菅和範が現役引退を決意したのは、2020年の夏のことだった。
「自分が試合に出られなかった時に、悔しさよりもチームが勝った喜びの方が大きかったんです。その時にプロ選手としてもう潮時だと感じました」
引退を決意してから、セカンドキャリアに動き出そうとはしなかった。そこには彼のプロとしての矜持があった。
「いま与えられている職業を全力でやって、お金をいただいている分を還元していかなきゃいけないという僕個人の考え方があります。自分がサッカー選手でいる間は、全力でやりきろうと思いました。僕の性格上、引退後に何をやっても職を選ばなければ生きていけるだろう、家族を養うことはできるだろうと思っていたんです」
この言葉通りサッカーをやり切った彼は、引退後の2021年、セカンドキャリアに向けて動き出した。
「経営者になりたい」という気持ちが強かった一方で、社会人経験を一度もしていない自分に足りない経験を積むべく、彼はまず知り合いの紹介ではなく、自力で就職活動をすることを選んだ。
転職サイトであるリクナビに登録し、担当者と面談を繰り返しながら商社などを複数応募した。しかし、結果は軒並み書類選考で落選。「やっぱり元サッカー選手だとしても、35歳で社会経験がないとこのように評価されるのだなと痛感しました」と、現実の厳しさを知った。
そこから彼は次なるアクションを起こす。東京と栃木の知り合いを通じて、複数の企業を紹介してもらい、説明会や面接に行った。そこでは複数の企業から前向きな回答をもらったが、彼は内定を受け取らなかった。
「社会の厳しさや自分を知っていく中で、僕は何かに属したり、企業に入ったりするよりも、自分でいろんなものを見ながら、自分で仕事を作っていくチャレンジがしたいと思うようになりました」
この時点で選手会のサポートをする仕事は決まっていた。さらに選手会がセカンドキャリアをサポートするために提供している就学支援金制度を活用し、1年間はインプットをする時間に充てることを決意した。家族の了承を得て、栃木県の産業振興センターが主催する経営塾に入り、経営を1から勉強し始めた。
勉強を重ねるうちに新たな事業や企画が頭に浮かんでいった彼は、それをすぐに行動に移した。栃木銀行が主催するビジネスプランコンテストに応募すると、準優勝を獲得。この準優勝に輝いたビジネスプランこそ、彼の歩むセカンドキャリアの根底となる。
彼のビジネスプランは子ども達にスポーツの選択肢を増やし、より適したスポーツで健康増進する枠組みをつくること、そしてその子ども達のサポートをすることだ。
子ども達がスポーツを選択する際、子どもの意思だけではなく外部の様々な要因も大きく影響している。例えば「親がどのスポーツをやっていたか、どのスポーツが好きなのか」「その地域でそのスポーツが盛んか、盛んではないか」「活動するクラブがあるかないか」などが挙げられる。
「子ども達にとって競技選択の機会や選択肢が少ない中で、外的要因の与える影響が大きすぎるのです。ある競技を選んだとして『試合に出られませんでした』『自分には合いませんでした』となってしまった時に、目の前にあるのは『その競技を続けるか辞めるか』という2択だけになります。これでは生涯スポーツの観点からみても子ども達はスポーツを嫌いになったり、興味をなくしてしまうことに繋がります」
この課題解消のために目をつけたのが、栃木県という土地のポテンシャルだった。栃木には彼が所属をしていた栃木SCを筆頭に、日光アイスバックス(アイスホッケー)、宇都宮ブレックス(Bリーグ)、栃木ゴールデンブレーブス(独立リーグ)、そして宇都宮ブリッツェンと那須ブラーゼンの2つの自転車チームがある。
「5種目、6チームのプロクラブがある県はなかなかない。現役時代から他のスポーツ選手と交流を重ねていくうちに、みんなで協力をして地域の子ども達に複数のスポーツを体験してもらうことで、ファンになったり、やりたいスポーツが見つかっていったりするのではないかと考えるようになりました」
多くのスポーツと地域の子ども達を繋ぐハブを作りたい。各団体と連携をして体験イベントを開いたり、交流会を開いたりすることで、スポーツを通じた成功体験や純粋な楽しさを伝え、子どもたちのスポーツへの考え方をポジティブにしていきたい。その先には健康福祉や課題解決能力の向上、地域活性化がある。
「現役時代からずっと思っていた」ことを形にしたビジネスプランの発表は、彼にとって重要なアウトプットだった。
2021年10月に獨協医科大学病院と業務委託という形で『獨協医科大学病院スポーツ医学センター』を設立し、医療連携担当に就任。
「僕らプロサッカー選手は移籍などで家族と共に新しい場所に行くのですが、その際にかかりつけの病院が変わって、新たな病院を見つけるまでに苦労するという経験をしてきました。
現役時代から獨協医科大学病院のドクターと交流をしていくうちに、スポーツと医療は怪我人を治療するなどだけではなく、こうしたスポーツ選手やその家族と医療のマッチングなどもできたら面白いよねと話すようになったんです。
この流れから自分が栃木県のプロクラブと獨協医科大学病院のパイプ役となって、困ったら24時間・365日、選手を受け入れるセンターを立ち上げました」
それぞれのチームドクターやトレーナーと連携をしながら、チームでは処置できない場合に連絡をもらって迅速に対応する。現役時代の人脈と理念に基づいた情熱で今も医療連携担当として活動をしている。
さらに2022年6月に星の杜中学校高等学校において部活動のアドバイザーという役割で、スポーツ推進ディレクターに就任。この詳細は後編で伝えるが、同時に宇都宮大学非常勤講師にも就任して、スポーツを通じての学校教育に乗り出した。
同年9月にはイベント企画や講演会などを行う株式会社WAQUOISEを設立。ビジネスプランコンテストでプレゼンしたイメージを形にするべく、ITを駆使して地域の子ども達の運動能力を測定し、そのデータを元に自分に適したスポーツは何かをアドバイスしたり、栃木県内のプロクラブを通じてそのスポーツを体験してもらったりするなど、客観的、主観的な観点から子ども達のスポーツの選択の幅を広げてもらう活動に注力した。
経営者、各事業のコンサルティング的な役割と複数の顔を持つようになった彼は、4月から新たなスタートを切る覚悟を固めた。後編はその覚悟と未来予想図に迫る。
後編はこちらからご覧ください。
菅和範(かん かずのり)
愛媛県今治市出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。
大学時代はボランチとして2007年度の全日本大学サッカー選手権大会ベスト8進出に貢献し、2008年よりFC岐阜に加入。2012年に栃木SCへ完全移籍すると、同年日本プロサッカー選手会副会長に就任。所属した両チームではともにキャプテンを経験した。豊富な運動量と気持ちのこもったプレーを信条として活躍、2020年シーズンをもって引退した。
2022年に株式会社WAQUOISEを設立し代表取締役に就任。私立星の杜中学校・高等学校でスポーツ推進ディレクターも務める。