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プロサッカー選手の経験こそあれ、経営の経験はおろか、ボディデザイナーのスキルすらゼロ。ましてや一般企業で働いたこともない。
自ら学びに行かないとスタートラインにすら立てないと、阿部はすぐに出資者として名乗り出てくれた知人の伝手で大阪のジムで研修を受けた。
当初の予定では、4ヶ月間の研修を終えるとそのまま関西でジムを開くという流れだった。しかし様々な事情が絡み合った結果、関西でパーソナルトレーナーになるという道は絶たれてしまう。研修を終えた阿部に告げられたのは、事実上の戦力外だった。
「ヴォルティスに0円提示をされて間もない状態だったので、正直ショックでした。でも、縁がなかったと割り切るしかなかった」
一緒に大阪に移り住んでいた妻との話し合いの結果、一度徳島に帰ることになった。しかし、4ヶ月間必死で勉強をしたことで、ノウハウは身についていた。
「いい意味で吹っ切れて、地元・徳島でパーソナルジムを開こうと思えたんです」
当時、徳島にはボディデザイナーを置いたパーソナルジムがなかった。一方で関東や関西の都市圏では大手企業が大々的な広告を打って、一気に広がりを見せていた時期だ。いずれ徳島にもその波はやってくるに違いない。ならば、先に徳島の地で開こうと阿部は意思を固めた。
まずは基本的なスキルを身につけるべく、地元のパソコン教室に通った。さらに経営者として経理を学ぶために、知り合いの税理士事務所に足を運んだ。
「領収書の書き方も、Excel や Word の使い方も分からなかったレベルから、なんとかそれなりに扱えるレベルになりました。経理のイロハもそこで学べました」
捨てる神あれば、拾う神あり。彼の境遇と努力に応える形で、現役時代に親交があった人たちがチャレンジに賛同をし、最初の顧客になってくれた。事業計画書を作り、銀行とも交渉をして資金調達もできた。
「ボディデザイナーとして地域の人々の健康寿命を伸ばしたい。そのためにはまず地元・徳島でパーソナルジムをたくさん作って、より一層地域の人たちに元気になってもらいたい」
信念を固めた彼は、2015年10月に徳島市内に一軒目のパーソナルジムである『PRIVATE SPACE FAMIGLIA』を開いた。
これまでの現役時代で培った人脈と記し続けたサッカーノート、そして蓄えた知識をもとに、彼は経営者として全力でジムを軌道に乗せた。ここから彼はただのジム運営ではなく、『ジムコンサルタント』というジャンルを切り拓いていった。
経営をしていく中で阿部が注目をしたのは『コラボレーション』。
「お客さんとコミュニケーションを重ねていく中で、YouTuberがとっている行動に着目をしたんです。人気YouTuber同士がコラボレーションをして動画を作り、双方の登録者数を伸ばしていくメカニズムを見て、『ジムでも同じようにやれないか』と考えたんです。
ただ成功したジムを何店舗も展開していくのではなく、いろんな業種とコラボレーションをしたジムを展開していけば、それぞれのジムに特徴が出て、他との差別化も図れるのではないかと考えました」
まず彼が興味を示したのは歯医者だった。知り合いに院長先生がおり、彼との会話の中で「子どもの歯の予防矯正の一環として、子どもの姿勢などを整えることで、将来健康寿命が伸びるのではないか」と気づき、歯とボディデザインとの相関関係を深く感じた。
思い立ったら即行動。すぐに院長先生に提案をすると話は進み、徳島県南部に歯医者とコラボレーションをしたパーソナルジムを開設した。
一度閃いたアイデアを形に出来れば、次から次へと発想が生まれていく。未来を担う子どもたちへのボディデザインを重要視していた彼は、当時から大きな社会問題になっていたある事象に注目をした。
『待機児童問題』。これは保育園や幼稚園に入れなかったり、小学校に上がっても学童保育に入ることができなかったりすることから、両親不在の状況で自宅で1人で過ごしたり、両親のどちらかが働きに出ることができなくなったりと、家庭に大きな影響を及ぼす社会問題だ。
この問題を他人事と思えなかった阿部はすぐに情報を集め、問題の本質を学んだ。すると国会で問題に上がっているにもかかわらず、徳島県ではあまり手がつけられていない領域であることがわかった。
一般的な学童保育は国や地方自治体の助成金で成り立っているところが多い。基本的に学童指導員、教員免許、看護師免許、保育士免許を持っている職員を雇用すれば、その職員1人に対し生徒10人まで助成金が出る。
しかし、それらの資格を持っていない職員が担当していては、助成金はおりない。つまり学童保育に入りたい生徒が学校に100人いたとして、その施設に資格保持者の職員が10人いれば、100人全員分の助成金がもらえるが、仮に資格保持者が2人しかいなかったら、生徒20人分の助成金しかおりない。学童保育を運営するにあたって、助成金が減ることで経営面が難しくなる。その結果施設として子どもの面倒を見切れなくなり、学童保育に入ることができない生徒が増えてしまう。
さらに両親のうちどちらかが育休や産休を取得していたり、小学生以上の兄弟がいる場合は学校の敷地内の学童保育にはなかなか入れないという現状もある。これによって親が働く環境が限定され、世帯収入に影響をしたり、育児ストレスが増幅したりと、悪循環にもつながる。
「今、徳島では田んぼがどんどん宅地に変わっていき、核家族が増えています。共働きで学童保育にいれないといけない家庭が増えています。人口減、少子化問題は徳島県も例外ではありません。核家族化はどんどん進み、学童保育の需要は増している状態だったんです。ここ数年で県内には保育園がかなり増えて、待機児童は解消されつつあるのですが、子どもが小学校に上がった途端に一気に受け皿がなくなるんです」
問題を掘り下げれば掘り下げるほど、その必要性が浮かび上がっていく。
「ならば自分がやるしかない」
ゼロから1を作ることがルーティーンとなった阿部はすぐに行動に移した。
「学童保育とジムのコラボレーションをするためにはどうあるべきかを考えたんです。そう考えると多くの学童保育のように学校の敷地内に作るのではなく、学校とは別に、サッカーで言うと地域クラブのような学童保育があっても良いのではないかと考えました。
じゃあ、箱の中身をどうするか。そう考えたときに勉強とトレーニングの両方を取り入れて、頭と身体の両方を鍛えるというコンセプトにしようと考えました」
繋がりのあった学習塾に声をかけ、監修に入ってもらうことにした。学校の宿題が終わった後に学習塾の人に来てもらって、組み立てられた学習を提供する。ただ勉強をするのではなく、姿勢を整えるためにバランスディスクを用意して、その上に座って勉強をする。さらにヨガやダンスを取り入れるなど、ジムと学習塾と学童のコラボレーションを手掛けた。
運営費に関しては助成金を入れずに、サッカーの街クラブと同じようにスポンサー企業を募り、施設の壁や子ども用のビブスに企業ロゴを入れるなど協賛をベースとした。また、学童保育のない、施設が空く時間帯を利用して地域住人が対象のヨガ教室を開いて経営している。
今年に入ると今度は「子どもと大人が通える場所」をコンセプトに、産婦人科とコラボレーションをして、女性専用、それも妊婦に特化した医療予防ジムを立ち上げた。
斬新な発想をもとに事業展開をしていき、今では経営者、青年実業家としての地位を築いた。そして自分を育んでくれたサッカー界でも、徳島でGKスクールを展開するなど、地元に根差した活動を続けている。
「長いプロ生活を通じて、意識次第で自分も環境も変えられることに気づいたんです。だからこそ、セカンドキャリアに関しても全ては自分次第と捉えられることができた。プロサッカーという世界の外から出た以上、自分でやるべきことを見つけて、そこで前に進んでいくだけだと思っていた」
Jリーグに9年間所属しながらも出場機会はゼロだった男が、プロ生活の中で人との繋がりやあるべき姿勢を学んで、次のステージで躍動を見せている。彼の発想と行動はこれから起業やマネジメントを目指すアスリートにとって、1つの大きなヒントになる。
「今、改めて思うのは、サッカーのつながりが生きているということ。アスリートとしての人生の中でつながりを持つことが出来た人たちとタッグを組んでやっている。人脈は宝だなと思います」
彼は今、新たなアイデアを形にしようとしている。それがまた新たな人とのつながり、自分の可能性を広げていくことと、地域の人たちに活力を与えることを信じて。
阿部一樹(あべ かずき)
徳島県出身の元サッカー選手。ポジションはGK。
高校時代は愛媛FCのユースでプレーし、2006年よりトップチームに昇格。2008年に徳島ヴォルティスのセカンドチームに移籍すると、翌2009年にはトップチームへ昇格した。セレッソ大阪への半年間の期限付き移籍を経て、2012年より徳島へ復帰。2014年に現役引退。
2015年10月に徳島市内にてパーソナルジム「PRIVATE SPACE FAMIGLIA」を設立し、2022年4月には徳島市に民間の放課後学童クラブ「#スタトレ(ハッシュタグスタトレ)」を開設した。