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掲載日:2023.10.11
最終更新日:2023.10.17
【前編】“育成の水戸”ホーリーホックは競技力だけを扱わない。アスリートがウェルビーイングを目指すべき理由とMake Value Projectの全容
水戸ホーリーホックを8年かけて「育成の水戸」と呼ばれるまでに引き上げることに尽力したゼネラルマネージャーである西村卓朗氏。選手として浦和レッズ、大宮アルディージャ、その後アメリカに渡り2011年に北海道コンサドーレ札幌で現役を引退したあと、2019年に水戸ホーリーホックでGMに就任。選手としては決して順風満帆ではなかった。だが、人一倍勉強熱心で、学ぶことと変化をすることを恐れない姿勢が、1人のサッカービジネスマンとして大きく成長し、自身の経験と自分が思い描くビジョンをもとにクラブ強化だけではなく、アスリートの意識改革、社会人としての育成も2軸として同時に行っていく。彼の発する言葉、そして彼の人生にはキャリアを進めていく上での多くの学びとヒント、これからのスポーツ界・アスリートのあるべき姿があった。
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INTERVIEWEE
西村卓朗(水戸ホーリーホックGM)
interviewer / writer : Takahito Ando

今回、なぜ彼にインタビュー依頼を出したのか。それは彼の発想力と言語化能力、実行力を心からリスペクトをしており、実際に水戸ホーリーホックというクラブを8年かけて『育成の水戸』と呼ばれるまでに引き上げた手腕とアプローチがアスリートキャリア、セカンドキャリアを過ごす人たちにとって大きな学びとヒントをもたらすと思ったからだった。

 

選手としては決して順風満帆とは言えなかったかもしれない。だが、人一倍勉強熱心で、学ぶことと変化することを恐れない姿勢が、1人のサッカービジネスマンとして大きく成長し、自身の経験と自分が思い描くビジョンをもとにクラブ強化だけではなく、アスリートの意識改革、社会人としての育成も2軸として同時に行っていく。彼の語るアスリートのキャリアを成功させるためのヒントはアイデンティティ作りにあった。

競技を通して実現するアスリートのウェルビーイングの価値

最初に一番伝えたいことを記したい。

 

「アスリートにおいて重要なのは『ウェルビーイング(Well-being)』なんです」

 

インタビューの冒頭で西村氏はこう口にした。

 

『Well-being』は直訳すると幸福、健康だが、ビジネス界では「肉体的、精神的、社会的に満たされた状態」を指し、噛み砕くと社会において自分が必要とされる実感と、実際に社会において自分に何ができて、何を目標にして生きているかを実感することにある。

 

この『ウェルビーイング』には5つの要素と指標があると言われている。それはPosithive emothion(ポジティブな発想、心持ち)、Engagement(没頭)、Relathionship(良好で発展的な人間関係)、Meaning(自分の人生の意義の把握)、Accomplishment(達成感)で、それぞれの頭文字をとって『PERMA』と呼ぶ。

 

なぜ西村氏はこの言葉を発したのか。その真意を紐解いていこう。

 

「サッカーに限らず、それぞれの競技をやっていく中でのフェーズは『エンジョイ』『プレーヤー』『アスリート』と3種類あり、その中でアスリートは最上位に来るものです。最上位のレベルまで到達するには、人生におけるかなりの時間をその競技に捧げていないと為し得ません。

 

つまり、大概のアスリートが幼少期からその競技に打ち込んで、人生の大半の時間を過ごしてきたんです。すると何が起こるかと言うと、その競技自体がそのアスリートの中でのアイデンティティとなるんです。それゆえにそのアスリートが『キャリアを終える』ということは、一番大事にしてきたもの、人生の中で多くの時間を捧げて、自分という人間の中心に据えてきたものが喪失するということを意味するのです」

 

西村氏のこの言葉を聞いた時、筆者は思わず背筋がゾッとした。サッカーだけではなく、多くのプロスポーツにおいて、トップアスリートというのは幼少の時からそのスポーツをやり始め、上に行くことを常に自分の使命と捉え、いろいろなものを犠牲にしてストイックに打ち込んできた。

 

しかし、時間は有限。ましてやサッカーを含め、競技によっては現役生活が非常に短いものも多い。よく「引退後の時間の方が長い」と言われる中で、それまでの人生において『ほぼ自分自身そのもの』となっていた競技を喪失することは、その反動も想像を絶するほど大きい。

 

「アスリートのセカンドキャリアはただの転職ではないんです。これまでずっと大事にしてきて、生きる意味そのものだった自分のアイデンティティが一度”引退”によって無くなってしまう。

 

さらにアスリートはずっと競い合う環境で育ってきたので、周りを凄く意識するし、自身が持つ能力が相対的に高ければ、その世界に居続けられる世界でもあるんです。それでのし上がってきた人ほど、それが無くなった瞬間にどうなるのか。そこには空虚が生まれます」

 

アイデンティティーの巨大化による喪失リバウンド。西村氏の口から出てくるのはアスリートの厳しい現実であり、真実。誰もが長い人生を送れば、セカンドキャリア、サードキャリアに直面する。だが、昨今アスリートのセカンドキャリア問題がこれだけ注目され、声高に言われていることは、まさにこの西村氏の言葉にその理由が隠されていた。

 

「周りにいる人間がいかにアスリートの特性をよく理解した上で、セカンドキャリアを迎える選手たちに接していかないといけないか。そこは我々としても大事にしているところです」

 

この視点から西村氏が大事にしているのが、『ウェルビーイング』の「Meaning(自分の人生の意義の把握)」である。これは心理学に通ずるものだが、人は自分という存在が何に興味を持ち、何を得意とし、将来的に何をしようとしているのか。つまり『自分とは何者なのか』を把握しておかないと、目まぐるしく変わる世界において自分の存在価値、意義、そして立ち位置が分からなくなってしまう。

 

それが西村氏の言う『空虚』を生み出し、セカンドキャリアへの移行の大きな障壁となる。

クラブとして「自己決定」の機会をどう作るか

西村氏は続ける。

 

「アスリートの当事者である時はなかなか気づかないと思いますし、今の時代にはそれに気づけない難しさがあると思います。現代の仕事というのは、終身雇用が崩れ始めて、組織に依存できるものが少なくなっているのもあり、『個の資質』というものが重要だと問いただされているのが現実です。

 

だからこそ、自己決定ができる個を持った人たちはこれから増えていくと思いますし、そうしないと社会や会社で生きていけなくなる時代が来ると思っています。

 

実は、アスリートの自己決定の機会はそう多くありません。アスリートは小さい頃からその競技をずっとやっているが故に、最初は論理的に考えたり、総合的な判断でその競技をやっているわけではないんです。兄弟がやっていた、仲の良い友達がやっていた、親が熱心だった、周りが楽しそうだった、面白かった、好きになった、得意になったなどきっかけは直感的であり、環境的な要素でその道に入っていくのがスタート。

 

『いろいろなことを試し、将来のことを考えて、総合的、複合的判断でサッカーを始めました』なんて人はほとんどいないと思います。つまり、純粋な気持ちで始めたものがやがて自分の生活、人生の中心になり、食べていくための職業へと変わっていくのです。ここをしっかりと理解しておくことが重要なのです」

 

この言葉も非常に重要な意味を含んでいる。今、筆者から見て、セカンドキャリアという言葉が一人歩きをしているように感じる。実際にアスリートのセカンドキャリアはいろいろなところで取り上げられているし、サポートする会社が乱立している状況もある。

 

それだけ重要なことは前述したが、ではその本質をもう一度きちんと把握すべきなのではないか。この記事ではこの部分を強調しておきたい。

 

これまでの西村氏の言葉を借りると、大学を卒業して会社に入って、そこから独立、同業界に転職、別業界に転職となると、仕事をするうえでの自分のアイデンティティを育むのはアスリートよりも遅い。つまりどのキャリアも高校や大学以上からスタ―トをしているものが多く、多感な幼少期、少年期の間からそこまでの強烈なアイデンティティーがないことが普通だ。

 

例えるなら、小学生や中学生の時から弁護士やパイロット、商社などを本気で目指してそのために多くの時間を割いている人はほとんどいない。20代、30代までに捧げている時間が違うからこそ、培われるアイデンティティーの巨大化を阻止することはできないし、自己発見の機会を逃してしまう。それでいてアスリートの人生は短く、その先の人生の方が長い。このパラドックスに西村氏自身も苦しんだという。

 

「僕自身、現役中からJリーグキャリアサポートセンターに通って、インターンシップなども多く経験をし、セカンドキャリアの準備はできている方だと思っていました。でも、実際に自分の人生の中で大きな比重を置いてきたものがなくなってしまったショックは相当大きかった。寂しさ、不安、そして焦燥感。『俺のこの先の人生は大事なものをすり減らしながら過ごしていくのかな』とその瞬間は思ってしまった」

 

どんなに準備をしていてもすぐには受け入れられないほどの喪失感。

 

「僕が国士舘大学から浦和レッズに入った時もそうでしたが、他のJリーグクラブの経営状況、ビジョンなどいろいろなものと見比べた上での総合的な判断で入ったかというと、そうではないんです。浦和レッズからオファーが来て、ビッグクラブだと思ったから決めたわけで、そこで複数のクラブからオファーが来たらそこで判断が入ってきますが、それでも基準はJ1・J2だったり、試合にすぐ出られるか出られないかだったりしますよね。

 

別にJクラブの企業性だったり、企業理念だったり、経営方針などを把握して、それがどう自分の人生に影響を与えるかまでは考えていません。それで決めている人はほとんどいない。つまり、所属クラブを決めるという行為は自己決定のように見えますが、厳密に言うと自己決定まで至っていないんです。

 

つまりアスリートは自己決定する機会が意外と少ないという現実があります。性質上、オファーがあって成り立っていくものなので、逆指名というのはなかなかありません。だからこそ、自己決定する機会をプロになってからどのようにして与えて、育んでいくのか。それがクラブとしての役割の1つだと思っています」

 

自身の経験の中で見つけ出した、アスリートのセカンドキャリアに対する思考とアプローチ。中編では西村氏が現在水戸ホーリーホックで行っている取り組みとその成果について掘り下げていきたい。

 

中編はこちらからご覧ください。

西村卓朗(にしむら たくろう)

東京都新宿区出身の元プロサッカー選手。ポジションはDF。
大学卒業後に浦和レッドダイヤモンズへ入団。その後は大宮アルディージャ、USL1部リーグのポートランド・ティンバーズへの移籍を経験した。2009年に帰国し、湘南ベルマーレフットサルクラブへ加入。以降はフットサル選手として活躍する。
2010年にはUSSFディビジョン2プロフェッショナルリーグのクリスタルパレス・ボルチモアへの移籍が発表され、2011年にコンサドーレ札幌に加入。同年に引退を発表した。
引退後は浦和のスクールコーチや関東サッカーリーグのVONDS市原FCのゼネラルマネージャー兼監督、水戸ホーリーホックの強化部長を歴任。現在は水戸ホーリーホックでゼネラルマネージャーを務めている。

CREDIT
interviewer / writer : Takahito Ando
editor : Takushi Yanagawa
director : Yuya Karube
assistant : Naoko Yamase / Yuta Tonegawa
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