前編はこちらからご覧ください。
それは2022年シーズン開幕前のことだった。キャンプで非常に調子が良く、プレーパフォーマンスも気力もコンディションもこれまでの現役生活の中で最高潮を迎えていた。「よし、今年は絶対に行ける」と思った2月に、彼は新型コロナウィルスに罹患してしまったのだった。
「罹患しないようにかなりの細心の注意をしてきたし、開幕に向けて努力を重ねて準備してきたのに…。もうショックでした」
症状は治まっているのに、なかなか陽性反応は消えなかった。検査をしては陽性を繰り返したことで、外に出ることができたのは罹患から3週間後。すでにシーズンは開幕し、3試合を消化していた。出だしで躓いた形となってしまったが、自宅隔離の期間に彼はもう一度自分自身と真剣に向き合った。
部屋で筋トレをしながら「もう一度気持ちを切り替えるために料理をもっと頑張ろう」と心に決めた小泉は、自宅に篭った3週間で台所をDIYし、リビングでの筋トレと料理に没頭した。
復帰してベンチ入りを果たしたのは第8節のベガルタ仙台戦だった。そこからベンチ入りを続けるも、途中からベンチ外を経験。正GKの座を奪取するべく臨んだ2022年シーズンだったが、結果としてリーグ戦は13試合のベンチ入りに留まった。
好調だったチームは快進撃を続け、優勝までたどり着いた天皇杯においても、小泉は初戦と3回戦の2試合にベンチ入りした以降はスタンドから見つめることしかできず、このシーズンを持って甲府との契約は終了することになった。
「J3からのオファーもありましたし、社会人リーグでプレーをしながら料理や食の部分で力を発揮できるオファーもありました。少なくとも『サッカー選手』を続ける選択肢があったので、『このままサッカー選手を辞めてしまったら、料理や食の面でも自分の価値が落ちてしまうのではないか』と思い、サッカーを続ける道に進もうとも考えました。
でも、サッカー選手との掛け算で料理や食をやるのはキャッチーだけど、これまで以上に料理や食の面で忙しさが増してきていることを実感していたので、これ以上はどちらも中途半端になってしまうのではと引退も考えるようになったんです。
現実的なことを言うと、次のシーズンでは確実に、今よりサッカー選手としてのサラリーが下がる状況でした。それならもう次のステップに進んだほうが良いのではないかと。本当に悩みました」
悩んだ結果、彼は2月に引退を決意。小泉はすぐにクラブに伝え、正式リリースとともに自らSNSを駆使してライブで引退会見を行った。
「僕のような成績を残せていない選手が引退発表をすると、どうしても周りに伝わらなかったり、『あの選手、いなくなったね』だけで終わったりすると思ったので、SNSを通じて自分の口からきちんと伝えることを大事にしました。
サッカー以外で僕に興味を示してくださった方たちにも『これからは食と料理を通じて世の中に全力で発信していく』と言う決意表明をすることもできたので、未練がない状態で辞めることができました」
小泉に今回のメインテーマである「アスリートとSNS」について聞いてみた。アスリートとSNSは本当に親和性のあるものなのだろうか。
「もちろん当時は『サッカーに集中しろ』という声もありましたが、それは少数でした。アスリートと食事は非常に親和性が高くて、アスリートが食事にこだわることに違和感がなかったことも大きかったと思います。
発信するかどうか迷う、発信が怖いという場合には、自分の本職と発信内容に親和性があるか否かということも大きな判断基準だと思うんです。当然、試合に出られていない状態で発信し続けることに不安というか、『これでいいのか』と思う時はありました。
でもそれをすることで自分に新しい価値が生まれていくことも実感できたし、自分のサッカー選手としての価値を上げる活動の一環であればいいことだと思ったので、僕は料理について発信し続けることに決めました」
つまり親和性の創造は自分の方向性としっかり一致しているかどうかに起因する。何を目的に行なっているのか。どういうヴィジョンを描いているのか。
「もちろん自分の価値の創造の一環としてやっていたとしても、それがプレーヤーとしての成功につながるかどうかは分からないです。ただ、人間として、一人の人生としての成功にはつながると思っています。
アスリートとしての成功を求めることだけではなく、自分の人としての広がりを考えるとアスリートとSNSは非常に親和性が高いのかなと思います。どうしてもアスリートはアスリートとしての価値観に固執してしまうからこそ、逆にSNSで他のことを発信しているアスリートを受け入れられないこともあると思います。
ここのズレはどうしても拭いきれないし、実際に僕も感じたところです。もちろんアスリートとしてその競技にストイックに打ち込むことは非常にいいことなのですが、それだけで長い期間生活していけるのは、アスリートの中でもほんの一握り。
多くの人はそれだけでは生活していけないし、引退してからより一層困るのが現実です。だからこそ、もっと現役の時から物事の大局を見られるようにならないといけないと思っています」
この言葉は非常に核心を突いていた。どうしてもアスリートは自身の挑む競技における成功だけに目を向けがちだ。もちろんそれは決して悪いことではなく、ストイックに打ち込むことで大成功を収めた選手も多い。
大成功を収めた選手は、その存在だけでファンや市場も広がるほどの影響力を持つ。サッカーなら本田圭佑や香川真司、野球ならイチローや大谷翔平、バスケでいうならば八村塁等がその例となるだろう。
だがそれ以外の選手はどうだろうか。それぞれの競技のリーグや大会で少し活躍をした程度では、その競技を好きなファンからは認知されるが、競技の枠を超えて発信されたり認知されることは少ない。
そのためいざセカンドキャリアでその枠を越えようとすると自分の価値を見出せなかったり、自分の認識と世間の認識とのギャップに苦しんだりする。
「アスリートは『この世界(競技)でどうにか成功したい』という強い気持ちや意地がある。サンクコスト効果(注1)のようなもので、競技にかけてきた時間が長ければ長いほど手放せなくなるという感覚です。
注1:既に支払ったコストに気を取られ、合理的な判断が出来なくなってしまう心理効果
人生をかけて、力を注ぎ込んできたからこそ、プロサッカー選手という立場を手放せない。『絶対になりたい自分になる』『陽の当たる場所に立つ』という気持ちが強くなって、それが時には意地になってしまうんです。それで成功する時もあれば、逆に自分をより苦しめてしまう時もあります」
余計な荷物は捨てないと、いざ飛ぼうとするときに足かせになる危険性もある。その競技だけではなく、新たな自分の価値の創出や競技との連動性、共に成長できる可能性、アスリートの先に続く人生という大局で物事を見た時、アスリートがSNSをするインパクトは一気に高まるというのが小泉の考えだ。
「これは自分の価値を上げるだけではなく、アスリートとしての価値を上げることにもつながると思うんです。より周りから応援されて、よりスポンサーからお金を集められる選手になれば、その競技の認知も広がるし、人生の選択肢も広がる」
もちろん小泉はただ発信をし続けていたわけではない。本業であるサッカーに対してもよりストイックに、かつ大局を見ながら取り組んでいた。
「当然、こうした発信をする以上はサッカーが疎かになっては本末転倒です。『周りからどう思われようが構わない』という気持ちと『甲府の監督、スタッフ、チームメイトからどう思われるかはしっかりと考えないといけない』という気持ちの両方を持っていました。
後者に関しては日頃の練習態度、チームに対する姿勢などを厳しく持たないといけません。
これまでは周りのことを考える余裕がなくて、自分が試合に出るためにはどうしたらいいかしか考えていなかった。ましてや試合に出られない状況がずっと続いたサッカー人生だったので、チームどうこうよりも目の前にいる正GKからポジションを奪うことしか考えていなかったんです。
でも、それは周りからすると自分勝手だし、チームのためにならないから評価もなかなか上がらないという悪循環にいたと思います。でも、食事の改善を続けたことで、純粋に自分のイメージしている動きができるようになってきたし、これまで好きではなかったGKというポジションが好きになった。
同時にSNSでの発信を通してチームにおける自分の立ち位置や、周りとの協調を意識するようになったことで、ようやくチームの一員になれた気がしました」
SNSとアスリート。この掛け合わせで行動変容が起き、結果として彼は現役を全うしてから新たな道に進み、そこで躍動することが出来ている。
後編はこちらからご覧ください。
小泉勇人(こいずみ ゆうと)
茨城県神栖市出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。
2014年に鹿島アントラーズのトップチームに昇格。その後は水戸ホーリーホック、グルージャ盛岡、ザスパクサツ群馬、ヴァンフォーレ甲府を渡り歩く。2023年2月15日に引退を発表、8年間の現役生活に幕を下ろした。
コロナ禍で練習が出来ない時期に本格的に料理に取り組み始め、アスリートフードマイスター3級や上級食育アドバイザーなど6つの食に関する資格を取得した。2021年7月より自炊記録アカウントを立ち上げ、食に関する情報を自ら発信している。