前編はこちらからご覧ください。
アスリートのセカンドキャリアに向けて重要なキーワードとなる『ウェルビーイング(Well-being)』。
水戸ホーリーホックのフロントに入って2年目の2017年に、当時強化部長だった西村氏は、現場の強化だけでなく、チーム作りにも着手し、選手に対するアクション、地域へのアクションを様々に打ち出した。
「課題としているのはホーリーホックを地域の交流拠点としてどう成り立たせるのか。だからこそクラブ自体を知ってもらわないといけないし、地域の人たちの生活の中にどう入っていくか。理想形としてはカルチャーセンターのようにいろんな興味対象を運営していく。
それは行政がやろうとしても相当なマンパワーが必要で、簡単ではありません。ならばそれをクラブが引き受けることで、地域に必要とされる存在になることができる。サッカークラブは大きな可能性を秘めていて、僕らは選手の体調管理やサッカースクールなどの、サッカーを通じて培ったノウハウを地域の人たちに還元することができる。
そうすることで選手も『サッカーだけやっていればいい』という考えから、自分と地域の関わりを知り、自分が発信者であるという自覚が芽生える可能性がある。結果として社会性を身につけることができるんです」
まさにこの「サッカーだけをやっていればいい」という概念を打ち崩すことが、現役アスリートへの『ウェルビーイング(Well-being)』の入り口だった。
まず西村氏が目をつけたのは選手の人間関係。「サッカー選手は人間関係が広いようで狭い」と指摘をするように、プロ選手になったことでこれまでより人間関係は増え、言い方によっては『派手』にはなるが、そうではない。その繋がりは自分がプロサッカー選手という看板のもとに集まってきたものが多く、価値観も人生観も偏ったり、ストレートに言うと『太鼓持ち』が集まったりしてしまう危険性もある。
「こちらがある程度介入しないと、価値観や人間関係に偏りが生まれてしまう。それを広げるためにいろんなジャンルの人々に話をしてもらうことで、彼らに見えていない世界に気づいて、その上で自分のスタンスを醸成して欲しかった」と、西村氏はクラブに様々なジャンルで活躍する人を講師として呼び始めたのを皮切りに、翌2018年3月には『Make Value Project』を立ち上げた。
「プロサッカー選手を『仕事』という観点で見れば、本来は練習外の時間もプロフェッショナルでないといけません。例えば午前中の2時間練習のみでも、午後も『仕事中』なんです。つまり筋トレする、身体をケアする、語学を学ぶ、自分の感性を広げるために異業種と『意図的に』会うなどアクションする時間でもある。
じゃあ実際に選手は午後の時間をどう過ごしているかというと、一昔前はパチンコが多かった。今はスターバックスなどのカフェやゲームで費やすことが多いんです。その中で感度の高い選手は自分でアンテナを張って行動していく。でもそういう選手は多くない。だからこそ、そこをクラブで管理していくにもいいんじゃないかと思ったんです」
このプロジェクトは1週間に1度、クラブ内外で活躍する人物を講師として呼び、話を聞きながら自分にベクトルを向けて、最後はグループワークで聞いた話をフィードバックする。さらにただ話を聞き、話し合うのではなく、キャリアコーチをクラブで採用し、そのコーチと1対1で対話して自己認識を促していく。
西村氏はこのプロジェクトを形骸化させることなく、常に成果と内容をフィードバックしながら、進化を加えていった。
「最初の1年目は単純に選手たちに学びの場を設ければいいと思っていたんです。シンプルに座学をする集合研修を年間25〜26回作ったんです。でも、これだけでは選手の行動変容が全く見えなかったので、『これは何のためにやっているのか』ともう一度考え直した時に、場を用意するだけじゃダメだと思ったのです。あくまで目的は選手の変化。
ただのセミナーを繰り返すのではなく、選手たちが主体的に取り組める場作りをしようと、改革して行ったことで今日の形があります」
こう語ったように、2020年には『Make Value Project』を週1回から週2回に増やし、キャリアコーチとの1対1の対談の後に、大谷翔平選手が高校時代に作成して話題となった『目標達成シート』をより細分化したものを選手自身が作成し、クラブが管理するようにした。
そのために業務委託として新たに面接官と目標達成シートを管理する人材を招聘し、より選手たちが視野を広げ、自分と向き合い、自分が何者であるかを把握できるようにし、『ウェルビーイング』の土台を作ることのできる組織を作り上げた。
「プロアスリートの世界において、やっぱり『プレーする側』と、『その機会を創出する側』では違います。当然、する側の方が圧倒的に魅力的な映り方をしますし、スポットライトが当たりやすく、周りもチヤホヤしてくれます。そんな時に「機会を創出する側」が「プレーする側」の選手に対してどうアプローチするかはそのアスリートの今後を左右するほど大事なことです。
ただチヤホヤされているのを勘違いさせてしまったままでも、実力はあるからと放任してしまうことが一番だめなこと。だからこそ、今現役である選手たちに水戸ホーリーホックとして問い続けるのは、『何のためにサッカーをしているのか』ということです。これはありそうで実際には問われない質問なのです。
『サッカー選手としてどうしたいか』ということはよく聞かれます。僕も現役の時はそれを聞かれたら、『日本代表になってワールドカップに出場をして、ヨーロッパでプレーしたい』と答えていました。これは職業人としては立派な回答です。
しかし、そこから『何のために日本代表になるの?』『何のためにワールドカップに出るの?』と問われた時に、その次の言葉が出てこなかったんです。もちろん『お世話になった人への恩返し』とか、『自分の夢の実現』『経験することで成長をする』などいろいろ回答はできると思いますが、それはあくまでアスリート、職業人としての答えから逸脱しない。
つまりアスリートとしてのアイデンティティからの答えなのです。セカンドキャリアはそのアイデンティティを一回失うわけですから、アスリートとしての自分ではなく、1人の人間として『自分とは何者か』を理解しておくことが重要なのです。
それが『ウェルビーイング』にたどり着き、アスリートとしてのキャリアが終わっても、次は何を持って、何の世界で自分のあり方を何で表現していくのかという方向にスムーズに行けます。だからこそ、我々はクラブとして選手たちに常に『何のためにサッカーをしているのか』ということを問い続けています」
アスリートとしてのストーリーはいつか終わりがくる。終わりが来た時に物語も終了させてしまうのか、それとも文脈が繋がった第2章、第3章へと繋げられるか。そこには当然現実が待ち受けており、いつまでも壮大な夢を語り続ける『トム・ソーヤーの冒険』のような物語は続かない。
自分が育んできたサッカーというアイデンティティを客観視して、言語化をして、巨大なアイデンティティが外れた時の自分を知る。これが『Make Value Project』の真の狙いであった。
「サッカーだけじゃない自分、そもそもの自分。もっと言うとサッカーを通して形づけられてきた自分とはどういうものなのか。僕は11年間現役をやってきた中で『教育と健康』という言葉に接することが多かった。引退後もこの2つのキーワードに紐づいた内容だと、自分のエネルギーが湧いてくることが分かったのです。
サッカー以外の自分に気づいたことで、セカンドキャリアに向けての道が見えたし、それが自分の新たなアイデンティティとなり、価値観を生み出すことができたのです」
自分の経験則に基づいて、アスリートファーストの視点に立って綿密に作り上げた水戸ホーリーホックの選手育成プラン。後編ではそれによって得たアスリートの特性と知見、そしてこれからの未来について聞いてみた。
後編はこちらからご覧ください。
西村卓朗(にしむら たくろう)
東京都新宿区出身の元プロサッカー選手。ポジションはDF。
大学卒業後に浦和レッドダイヤモンズへ入団。その後は大宮アルディージャ、USL1部リーグのポートランド・ティンバーズへの移籍を経験した。2009年に帰国し、湘南ベルマーレフットサルクラブへ加入。以降はフットサル選手として活躍する。
2010年にはUSSFディビジョン2プロフェッショナルリーグのクリスタルパレス・ボルチモアへの移籍が発表され、2011年にコンサドーレ札幌に加入。同年に引退を発表した。
引退後は浦和のスクールコーチや関東サッカーリーグのVONDS市原FCのゼネラルマネージャー兼監督、水戸ホーリーホックの強化部長を歴任。現在は水戸ホーリーホックでゼネラルマネージャーを務めている。