前編はこちらからご覧ください。
「僕、4月から星の杜の体育教員になるんです」
驚きだった。彼がサッカー部のない女子校である私立星の杜中学校・高等学校(以下・星の杜)にスポーツ推進ディレクターに就任したのは2022年6月のこと。元Jリーガーがサッカー部のない学校を新たな職場として選んだこと自体が驚きだったが、1年半の活動を経て、年明けに次は他の事業も継続をしながら、学校教師になると言う。この言葉を聞いて、より彼の現役後の人生観に興味を持ったことが、今回のインタビューの大きなきっかけにもなった。
まず、なぜ彼がサッカーとは無縁の星の杜と関わりを持つようになったのか。きっかけは彼が都内で行われたスタートアップのイベントに出席をし、「子ども達の問題をスポーツで解決したい」と当時彼が持っていたヴィジョンを話した際に、その場にいたのが星の杜の大塚雅一理事長だった。
菅の話に感銘を受けた大塚理事長、そして小野田副校長からのオファーを受け、スポーツ推進ディレクターに就任。彼の役割は週に1回出勤し、部活動全体の部費の一括管理や新たなサークル、部活動の立ち上げをサポートすることだった。さらに翌年(2023年度)からの共学化を受けて、より多様化していく学校をサポートすることも盛り込まれていた。
「星の杜はただスポーツを強くしたい学校ではなくて、スポーツを通じて、子ども達にとって必要なのはどのような教育で、どのような影響を与えているのかを真剣に考えている学校だったんです。僕が考えていることと一致しました。
もちろん学校である以上、偏差値なども大事です。ただ、それだけでなく社会的スキルや認知能力も育んで、人間力を高めることで、社会において活躍できる人材を育てる、という理念に基づいてスポーツを活用するというヴィジョンに共感をしました」
これまで部活動は新たに生まれるものは少なく、メジャースポーツやメジャーな文化系の部活がメインだった。そこに柔軟性を加えて新たな部活の創出をすることで、生徒達が自分にあったスポーツを楽しみながら、自主性を持って取り組めるようにすることが狙いだった。この狙いを具現化していくべく、彼は行動を始めた。
バトミントン部、バスケ部、テニス部、弓道部、書道部、美術部、箏曲部、茶道部、書道部などがある中で、2023年度から『スポーツデザインクラブ』を創出。時期によってやるスポーツが変わり、タックルのない背中についたタグを奪い合うタグラグビーや、クリケットなどの日本では日常でなかなか関わらないようなスポーツも取り入れた。
「1つの種目の部活に入るのはハードルが高い生徒もいると思うので、季節によって種目が変わって多くのスポーツに触れられるプログラムを作成し、それぞれに適した臨時講師を連れてくることで、よりその種目の奥深さや楽しさを知ってもらう取り組みをしています。
ただやるだけではなく、学生たちにどのスポーツをどの目的でやりたいか、このプログラムが終わったときに自分がどうなっていたいかなどを記入してもらっています。その上で定期的にグループディスカッションを取り入れて、活動内容の修正や目的意識、課題解決能力などを磨き、全プログラム終了後に自己評価をする。この流れで学生たちがスポーツの素晴らしさに気づいたり、自主性を育んでもらえたらと思って実践しました」
活動中のミーティングは回数を重ねるごとに活発になり、よりスポーツを身近に感じ、成長をしていく姿を見て、より教育に対する熱量が高まっていった。そして昨年末に教員としてのオファーが届いた。
高知大学で教員免許を取得していた彼にとって、このオファーはより自分のヴィジョンに重なるところが大きい魅力的なものだった。
「これまではどちらかというとマネジメント的な要素が強かったのですが、体育の授業を通じて、学生たちと一緒に成長できる教員に大きな魅力を感じました」
受け持つ授業数はこれまでやってきた活動との兼業のために他の教員より少なく設定してもらったが、体育の授業を行いながら、これまで通りのスポーツディレクターとして学校全体のマネジメントにも参画をしていく。
共学化をしたことで、将来的にはサッカー部も誕生するというが、彼自身は「指導者をやりたいわけではないので、サッカー部は別の方に来てもらってやってもらおうと思っています」とあくまで学生とスポーツをつなげる役割を全うするつもりだ。
「これは社会に出た時に初めて知ったのですが、無意識のうちに結果を出すために、サッカー選手はPDCAサイクルを回すことを常にやってきたんです。しかも1年、1ヶ月、1週間とかなり早いスピードで。それによって失敗体験はもちろん、成功体験も多く積むことができた。
プロとしてだけではなく、学生時代も含めてこのサイクルを無意識でやることで選手としても、人間としても成長することができた。セカンドキャリアの中でも、体力があるとか、コミュニケーション能力があるからではなく、いろいろな成功体験を重ねたことで課題発見・解決能力があるからこそ社会で評価をされると思っています。
つまり、その力をスポーツを通じて学生に落とし込むことが、人間教育におけるスポーツが果たす役割の1つだと感じていて、かつ楽しむことで生涯スポーツにもつながって、心身の健康にも繋がっていく。自分がそれに貢献できたらいいなと思っています」
広がっていく将来のヴィジョン。菅はサッカーを通じて自分が学んだことを、サッカーに拘らない幅広いアプローチで、多くの子ども達に伝えることを生き甲斐にして前に進んでいる。スポーツこそ人を成長させる重要なツールであることを信じて。
菅和範(かん かずのり)
愛媛県今治市出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。
大学時代はボランチとして2007年度の全日本大学サッカー選手権大会ベスト8進出に貢献し、2008年よりFC岐阜に加入。2012年に栃木SCへ完全移籍すると、同年日本プロサッカー選手会副会長に就任。所属した両チームではともにキャプテンを経験した。豊富な運動量と気持ちのこもったプレーを信条として活躍、2020年シーズンをもって引退した。
2022年に株式会社WAQUOISEを設立し代表取締役に就任。私立星の杜中学校・高等学校でスポーツ推進ディレクターも務める。