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掲載日:2025.5.30
最終更新日:2025.5.30
【後編】努力もリスクを負うこともできなかった高卒Jリーガー平秀斗が、牛に全力コミットする経営者になるまで
高卒でJリーガーになる選手の存在は、Jリーグにおいて特別な意味を持つ。近年は大学を経由する選手が増えているが、高卒でプロ入りする選手は、才能と努力を兼ね備えたエリートと言えるだろう。しかし、その一方で社会経験が乏しく、早熟なだけで終わるケースも少なくない。そのため、彼らのキャリアは極端に分かれやすい。一つは、遠藤航や堂安律、冨安健洋らのように、若くしてプロの舞台で活躍し、海外へと飛躍していく選手たち。もう一方は、試合出場の機会をほとんど得られず、レンタル移籍を繰り返しながらカテゴリーを下げ、早期に引退を余儀なくされる選手たちである。そして、後者の方が圧倒的に多いのが現実だ。今回は、そんな厳しい現実に直面した平秀斗の物語。彼は、高卒プロのリスクや思考を率直に語り、さらにセカンドキャリアへの甘い見通しと、それに気づいた後の巻き返しの人生まで、興味深い経験を共有してくれた。
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INTERVIEWEE
平秀斗(株式会社ひらふぁーむ代表取締役)
interviewer / writer:Takahito Ando
努力とハングリー精神で見えてきたヴィジョン

中編はこちらからご覧ください。

 

平の仕事は当初、実家にいた数頭の牛の世話がメインだった。毎朝7時から9時まで、14時半から16時半までの餌やりを毎日行わないといけない。生き物故に餌やり以外の時間も常に牛舎をチェックしながら、牛の健康状態を把握して動かないといけない日々は過酷だった。しかし、彼は経営ヴィジョンが広がっていく毎日が楽しかった。

 

「仕事の幅が広がっていくにつれて、やらないといけないことに加え、自分がやりたいことが徐々に増えていったんです。実家はもともと牛たちの頭数が少ないので、繁殖農家(種付けをして生後8ヶ月まで育てる農家)と肥育農家(8ヶ月以降の子牛を購入し、精肉するまで育てる農家)の両方をやる一貫経営を敷いていたんです。でも、これだと頭数はこれ以上増やせないので、牝牛を揃えて繁殖農家に特化した方がいいと考えるようになりました」

 

これまで種付けは外注に任せていた。その道に進むならば自分でできるようになった方がいいと考えた平は、準国家資格の家畜人工授精師を取得するために40日間の集中講座を受けることにした。実家から学校まで車で片道2時間半の道のりを通い、勉強に打ち込んで資格を取得すると、「牛の蹄を切り整える削蹄も外部に委託をしていたので、それも自分でやれるようにしよう」と削蹄師の資格も取得した。

 

「コストの感覚やヴィジョンの解像度が上がる中で、法人化をして自分が経営者として事業拡大をしていく決意が固まっていきました」

サッカー界と同じ。身につけたリスクを負いチャレンジすること。

覚悟は本物だった。法人化するとすぐに事業計画書を作成し、牛舎の拡大と設備投資を行うために金融公庫で融資を申請。申請が通るとすぐに土地を取得し、牛舎を増築。繁殖農家にコミットをした経営をスタートさせた。

 

リスクは覚悟の上ですし、逆にこれでうまくいくという活路を見いだせたことも大きかった。牛に本気で携わるようになって、より知識をアップデートしよう、勉強しようという意欲がどんどん上がって、ビジネスに繋がる思考をするのが楽しくなっていった。今はいかに会社を良くしていくか、いい和牛を世に出して多くの人に喜んでもらえるかを考えながらやっています」

 

和牛の繁殖と肥育農家に出荷するまでの作業はデリケートであり、細心の注意を要する。あれだけ時間が余るくらいあったサッカー選手時代と比べて、ほとんど休みはなく、常に牛舎の状況を気にしながら過ごす日々。お産となれば、それこそ24時間目を離すことができない。

 

さらに生き物を取り扱い、かつ経営者であるが故に途中で投げ出すわけにはいかない。苦難もあるが、それでもこれまでなかなか得られなかった日々の充実感がそこにはあった。

 

「勝負という意味ではサッカーの世界と同じです。リスクを負ってチャレンジをしないといけないし、安定したパフォーマンスを出すためにメンテナンスやリスクマネジメントもしないといけない。チャレンジという面では牛も競走馬の世界と同じで、血統が良ければ良いほど肉質が良くなるんです。肉質が普通の牛を多く飼育するよりも、1頭から良質の肉がいっぱい取れて売れた方が儲けにもつながるし、信頼にも繋がる。だからこそ、先行投資をして血統が良い牛と繁殖をして、どんどん牛の品質を上げるチャレンジをしています。今やっていることが必ず未来につながると思ってやっています」

 

会社も4期目を迎え、徐々に理想的なサイクルが生まれてきた。種付けから8ヶ月間、丹精込めて育てた和牛が肥育農家を経て、ようやく市場に出始めるようになった。

 

「本当にまだまだこれからです。これから和牛を通じて信頼をもっと積み重ねて、やるべきことをきちんとやり、やりたいことを形にしていきたいです」

 

イキイキとした顔つきで未来を語る平に、改めてこれまでのサッカー人生を振り返ってもらった。

現役時代にできなかったことに全力で取り組めている「今」

「高卒プロは契約年数も、期待値があるのでそれなりに長いじゃないですか。その契約年数が安心材料になってしまっていると思うんです。僕もそうでしたから。『自分は未来の存在なんだ』と勘違いしてしまうんです。いま思うと、全部単年でいかないと火がつかないですよね。

 

僕の同い年で言うと浅野拓磨とか、鎌田大地はもう、全然違いましたね。才能もですが、何よりハングリー精神が全然違っていた。どうしてもプロで成功したい、海外に行って活躍したい、本気でW杯に出たいと思っている選手はどんな時も歯を食いしばって努力をしたり、周りの大人の意見を聞いたりするのですが、そこまでの覚悟と決意がなくて、『なりたいプロになれた』くらいの選手はどうしても這い上がれないと思うんです。

 

前者の彼らと後者の僕。ここまで圧倒的な差がつくのは当然のことでした。あと大卒選手はやっぱり高卒と比べて大人でした。大卒の選手も『早く上に行かなきゃ』とハングリーだし、大学の大人数の競争を勝ち抜いてきた人たちばかりなので、努力の仕方を分かっている。さらに4年間でサッカー以外の人たちとの交流もあって、人間的な幅が違います。本当に僕のサッカー人生はある意味必然の流れだったと思います」

 

今、彼の心を突き動かしているのが、「サッカーで一切成功できなかったからこそ、何がなんでも仕事で成功したい」というハングリー精神だ。だからこそ、毎日和牛中心の生活をしているし、発展させるための先行投資もリスクを背負いながら積極的に行っている。

 

これらは全てプロサッカー選手時代にできなかった、やらなかったことだ。そして今は全力で取り組んでいる。現役生活は現在地までのかなりの遠回りだったかもしれない。もしあの時本気になっていたら今いる場所も違っていたかもしれない。だが、重要なのは過去ではなく現在。平はこれまでの回り道があったからこそ、あるべき姿を今、精一杯に表現できている。

 

本物の努力というものを今やっていると思います。やっぱりあの福島での2年間がなくて、トライアウトの後からずっと牛飼をやっていたら、間違いなく経営者にはなっていなかったと思います。おそらくこれまで通り、規模はそのままで祖父母の仕事を手伝っているレベルに過ぎなかったと思います。でも福島の2年間で人間的に成長することができたからこそ、今がある。その感謝の気持ちはこれからも忘れないでやっていきたいです」

 

人間はいくらでもやり直しがきく。だが、それは自分自身の本当の姿に気づいた時に初めて言える言葉なのだろう。なかなか自分自身の未熟な部分や現実と向き合うことは難しい。だが、壁にぶつかった時に逃げないで向き合った時に、それが自分を映し出す鏡になり、奮起させる起爆剤にもなる。彼の人生はまさにそれを教えてくれる。

平秀斗(ひら しゅうと)

鹿児島県出身の元プロサッカー選手。ポジションはFW、DF。

小学1年からサッカーを始め、高校1年時にはU-17日本代表にも選ばれた。3年時の全国総体では3試合で2ゴールを決めるなどの活躍を見せ、大会の優秀選手に選出された。

2013年シーズンからサガン鳥栖へ加入。その後は移籍によってザスパクサツ群馬、福島ユナイテッドFCでプレーし、2018年をもって現役を引退した。

引退後は実家の家業を継ぎ、鹿児島県内で畜産業を営んでいる。

CREDIT
interviewer / writer : Takahito Ando
director : Yuya Karube
editor : Takushi Yanagawa / Hinako Murata
assistant : Makoto Kadoya / Naoko Kamada 
SPECIAL THANKS
父 正博
母 まり子
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