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日本とオーストラリアで活躍するビジネスパーソンになる。
スパイクを脱いだ時から、彼のモチベーションは切り替わり、新たな目標が生まれていた。
2024年、株式会社Nice and sunnyを立ち上げると、まず始めたのは、オーストラリアから一時帰国する直前に取得したビノベーションレポートの結果をフィードバックする資格『ビノベーター』を活かすことだった。
ビノベーションとは、行動(Behavior)×変革(Innovation)を掛け合わせた造語で、ビノベーションレポートとは、140項目の質問に答えることにより、人が生まれ持つ資質を14軸2対28項目に分類・データ化するレポートのこと。これを活用することによって個人と組織の行動変革を促し、能力を最大化するサポートをすることができる心理アセスメントの一環である。
メンタルに関する領域を学び続けたことで、彼はビノベーションレポートに興味を持って資格を取得。友人数名にメンタルコーチングをしていたが、引退後はそれを事業化することに決めていた。
「ビノベーションを学べば学ぶほど、それぞれの人の特性があり、その特性が真逆だったりすると、一気にコミュニケーションが難しくなったり、チーム行動の中で反故が生じてくるんです。ビノベーションレポートを通して、自分を知ることだけではなく、『自分とは逆の人がいる』ということを理解させることを大事にしています」
長谷川のクライアントには個人もいれば、団体もある。それはサッカーだけではなく、ゴルフや野球のアスリートやアイドルグループ、一般企業など多岐に渡る。
「監督や上司はどうしても自分が良いと思っている練習・勤務態度の人を信頼して使うのですが、『なんでこいつはダメなんだ』とか『なんで伸びないんだ』と思っているところに実は間違ったアプローチをしている可能性があるんです。
例えば僕は資質的にこだわりが強い人間なので、同じようにこだわりの強い小林伸二監督とは相性が良かった。でも、長崎で一緒だった手倉森誠監督はこだわりよりも『長崎のために戦う』など外発的なモチベーションを大事にする監督だったので、僕の練習態度は自分の世界の中でこだわってやっているように映ってしまう。内向的というか、練習態度の受け取り方が小林監督とは逆でした。
自分を知ることだけではなく、相手を知ることの重要性を相互に伝えることによって、こうしたすれ違いがなくなっていくんじゃないかと思ってやっています」
ビノベーション以外にも会社としてオーストラリア留学のサポートを行い、セント・ジョージFCで指導者としてのやりがいを見出した長谷川は、街クラブであるGINGA FCのシューティングアドバイザー兼自己分析・メンタルアドバイザーを務め、VIRDSフットボールアカデミーのコーチも務めている。それに加え、TOKYO2020 FCでは監督、そしてテクニカルアドバイザーとして霜田正浩(前・松本山雅FC監督)と共に現場での指導も行うなど、精力的に活動している。
「僕の人生は、思い返せば『自分が自分らしく生きるにはどうしたら良いか』をずっとテーマとしてもっていました。その上で大切にしているのが、『幸せは自分の操縦席に自分が座っている状態のことを指す』という言葉です。
よくあるパターンとして、気がついたらその操縦席に別の誰かが座ってしまって、自分をコントロールされてしまう。そうならないためには、自分を持つことが大事。
自分の小さな固定観念や狭い視野の中で息苦しくなるのではなく、周りを見て、視座を高めて、自分だけではなく、他者を知りながら生きていくことが重要だと思います。僕はその気持ちをベースにこれからもチャレンジし続けたいと思っています」
彼は今、オーストラリア永住権獲得の間近にいる。現役をスパッとやめたのもフィジカル的な問題もあったが、それ以上に永住権の関係でオーストラリアに一度戻らないといけないという事情もあった。
永住権が取得できたら(※)描いているヴィジョンがある。
「2027年にオーストラリアに永住します。それまでは国内でビノベーターやコーチとしての活動をして、日本でビジネスの基盤を作ってから、家族と共にオーストラリアで過ごす。オーストラリアでもチャレンジしたいことがあって、それは指導者としてAリーグのコーチをやりたいし、オーストラリア人選手のメンタルサポートや移籍などのサポートもできるようになりたい。やりたいことはたくさんあります」
※長谷川は2025年2月にオーストラリア永住権を無事に取得。ビノベーションレポートによるコーチングやチームビルディング、サッカー留学事業などの活動を本格的に開始した。
最後に彼はこれまでの人生を通して、アスリートだけではなく、多くの人に伝えたいことがあるという。
「その人が快適で慣れ親しんだ状況や活動の範囲のことを『コンフォートゾーン』と言いますが、よく『コンフォートゾーンを打ち破っていこう』という言葉を耳にします。しかし、僕の中では人間はコンフォートゾーンに戻り続けるものだと思っています。なので、要はここから出ていく瞬間は『打ち破る』のではなく、『俺ってやっぱりこうだよね』と新たなコンフォートゾーンに行こうとすることなんです。
それは、昔の栄光にすがろうとすれば退化する危険性があるからこそ、そのコンフォートゾーンを未来に作り出して、今から引っ越しをしないといけないんです。例えば高校生の中で海外に行く選手って、日本にいる時から海外に行くマインドなんです。高校生でも海外に行くための行動を無意識のうちにやっているんです。
でも『ただプロ選手になりたい』という設定だと、それを達成した後は成功体験が過去にあるので、それを求めて高校時代や大学時代に戻ろうと逆走してしまうんです。正直、僕もその時期があって、大宮時代の方が給与もサッカーもやりやすかったし、そこがコンフォートゾーンとなっていました。
だから新しいクラブに行った時に『あの時はこうだった』とか、『これは違う』などと今を否定してしまって、環境が一変しているのに、いつまでもその時の行動を無意識のうちにしてしまうので、25歳以降の僕のプロサッカー人生はいつまでも過去に戻ろうとしてしまっていました。もちろんすぐに気付くのは難しいのですが、これを読んで少しでも感じてくれる人が出たら嬉しいなと思っています」
自分で自分の未来を切り開く。多様性が問われる社会は、より個人の責任がどんどん増えていく。その中で自分の足で社会を渡り歩いていかないと望む未来は掴めない。長谷川のメッセージは未来を切り開こうとする者の背中を押す力強いエールだ。
「24時間をデザインして、サッカーのためにどう食事や生活をして、監督の求めていることは何か、それを自分がやれているのか、今後どうしていきたいのかを本気で考えて、トライする。その空き時間で趣味や勉強をするのはいいけど、それがメインになって前提条件を疎かにしてほしくない。しかもその勉強は、『これを学べばサッカーに活かされる』という価値観でやってほしい。決してセカンドキャリアのためだけにやらなくていい。それをプロ生活でやり切ることができれば、セカンドキャリアでも絶対に向き合って乗り越えられると思います」
この文章を読んでから改めて冒頭の彼の言葉に戻ってもらいたい。それでこの文章は締め括りとなる。
「セカンドキャリアのためにサッカーをやらないでほしい、とは思います」
長谷川悠(はせがわ ゆう)
山梨県出身の元プロサッカー選手。ポジションはFW。
流通経済大学付属柏高校を卒業後、2006年に柏レイソルでプロキャリアをスタートした。以降、FC岐阜やアビスパ福岡、モンテディオ山形など複数クラブへの期限付き移籍を経験。さらに2010年にはモンテディオ山形へ完全移籍し、その後も大宮アルディージャ、徳島ヴォルティス清水エスパルス、V・ファーレン長崎と様々なクラブを渡り歩き、恵まれた体格を活かしたポストプレーと空中戦の強さでチームの勝利に貢献した。
2020年からはオーストラリアに渡ってウロンゴン・オリンピックFC、シドニー・オリンピックFCでプレー。2022年の帰国と同時に南葛SCへ加入し、2023年に現役引退を発表。およそ17年に及ぶ競技人生に幕を下ろした。
引退後は株式会社Nice and sunnyを設立。現在は街クラブGINGA FCのシューティングアドバイザー兼自己分析・メンタルアドバイザーを務めながら、VIRDSフットボールアカデミーでコーチとしても活動している。