TOP > Special > 【後編】半端にはしない覚悟で挑んだレッドオーシャンな飲食業。人気居酒屋に成長させた元バス.. 【後編】半端にはしない覚悟で挑んだレッド..
Special
掲載日:2023.6.26
最終更新日:2023.10.17
【後編】半端にはしない覚悟で挑んだレッドオーシャンな飲食業。人気居酒屋に成長させた元バスケ選手の軌跡と新しいプライド
元プロバスケットボールプレーヤーである小菅直人は、近畿大学卒業後の2004年に来季から立ち上がるbjリーグへ参加する地元の新潟アルビレックスBBに加入。SGとして活躍をすると、2010年には琉球ゴールデンキングスに移籍、2016年の現役引退までに3度のbjリーグ制覇を経験した。名実ともに沖縄バスケットボール界のレジェンドの1人となった小菅が引退を決めたのは、Bリーグが誕生するタイミングの2016年だった。あまりに突然の引退発表にバスケットボール関係者からは「まだ十分できるのに」、「Bリーグでもプレーできる」という引退を惜しむ声が上がるほどだったが、彼はその先の道をはっきりと見据えており、意志は固かった。引退から7年が経った今、小菅は第二の故郷である沖縄でいまや人気店として繁盛する飲食店を経営している。さらなる事業拡大も考えているという彼に、自身のキャリアについて振り返ってもらった。
シェアする
INTERVIEWEE
小菅直人(酒処 色珠 代表取締役)
interviewer / writer : Takahito Ando
痛感したのは先輩から受け継いだ人との繋がりを大切にする意義

前編はこちらからご覧ください。

 

『酒処 色珠』をオープンさせてからも、小菅は板前長と何度も新潟を訪問した。

 

そこでアルビレックス時代にお世話になった人や、地元でお世話になった人たちを通じて、食材の業者や酒蔵をつないでもらった。そして何度も足を運んでコンセプトや熱意を伝えた。こうした交渉が実を結び、食材やお酒は産地直送でより品質の良いものを沖縄で提供できるようになった。

 

さらに小菅自身の接客姿勢も、お客さんとのコミュニケーションを第一にしたものを考えるようになった。

 

「夜の営業が中心になっているので、現役時代の規則正しい生活から一変しました。深夜にお店を閉めて、そこから片付けをしたり、お客さんたちと食事に行ったり、飲みに行ったりすることで、家に帰ってくるのが深夜3〜4時ということもザラにあります。

 

今も夜11時を過ぎると眠くなりますし、しんどさはあります。でも、生活のリズムが激変しようが、もう飲食業をやると決めた以上、それをやる、繁盛させるために必死で、『習うより慣れろ』の精神でやっていました。

 

それは7年経った今も変わりません。お客さんとお店の中だけではなく、外でもコミュニケーションをとることで、より継続してお店に来てくれますし、新しい知り合いの人を紹介してくれる。さらには同じ地域で飲食業をしている仲間のお店にもお金を落とすことができる。私にとっては大事な付き合いだと思っています」

店内には現役時代のユニフォームなどが並ぶ

 

小菅が7年間、常にお客さんとのコミュニケーションを深く続けているのには大きな理由があった。それは、彼が現役を引退した後に痛感した『人と人との繋がり』の大切さによるものであった。

 

「僕はもともと、人と関わることは苦手ではありませんでした。ですが、コミュニケーションをとるという面に関してはアルビ時代の先輩である長谷川誠さん(注1)から一番影響を受けました。

 

注1:元日本代表選手。現在は地元の秋田ノーザンハピネッツでコーチを、3×3女子日本代表でヘッドコーチを務める。

 

長谷川さんはすごく社交的で、ファンやブースター、スポンサーの皆さんへの接し方がうまくて、それがプレーや愛され方にも滲み出ていたので、『僕もこうなりたい』と思って勝手に長谷川さんを見て真似ていました」

 

少し話は逸れるが、筆者はこの話を聞いて改めて、プロになった後『ついていくべき先輩』を誰にするかの判断は非常に大事だと感じた。遊びばかりを優先する先輩なのか、ストイックな先輩なのか、社交性があり競技にも真面目な先輩なのか。誰に影響を受けるかということは、プロとしてのキャリアが変わってくるほどに重要なことだ。

 

同時に「誰が自分にとって選手としても人間としてもプラスになる存在か」をきちんと見極める眼を持っているか否かということも、プロとして大成するために大事な要素だ。小菅はその眼を持っていた。

新潟アルビレックスBB時代のポスターも掲示されている

 

長谷川を参考にしてファンやブースター、スポンサー、地域の人たちとコミュニケーションをしっかりとった結果、いざ飲食店を立ち上げる時には新潟、沖縄の両方で多くの人たちが縁を繋いでくれたり、サポートをしてくれたり、お客さんになってくれた。

 

だからこそ、人生がセカンドキャリアに切り替わっても、お店に来てくれるお客さんや地域の人たちとのコミュニケーションを小菅は大切にしているのだ。

過去ではなく今の店主としての自分を認めてもらう

信頼している板前長の腕と、小菅の変わらぬ接客姿勢によって、『酒処 色珠』は繁盛店となり、7年経った今もしっかりと地元に根づきながら、小菅の地元・新潟の料理を提供し続けている。

「7年も経つと、さすがにもう僕が元プロバスケットボール選手だと知らないお客さんがかなり増えてきています。7割くらいが僕を知らないお客さん。たまに『めちゃくちゃ背がでかい(188cm)し、ガタイ良いですね。何か運動をやっていたのですか?』と聞かれるくらいですから(笑)。でも、それが嬉しいですし、僕が求めていた形。料理と雰囲気、場所で勝負ができている証拠だと思っています」

 

目の前に来ているお客さんは、過去ではなく今の小菅を見て、お店に行こうと判断をして、率先して足を運んでくれている人たち。小菅のことを「そのお店を切り盛りしている人」と認識しているからこそ、彼に対する判断基準も店主として魅力的かどうかになる。常に過去ではなく今を見ながら、未来への具体的なヴィジョンを考えられるか。

 

「もし自分が現役選手のままでお店を経営するようになっていたら、ファンの方たちもたくさん来てくれたとは思います。でも、それは自分が現役の時にしか通用しないことです。引退後の数年間はそれでも来てくれるファンもいるとは思いますが、それも長くは続きません。

 

やっぱり味とコンセプト、接客で勝負をして、認められるお店にしないといけないと思っていました。自分を全く知らない人が多く来てくれて、それに加えてこれまで応援してくれたファンやブースターの人たちもずっと足を運んでくれるお店になることを目標にしてきましたし、これからもそれは変わりません」

 

小菅の成功の裏には、彼がこの姿勢を持ち続けられていたことが大きく影響をしたのであった。

 

「最近、常連さんから『昔は突っ立っているだけだった時もあったのに』と言われたのです。自分では一生懸命にやっていたつもりだったのですが、やっぱり最初の方は甘かったんだなと思いましたね。その常連さんに『でも今はすっかりと板についてきたというか、自分から注文を聞いたり、一人ひとりお見送りをしたり、すごく気配りできるようになったね』と続けて言ってもらったのは嬉しかったですね」

 

笑顔を見せながらこう語る小菅はこれから先、どんなヴィジョンを描いているのか。

 

「よく周りから『2号店を出したほうがいい』と言われますが、僕は板前長が作ってくれる料理こそがウチのお店の看板なので、他の人が料理をする2号店のことは考えていません。それに、板前長が辞めるときがお店を辞めるときかなと思っています。だからこそ、その時がくるまで全力でお店をやることを第一に考えています。また、飲食店経営のその先のことを考えて、新潟のお米の販売をお店でやったり、直接受注を受けて新潟から直送したりする事業も始めています」

 

理路整然とヴィジョンを語る彼の口から、「実は来月から学生になるんです(注2)」という驚きの言葉が出てきた。

 

「僕はこれまでスポーツに育ててもらったからこそ、どこかでスポーツに関わりたいとだんだん思うようになってきたんです。関わりたいといってもコーチとしてではなく、トレーナーなどの『アスリートの体にメンテナンスを施す人』として関わっていきたいなと思ったので、まず昨年は骨格矯正の資格を取得しました。

 

その次のステップとして、来月から沖縄統合医療学院という専門学校に、柔道整復師の資格を取るために3年間通います。実は妻も今、リンパマッサージの資格を取りに専門学校へ通っているんです。将来的には2人でサロンを経営しながら、アスリートをケアやメンテナンスを通してサポートしていけたらなと思っています」

 

注2:本インタビューは2023年3月に実施され、小菅は同年4月より学生として学びを深めている。

過去のプライドを持ち込まず、新しいプライドを作り上げる

やると決めたら、今を大切にしながらも土台作りの準備は怠らない。セカンドキャリアからサードキャリアへの移行も決して中途半端にならないように、やるべきことをきちんとやる。

 

「何事も信念を持って一生懸命やっていれば、自然と周りや結果がついてくるんです。当然、継続が切れる瞬間がどこかでくると思うのですが、それが僕の中では引退からセカンドキャリアへという流れでした。今後もセカンドキャリアからサードキャリアへという流れはあると思うので、それを考えながらも今に集中していきたいと思っています」

 

今後、Bリーグが歴史を重ねれば重ねるほど、多くの「元プロバスケットボール選手」が輩出されてくる。そうなると『元プロ』の肩書だけで通用する時間は今よりも短くなる。もちろん『元プロ』であることを活用することは大事だが、過去ではなく今の姿を評価してもらえる人間にならないといけないし、自分の価値観の焦点を今に合わせないと時代の流れに置いていかれてしまう。

 

「この間、専門学校のオリエンテーションを受けに行ったんです。昼間の授業を専攻したので周りはほとんど10代の子達ばかりでした(笑)。当然、その子たちは僕が元プロバスケットボール選手だということは知りません。だからこそ『図体のでかいおじさん』として彼らと切磋琢磨しながら学んでいきたいと思います」

 

郷に入れば郷に従え。過去のプライドを今に持ち込まず、これから新しいプライドを作り上げる。人生はその繰り返しであることを、彼の人生、考え方を通して改めて学ぶことができた。

おわりに

最後に小菅は後輩たちに向けてこうメッセージを送ってくれた。

 

「やっぱり現役か現役でないかの差は物凄く大きいですよ。現役を辞めた後の周りや世間からの対応の変わりようは想像以上に大きい。今、Bリーグも人気が出てきて、ファンの人たちも増えているからこそ、これから引退をする選手たちは相当なギャップを感じると思います。

 

だからこそ今、プロをやっている後輩たちに伝えたいのは、今ある縁を大事にしてほしいということです。もちろん無理して縁を作ったり、広げたりしなくても良いですが、少なくとも自分を応援してくれている人たちや自分の周りにいる人に対しては謙虚な姿勢で、真摯に向き合ってほしいなと思います。それがのちに自分を助けてくれる縁になると思います。

 

それは長谷川さんもそうだし、僕も実際に肌で感じている大切なことですが、今も変わらず応援したり、サポートしたりしてくれるのは、現役時代にきちんとコミュニケーションをとっていた人たちですから。辞めてから『どうしよう』では厳しい。

 

参考書を買って読むだけでもいい。バスケットボールに集中しながらも、引退後にどうしようかと少しでも考えて空き時間を有効活用してほしいです。『終わってからでいいや』という考えは持たずに、今を大切にしてほしいと思います」

 

以上。

小菅直人(こすげ なおと)

1982年3月5日生まれ。新潟県柏崎市出身の元プロバスケットボール選手。ポジションはSG。長身を活かしたアグレッシブなオフェンスと高確率の3ポイントシュートを武器に活躍。
2004年に新潟アルビレックスBBへ入団、2007年のオールスターゲームでは日本人初となる大会MVPを受賞した。2010年に琉球ゴールデンキングスへ移籍、以降は3度の優勝に貢献しチームを支えた。2016年引退。
現在は那覇市で『酒処 色珠』という小料理屋を経営、新潟の多彩な料理と地酒を振舞う。

CREDIT
interviewer / writer : Takahito Ando
editor : Takushi Yanagawa
director : Yuya Karube
assistant : Naoko Yamase
シェアする