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掲載日:2024.9.6
最終更新日:2024.9.6
【中編】「調子乗り世代」の優等生 福元洋平がたどり着いた天職。悔しい過去も、「吉の先には大吉がある」と語れるまで
柏木陽介、槙野智章、安田理大、内田篤人、太田宏介、香川真司、森重真人など多くのタレントがいる『調子乗り世代』。2007年のカナダU-20W杯で躍動を見せ、実力だけではなく、記憶にも強烈に残る世代だ。この個性的な世代をまとめていたのが、福元洋平という男だ。高校3年生で鮮烈なJ1デビューを果たし、32歳までプロのキャリアを歩んだ調子乗り世代のキャプテンは今、スーツを着て不動産会社で働いている。宅地建物取引士と賃貸不動産経営管理士という2つの国家資格を持っている彼は、どのような現役時代を過ごし、引退後はどのような人生を過ごしてきたのか。彼の人生から浮かび上がったのは、ユニバーサルスタジオを再生させたマーケターの森岡毅氏の『職業は大凶さえ引かなければ全部吉』という言葉を大切にして自己発見と目標に向かって突き進む姿だった。
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INTERVIEWEE
福元洋平(エフケイビル株式会社・営業担当)
interviewer / writer:Takahito Ando
人と人を繋ぐ仕事を。広告代理店での日々のスタート

前編はこちらからご覧ください

 

「自分の性格や得意・不得意を把握した上で、何も持っていない自分に何ができるかを考えました。僕は人と接することは得意だったし、守備を統率しながら全体を見るCBというポジションだったことや、キャプテンという立場も経験をさせてもらったりしたことで、自分がどういう立ち振る舞いや行動をしたら組織がうまく回るかを常に考えながらプレーをしてきました。

 

だからこそ、人と人、企業と企業を繋ぐ営業の仕事をして社会を学ぼう、仕事でも全体のバランスを取るような人間になりたい。そう思って決めました」

 

引退後の2020年4月に、福岡に拠点を持つ広告代理店へ入社した。テレビ業界をメインに全国の幅広いクライアントに対しての営業から社会人生活はスタートした。

 

最初は自分の無力さを痛感する日々だった。営業トークもうまくいかない。テレビ局にはこれまで取材される立場として行っていったが、逆に大切な顧客として会社を背負って行くようになり、これまでには全くなかった視点と経験を積み重ねた。

「Jリーガー、サッカー選手という看板に甘えていた自分を痛感しました。でも、僕は余計なプライドを持っていなかったし、苦しんだり悩んだりする覚悟を決めて入ったので、全てが自分にとってプラスの経験でした。

 

いろいろな業種の人にお会いすることができましたし、熱量を持った同僚や先輩たちと一緒に仕事ができて、僕にとっては当初の目的だった『社会を知ること』、『自分は社会で何ができるか』という2つの目的を経験値と共に達成できた時間でした」

描け始めた自分の将来像とは

3年目を迎えた2022年、彼は次のステップに向かう具体的なアクションを起こす。広告代理店での仕事に一生懸命に取り組む傍らで、宅地建物取引士(宅建)の資格取得を目指すことにした。

 

きっかけはレノファ時代に知り合い、親交を深めていた山口県の不動産会社であるエフケイビル株式会社の社長との会話だった。「他の業種のことも知りたいと思った」と好奇心を持ち始めていた福元は、不動産業界の話を聴けば聴くほど、「自分にあっているんじゃないか」と考えるようになった。

 

「社会で生きて行くために資格を取ることは一つの手段だと現役時代から思っていたのですが、じゃあ何の資格を取ればいいのかが一切分からなかった。でも宅建を知った時に、直感的に『面白そうだ』と興味が湧いたんです。

 

もともと移籍などで家を探すことが多かったし、そこで不動産会社の人と接する機会も多くありました。彼らはこちら側のいろいろな要望に適した物件を見つけて、相談に乗ってくれる。住まい決めは生活においての基盤となるし、その後の人生も左右するような重要な要素

 

そこに関わる仕事をしたいと思えたこと、何より『社会で1人で生きていく力をつける』という自分のヴィジョンからすると、宅建を取って不動産業を学ぶことで、そのヴィジョンが現実にできるんじゃないかと。自分の将来像が描けてきたんです」

 

目標ができたことで、ここからのアクションは現役時代と変わらなかった。広告代理店の仕事も自分にとってやりがいがあり経験になることもわかっており、「ここで3年間はきっちりとやりながら宅建を取って、不動産業界に飛び込もう」という明確な人生プランを立てた彼は、宅建を取得する準備を始めた。

 

平日は仕事が終わって帰宅をしてから毎日2〜3時間、朝も5時におきて出勤前に1時間勉強をし、週末のほとんどを勉強時間に充てた。大分に家族がいたが、単身赴任先である福岡で仕事と勉強に没頭。なかなか家族のもとに帰ることはできなかったが、彼の本気度に家族も応援してくれた。

 

「勉強をすればするほど、不動産業界の奥深さが分かっていって、『住宅ってこんなにいろいろなことが決められているんだ』、『だからあの時の不動産屋の人はこう言っていたんだ』と発見と学びがどんどん広がっていくんです」

 

もちろん広告代理店の仕事も一生懸命にやった。自分に貴重な社会経験と自信を積み上げてくれた会社であり、仕事。真面目で実直な福元はどちらも一切手を抜かないで全力で取り組んだ。そして半年後、ついに宅建の資格を取得することが出来た。

最大の武器が天職への切符だった

この時のことを振り返る福元の表情は晴れやかだった。それだけ彼の人生においていかに重要なターニングポイントだったかということがヒシヒシと伝わってくる。

 

「この半年間は僕の人生の中でかなり充実していた期間でした。現役時代を振り返っても、一番楽しくて充実していたU-20W杯の期間や、調子乗り世代のみんなとサッカーをしていた時期、ヴォルティスでJ1昇格を経験した時期に匹敵するくらい。しんどさで言ったら、この時が一番だったけど、その目標に向かうしんどさが凄く幸せに感じたんです」

 

この言葉を耳にした時に、筆者はこれまでNEVEROVERで取材をしてきたアスリートたちの姿が一気に頭に浮かんだ。アスリートの最大の武器は一瞬にかける集中力と目標設定能力と目標達成力。1つのことに対して明確な目標を定めたら、迷うことなく突き進む力がアスリートにはあり、それが社会において強烈な武器になる。

 

水戸ホーリーホックGMの西村卓朗も、電気工技師になった青木孝太も、アスリートの食事などに特化した事業を手がける小泉勇人も、セカンドキャリアで『天職』を見つけた者たちはいずれもこの武器を発揮して、将来の自分につながる勉強を実社会で活躍しながらも打ち込んで自分のベースとしてきた。

 

「アスリートにはコミットする力があると僕は確信している」と小泉が語っていたように、アスリートは自分で目標を立てて、それをどう達成するかを考えることが日常化されている。多くは小学生の時からその人生を送り続けているからこそ、社会人になってから初めて「そうしましょう」と教わる人とは決定的な差がある。

目標の立て方も、ただ勉強して資格を取るのではなく、「これをやりたいからこれを取る」と目標とその後のヴィジョンから逆算をして勉強をするからこそ、よりコミットする力は研ぎ澄まされる。

 

「ほとんど睡眠時間がない状態でしたが、本当に向上心、探究心に満ちた時間でした」

 

まさに彼はそのコミット力を発揮したことで、宅建を取得し、不動産業界へ突き進んでいった。そして2023年、3年間勤めた広告代理店を退職し、5年ぶりに山口に帰ってきた。

 

後編はこちらからご覧ください

福元洋平(ふくもと ようへい)

大分県出身の元プロサッカー選手。ポジションはDF。

大分トリニータU-18在籍中の2005年に同クラブのトップチームへ選手登録され、高校生にしてプロデビュー。U-19日本代表ではキャプテンを務めた。2007年シーズンの終了後にガンバ大阪からオファーがあり、期限付きでの移籍を決断。2009年にはジェフユナイテッド市原・千葉に期限付き移籍した。2010年には千葉へ完全移籍するも、2011年をもって契約満了により退団。その後は徳島ヴォルティス、レノファ山口FC、ヴェルスパ大分を渡り歩き、2019年をもって現役引退を発表。正確なロングフィードと統率力でチームを支えた。

引退後は広告代理店に就職。現在は山口県の不動産会社で営業職に就いている。

CREDIT
interviewer / writer : Takahito Ando
editor : Takushi Yanagawa
director : Yuya Karube
assistant : Naoko Yamase
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