見ることがなくとも一生懸命仕事をやる力を持っているかもしれない。

 

スポーツを通して養ってきた力を本人が自覚すれば、次の仕事ではむしろ他の人にはないそのひとだけの素養を発揮できる可能性があるんです。

 

引退とは、競技に向けていた身体活動をやめるだけのことです。

 

競技人生で得た力が消えてなくなるわけではない。「セカンドキャリアだからこれまでの経験はゼロリセットなんだ」ではなくて、「次の仕事はポジションをちょっとコンバートした」くらいの発想で取り組んでもらうと、意外とすんなり移れるのではないかと思います。

「セカンドキャリア」が押し付けになってはいないか

ところで欧米などスポーツの歴史が長い国では、アスリートのセカンドキャリア教育が充実していたり、大リーグ養成所で資格を取る勉強を積極的に勧めたりしているそうです。このあたりについて、山谷さんはどうお考えでしょうか?

 

もちろん、引退後を考えるのは大事なことですし、早く取り組むのに越したことはないと思います。ただ指導者にしても選手にしても、「そんなことは知ったことじゃない。このシーズン、勝つかどうかなんだ」という言い分もあるわけで。機会を作るのは悪いことではないと思いますが、選手が強いられるものではないはずです。

 

自身の進退はあくまでも自己責任ですから、情報を得たい時に選択肢があることが大事です。そしてそれを選ぶ選ばない、活用するしないは、選手自身が決めることなのです。

 

私自身は、セカンドキャリアについて選手本人にどんどん伝えていくことに対して、手放しで賛成だとは思いません。選手によっては「この話題を出すということは、自分は戦力外なのかもしれない」と捉えてしまうこともあると思います。

 

本人のためを考えた発信だとしても、セカンドキャリアに後ろ向きなイメージを持たせてしまっては意味がない。そして、今まさに向き合っている競技に悪影響が出るようなことはあってはなりません。そこはタイミングを見ながら、伝え方を工夫する必要があるはずです。

 

セカンドキャリアについて日常的に考えてもらいたい場合、例えば「どうやったらあの相手に勝つことができるのかを一生懸命に考えることで、自分の強みや弱みが見えてくる。この発見がいつか自分を助けてくれるぞ」と声をかけた方が、選手にも、果てはチーム全体にとってもいいように思いますね。

大事なのは「何を学び、何にチャレンジしたいか」を明確にすること

自分のキャリアについて悩むアスリートもいれば、そうした人を支えようとして苦しむ人もいます。アスリートのセカンドキャリアを取り巻く環境は、今後どのように整備されていくべきなのでしょうか。

 

企業に就職した元アスリートがマインドセットに時間がかかったり、入社後にうつ病になってしまったという話も聞きます。なんとなく受けた会社に行って、これが本当に自分がやりたかったことなのかと悩む。確かにそういうケースはあるでしょう。

 

でもそれは普通の学生でも、普通の会社員だとしても、誰にでもある話ではないでしょうか。 

 

企業とアスリートの間で起こるミスマッチは、企業がアスリートに対して抱きがちな「アスリートだから身体を動かす以外は何もできない」とか、逆に「アスリートだからどんな場面でも頑張れる」という極端な発想から生じるギャップが大きな要因です。

 

アスリート側が「自分は何を学んで何にチャレンジしたいか」を明示すること、そして企業側はそのアスリートの持つ能力を活かす方法を見極めることができれば、ミスマッチは起こりにくいと思います。

 

アスリートが次のステップを考えるにあたって必要なのは、本にかかれている知識や講習で学ぶスキルだけではなく、おそらく生の「色々な人の事例なんです。

 

進路について夜も眠れないほど悩んだ話、自分の強みを言語化するまで時間がかかった話、自分が適応課題と向かって乗り越えた話。選手の経験談を一度失敗した人も成功した人も含めて知ってもらうことが一番大事ではないかと思います。

 

実例を元にした疑似体験を通して、自分自身の問題として学ぶことができるでしょう。また、失敗例はもちろん成功例からも新たなアイデアを生み出せるかもしれません。

 

クラブが選手のセカンドキャリアまでの面倒を見るのは難しいことです。だからこそ第三者や他の機関が、選手にセカンドキャリアとの向き合い方を気づかせてあげることには大きな価値があります。ただ、それらの情報をどのタイミングで受け取るのかは選手個人の自由です。

 

選手を支える立場になったとき、セカンドキャリアに興味をもった選手に、支援や情報の選択肢があることをいつでも伝えられるようにしておくということが大事だと思います。

山谷拓志(やまや たかし)

 

慶應義塾大学経済学部卒業。学生時代はアメリカンフットボール部で活躍し92年度の学生日本代表に選出される。93年にリクルートシーガルズ(現オービックシーガルズ)へ入部し、2度の日本選手権優勝を経験。2000年6月にリクルートを退社し、リクルートシーガルズのアシスタントゼネラルマネジャーに就任。07年1月には株式会社リンクスポーツエンターテインメント(宇都宮ブレックス運営会社・当時)代表取締役社長に就任。ブレックスでは設立から3年目で日本バスケットボールリーグ(JBL・当時)制覇し、3期連続で黒字化を達成。日本トップリーグ連携機構による優秀GM表彰「トップリーグトロフィー」を史上初となる2年連続で受賞した。一般社団法人日本バスケットボールリーグの専務理事を経て、14年11月からB2「茨城ロボッツ」運営会社の社長並びにクラブ代表に就任。21年にはB1昇格の切符をつかんだ。 同年6月、ヤマハ発動機がラグビー新リーグ参入に向けて設立したラグビー事業新会社「静岡ブルーレヴズ株式会社」代表取締役社長に就任。

CREDIT
interviewer: Isako Yamazaki
writer : Rieko Narita
editor : Takushi Yanagawa
director : Yuya Karube
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