まずは彼女の人生を振り返ってみたいと思う。なぜならば、彼女の人生について聴けば聴くほど、夫である愛鷹の人生とリンクする部分が多く出てきたからだ。愛鷹が夢だったプロ格闘家の道に進んでからの人生と、彼女がアイドルになってからの人生には似ている境遇が多く、彼女はそれをわずか10代や20代前半の間に経験をしていたのだった。ぜひ愛鷹のコラムを読んだあとに、彼女の物語を読んでほしい。
佐藤すみれは1993年11月20日に埼玉県で生を受けた。5歳の時に両親と新宿で買い物をしていたところを芸能事務所にスカウトされ、子役として芸能界デビューを飾った。中学生で経験したキッズミュージカルを通して、「歌って踊ることが楽しかったし、アイドルはそれに魅了されたファンの人がついてくる。アイドルの世界に大きな魅力を感じました」とアイドルのオーディションを受ける決意をした。
最初はハロー!プロジェクトのオーディションを受けたが、モーニング娘。の最終オーディションで落ちてしまう。そこからAKBに対して強い憧れと興味を持つようになり、劇場にも足を運び、「どうしても立ちたい場所」と本気でAKBに入ることを目標としてレッスンに挑むようになった。
そして、2008年にAKB48 第四回研究生(7期生)オーディションに合格。研究生という立場からのスタートだったが、努力を重ねて翌2010年の5月に正式にチームBのメンバーへと昇格を果たした。
そこから複数のユニットで活動するようになり、AKBでも年末の選抜総選挙でランクインするようになった(最高順位は31位)。
「3時間くらい寝られたら十分という日々を送っていました。毎日どこで何の仕事をするのかわかっていない状態で、とにかく仕事に食らいつくことに必死でしたし、それこそ総選挙の自分の順位に一喜一憂していましたし、順位を1つでもあげよう、選抜に入ろう、上に登ろうという気持ちで本当に必死でした」
あまりの多忙さの中でも『勝利』を目指して、がむしゃらに突っ走っていった日々。しかし、2014年にAKBから名古屋の栄を本拠地に置くSKE48に移籍が発表されると、彼女のアイドル人生は大きく一変した。
「移籍は本当にショックでした。『AKB48グループ大組閣祭り』のステージ上で発表が行われたのですが、その瞬間ショックのあまり膝から崩れ落ちて、そのままステージから運び出されてしまったんです。でも、その姿に『名古屋に行きたくないなら来なくていいよ』とSKEのファンの人たちに大ブーイングを受けてしまったんです」
ここからが佐藤にとって逆風の人生の始まりだった。プロデューサーである秋元康からは、「あなたには名古屋でやるべきことがある。それを見つけてください」と言われたが、当時はその言葉の意味を全く理解できなかった。言うなれば「体のいい左遷」なのではないかとすら思っていた。
「AKBになりたくて入ったのに、なぜ別グループに行って、AKBの曲とダンスを捨てないといけないのかと本当に嫌でした」
名古屋に向かう新幹線の中で一人泣いたという。だが、移籍発表の時のリアクションを含め、「なぜ私が」という気持ちはSKEというグループに馴染めない大きな障害物となってしまった。
名古屋に引っ越して活動を始め、SKEの握手会に参加した。すると、AKB時代はファンの列ができていたが、名古屋では佐藤の前に並ぶ列がなくなった。アイドルは人気商売であり、熱狂的なファンの存在が礎となる。だが、周りには多くの列ができる中で自分の目の前にはただの空間しかない。その現状に佐藤はさらに大きなショックを受けた。
だが、「ここから巻き返そう」という気持ちにはなれなかった。SKEの歌とダンスをイチから覚えなければならず、衣装もAKBとは全く異なる。それは移籍した以上仕方がないことであったが、彼女の心には「AKBの歌が歌えない、踊れない。衣装を着られない」という感情が残り、SKEでの活動に対しては「やらされている」感覚しかなかった。
「来なくていい。嫌なら」
彼女がSKEに対して拒否反応を示せば示すほど、彼女の周りから人は離れていった。ファンだけではなく、彼女が醸し出す近寄り難い雰囲気を察してか、SKEのメンバーやスタッフまでもが腫れ物に触るような対応になっていった。
「これまで自分がやってきたことが無駄になるという恐怖が生まれました。今まで人見知りをすることも周りのことを気にすることもなかったけれど、初めて周りが怖くなり、みんなが敵に見えてきたんです。それと同時に自分までも敵だと思えてきました。」
次第に、自己嫌悪と周囲との軋轢に頭を悩ませる悪循環に陥っていった。それでもAKB時代のファンが支えてくれたことで、2015年の総選挙で49位に入るなど存在感を見せはしたが、逆にその結果が彼女とSKEの間にわだかまりを生む結果となってしまっていた。
「早く馴染んでしまえば楽だったのかもしれませんが、今までのプライド、今までやってきたことが無駄になるんじゃないか、自分に嘘をついていいのかという思いが邪魔をして、馴染む努力ができなかったんです」
何もかもが噛み合わない日常。そして日に日に膨らんでいく不安と将来への焦り。「ただ、なんとなくアイドルをやっているだけ」の状態が3年も続いた。
「本当に『自分』というものが何にもなかった。自分が空っぽ。自分の魅力がどんどんなくなっていると感じていった。なぜ私はSKEに来たのか。秋元さんの意図が分からないまま月日だけが流れていく状態でした」
いつしか無気力になりつつある自分がいた。ステージ上での煌びやかな世界と「絶対に上に行く」とぎらついていた日々は徐々に色褪せ、日常生活では気力も生まれなかった。これまでと同じ「アイドル」であるはずなのに、刺激と輝きに満ちた日常は見る影もなくなってしまった。
「このままアイドルをやめてしまおうかな」
なかなか光が差し込まない状況に行く手を塞がれた気がした佐藤は、心の中でそう思うようになった。だが、「辞める」という選択肢が生まれたことで、彼女の中で少しだけ心の余裕が生まれた。すると、今の自分が『歪な状態』にあることに気づいていった。
「だんだん、『AKBが好きすぎてしまった自分』が自分を苦しめているんじゃないかと思うようになったんです。少しだけ冷静になって周りを見渡してみると、SKEには私と年齢が10歳近くも離れている子たちがいる。その子たちと一緒にステージに立っているのに、私はその子たちの頑張っている姿を見ようとしなかった」
ハッとさせられた。自分がやるべきことはAKBのプライドを持ってただ舞台に立つことではないのではないし、それをやり続けてしまったから、いつまで経ってもSKEに居場所ができなかったのではないか。
しがらみやわだかまりで曇っていた心の中が、どんどん晴れていくのがわかった。
「おぼろげながら自分がここですべき役割が見えてきた時に、自分が何のためにアイドルをやっているのかをもう一度真剣に考え直したんです。ずっと憧れて、AKBに入って、正規メンバーになってやっと手にしたアイドルとしての自分。その自分に対して、秋元さんから『何か自分にやるべきことがある』と言われてSKEに来たのに、それが何かも分からないままやめてしまうと考えたら、『それは嫌だ』と強く思うようになったんです。
自分に手応えがないままアイドルを終えてしまったら、一生後悔する。最後はアイドルとして綺麗なドレスを着て卒業コンサートをするということが憧れだったのに、それができない状態で終わってもいいのかとも思うようになりました」
辞めるにしても、何か1つ残さないと辞められない、辞めたくないと心から強く思えた。自分の本心と周りから求められている自分。その両方に対して逃げずに向き合い、真剣に考えたことが彼女にとって人生の大きな転機となった。
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佐藤すみれ(さとう すみれ)
埼玉県出身の元アイドル。夫は格闘家の愛鷹亮。
小学1年生の時にスカウトされ芸能界に入る。子役などの活動を経て2009年にアイドルデビュー。アイドル時代はSKE48およびAKB48に所属し、「すーめろ」の愛称で愛された。2017年に同グループを卒業。
現在はクリエイターとして活動中。カフェやスイーツ、ファッションのプロデュース等を手がけ、講演会講師も務めるなどその活動は多岐にわたる。